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# マララ・ユスフザイについて
先日、マララ・ユスフザイさんが英国の病院から退院したとのニュースを耳にした。彼女は15歳にして、女子の教育の権利を訴える活動をしてきたパキスタンの少女で、昨年10月9日にワゴンに乗って学校から帰る途中、タリバン武装勢力の襲撃を受け、頭部および頸部に銃弾を受け重傷を負っていたのだ。

1997年生まれのマララは、パキスタンの小さな村で暮らしていた。その地ではイスラム過激派のタリバンが実効的な勢力を握っており、女子が学校に通うことを繰り返し禁止してきたそうだ。厳格なイスラム教の下では、女性が親族の男性を伴わない限り基本的に外出禁止、仕事や勉強やおしゃれをすることも禁じられており、写真を撮られても知らない人に声を聞かれても罪となる。ましてや「自分の意見を言う」ことは忌々しき事なのであろう。しかし教育者の父親を持つ彼女には、それが如何に不当で不合理であるかが本能的に分かっているのか、気丈にも彼女は、教育を受ける権利および女性の権利の改善を訴え続けてきたのだ。今や彼女は2013年のノーベル平和賞候補者の一人となった。

マララは11歳の頃からBBCに向けてブログの寄稿を始める。もともとは彼女の父親にBBCのパキスタン特派員から「タリバン勢力の下で暮らす庶民の声」を綴ってくれる人はいないかと打診があり、最初はマララより4歳年上の少女がその大役を担う予定であった。ところが、その少女は両親から強い反対を受け、代役を探す羽目になったそうだ。そんな事をすればタリバンの標的となるのは明白で、親として我が子が身の危険を犯す価値はないと判断したのだ。結果、白羽の矢がマララに。

 On my way from school to home I heard a man saying 'I will kill you'. I hastened my pace and after a while I looked back if the man was still coming behind me. But to my utter relief he was talking on his mobile and must have been threatening someone else over the phone…
 学校からの帰り道、私の耳に男の声が響いたのです「お前を殺すぞ」と。私はしばらく速足で歩いて、それから男がまだ私のあとをついて来ているかどうか見ようと後ろを振り返って胸をなで下ろしました。男は携帯電話で話しているところでした。きっと、誰かほかの子を電話で脅していたのでしょう…(2009年1月3日のBBCブログの記事より)


このような彼女の投稿が、現地の「生の声」として世間の注目を浴びないわけがなかった。しかし誰もが恐れていたように、偽名を使っていたにも関わらず、タリバンはその「声の主」が誰なのかをつきとめ昨年10月の犯行に至るのだ。

アメリカABC放送がマララの退院のニュースを伝えた動画がこちらでご覧になれる。彼女はインタビューに応えてこう言う:

 「世界中の皆様のおかげで、私は神様から二つ目の命をもらいました。」

世界には、分かっているだけで 3,200万人の学校へ行けない少女がいるそうだ。識字率99.8%の日本からすると(ちなみにパキスタンは男性53.4%、女性28.5%)、このような少女が「読み書きを習う」といったごく当たり前のことを主張しただけで、過激派の標的になり得るという事実は真に受け入れがたい。それにも増して、退院の際、その彼女が世界に向けて堂々と感謝の辞を述べ、そのような恐怖体験をした今もなお、教育を受ける権利を主張し続けるという魂は、真に敬服に値する。

※ 彼女の生い立ち等についてはウィキペディアを参考にさせていただいた。http://en.wikipedia.org/wiki/Malala_Yousafzai

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# コレッタ・スコット・キングについて
Introduction ― Coretta Scott King is Martin Luther King Jr.’s wife. But she herself is also a very prominent African-American person. Do you want to know more about her? I will write what I have researched about Coretta Scott King’s life in the following sections.
序文 ― コレッタ・スコット・キングは、(キング牧師として知られる)マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの夫人だ。だが、彼女自身も非常に著名なアフリカ系アメリカ人なのだ。彼女のことをお知りになりたいですか?次に続くセクションでコレッタ・スコット・キングについて私が調べたことを書こう。

Young Coretta Scott − Coretta Scott was born in Alabama on April 27, 1927. She had 2 sisters and a brother. But one of her sister died when she was little. When Coretta was young, black people were treated in the wrong way. Coretta couldn’t ride on the school bus. She had to walk 5 miles to the nearest colored school. Over years she became interested in the civil rights or the fair treatment of all people, black and white, as American citizens.
若き日のコレッタ・スコット − コレッタ・スコットは1927年4月27日にアラバマに生を受ける。彼女には二人の姉妹と一人の弟がいた。彼女の姉妹のうち一人は幼い時に亡くなっている。コレッタが若い時、黒人は不当な扱いを受けていた。スクールバスにも乗れず、一番近くの黒人向け小学校まで5マイルの距離を歩かなければならなかったりした。年月を経るうちに彼女は、公民権、つまり全ての人民が、黒人も白人もがアメリカ国民として公正な扱いを受ける権利に関心を持つようになった。
Coretta graduated Valedictorian of Linclon Normal School in 1945. It was while studying singing in Boston Music School she met Martin Luther King Jr. Coretta Scoot and Martin Luther King Jr. were married on June 18, 1953.
1945年コレッタは、リンクロン(訳注:原文ママ)ノーマル・スクールの卒業生総代として卒業する。彼女がマーティン・ルーサー・キング・ジュニアと出逢ったのは、彼女がボストン音楽学校で声楽を学んでいた時だった。そして1953年6月18日、コレッタ・スコットとマーティン・ルーサー・キング・ジュニアは結婚した。Coretta and Martin had 4 children; Yolanda, Martin the 3rd, Dexter, and Bernice. Everyone called Yolanda Yoki, and Bernice was called Bunny.
コレッタとマーティンは4人の子供が授かった:ヨランダ、マーティン三世、デクスターそしてベルニスだ。皆ヨランダのことを“ヨキ”、そしてベルニスのことを“バニー”と呼んだ。
While Coretta raised their children, she supported Martin Luther King’s civil rights movement. In addition to that, Coretta also traveled around the country giving freedom concerts to raise money for the movement. She had really beautiful voice for singing.
コレッタは子育てをする傍ら、マーティン・ルーサー・キングの公民権運動をサポート。それに加え、コレッタはアメリカ全土を行脚し公民権運動のための資金を集めるべく「フリーダム・コンサート」も開催した。彼女は、本当に美しい声を持っていたのだ。
When Martin Luther King Jr. got assassinated on April 4, 1968, Coretta herself became a leader of civil rights movement. She led the protest marches, and made hundreds of speeches. Coretta opened Martin Luther King Center for Nonviolent Social Change to the public in 1982. In 1986, Coretta finally succeeded in making her husband’s birthday a national holiday!
1968年4月4日マーティン・ルーサー・キング・ジュニアが暗殺された時、コレッタ自身が公民権運動のリーダーになった。彼女は抗議デモ行進を先導し、数百ものスピーチを行った。1982年コレッタは、マーティン・ルーサー・キング非暴力社会変革センターを一般向けに開設した。そしてコレッタは1986年、ついに彼女の夫の誕生日を国家の法定祝日にするという夢を成就したのである!
She did what Martin planed, but she also kept working on what she wanted to do. For example, she continues to be active in the international peace movement.
彼女はマーティンが生前にやるつもりでいた事を成し遂げただけではなく、彼女自身がやりたかった事にも取り組み続けた。例えば、国際的な平和運動に積極的に取り組み続けた事がその例である。

On January 30, 2006, Coretta Scott King died in her sleep. When she died, she was 78 years old.
2006年1月30日、コレッタ・スコット・キングは永眠した。享年78歳であった。

Summary − As I showed, Coretta is a prominent African-American not just because she helped her husband Martin Luther King Jr. to lead the civil rights movement, but she also was a great leader of the civil rights and international peace movements.
まとめ ― 私がここで示したように、コレッタは、彼女が夫マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの主導する公民権運動を助けたという理由だけでなく、彼女自身が公民権運動および国際的平和運動の良きリーダーであったがゆえ、(今もなお)著名なアフリカ系アメリカ人なのである。

***

こんにちは、くーです。母の日も間近の今日は、許可を得て、先々週(4月26日)お話しした娘のレポートを全文掲載(訳:母)させて頂くことにしました。3冊の本とインターネットの助けを借り自分でレポートを作成し提出後、クラスでプレゼンテーション/質疑応答を行いました。

続き▽
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# マリソル・バジェス・ガルシアについて
「シウダー・フアレスへ今すぐ来い。
 さもないと…(分かってるな)。」

2011年3月1日、マリソル・バジェス・ガルシアのところに一本の電話が入った。その身の毛もよだつ口調から、彼女にはすぐ声の主が分かった。その声はその四ヶ月前から脅迫の電話を彼女にかけ続けていたのだ。

「お前さん、幼い息子さんがいるねえ。それに家族も。家族を守ったほうがいいと思うんだがねえ…。」

マリソル(当時21歳)は、シウダー・フアレスの大学で犯罪学を学ぶ学生だった。と同時に、その近郊にある人口約1万人の町、プラセディス・グアダルーペ・ゲレロの警察署長であったのだ。その6ヶ月前、彼女がその大役を引き受けることになった時、マリソルのほかに警察署長を引き受ける人がいなかったという。彼女は、自分の息子が地元でかつてのような平和な暮らしができるよう、意を決して警察署長に就任したのだ。昔はのどかな田園地帯であったこの小さな町は、麻薬密売組織(カルテル)の密売ルートの経由地と化してしまっていた。2008年頃からカルテル間の抗争が激化し、白昼堂々の殺人が日常化。たちが悪いのは、こういったカルテルは当局を ものともしないどころか、「みせしめ」として警察官を拉致しては残虐な殺害を行ってきた。そう、いまやシウダー・フアレスは(戦争地帯を除く)世界で最も危険な街とまで言われている。

声の主は 警察署長であろうが お構いなしに、彼女にこう言い渡した。

「来るんだな。さもなければ…」

一児の母である彼女は「さもなければ…」という言葉の意味を知っていた。そしてその数分後、母親から「家の周りを見慣れない車がうろついている」との電話を受ける。彼女はすぐさま夫に電話をして一歳の息子を連れ出すように告げる。続けて彼女は、二人の姉と両親にも連絡をとった。ものの30分で家族全員が動ける状態になった。大きな荷物は何も持たず、友人の運転する車で向かうはテキサス州との国境だった。

亡命者としてアメリカへの一時避難が許されるには、しかるべき説得力のある理由が必要なのだが、彼女の場合は全く問題なかったようだ。もはやメキシコ政府でさえも彼女を守ろうともしない、あるいは守ることは不可能なのだから。かつて「メキシコ一勇敢な女性」と謳われた彼女は今、アメリカの都市 エル・パソの近くに潜んで暮らしている。

(本日は国際女性デーにちなみ、カテゴリ「WOMEN」でお届けしました。)

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# オプラ・ウィンフリーについて
今週水曜5月25日、1986年から25年ものあいだ放送されてきたアメリカの超人気トーク番組「ザ・オプラ・ウィンフリー・ショー(The Oprah Winfrey Show)」がその幕を閉じた。同番組は、長寿であるだけでなく世界145か国で放映されるなど、トーク番組史上最高の番組であると評価され数々の賞に輝いてきている。その25年間、一回も休むことなく同番組の司会を務めたのがオプラ・ウィンフリーだ。

彼女の公式サイト「オプラ・ウィンフリーの経歴」を覗くと、トップページはこう書かれている。
Through the power of media, Oprah Winfrey has created an unparalleled connection with people around the world. As supervising producer and host of the top-rated, award-winning The Oprah Winfrey Show, she has entertained, enlightened and uplifted millions of viewers for the past two decades. Her accomplishments as a global media leader and philanthropist have established her as one of the most respected and admired public figures today.
(メディアという力を借りて、オプラ・ウィンフリーは世界中の人たちと類まれなつながりを築き上げた。過去25年もの間、数々の賞に輝いてきたオプラ・ウィンフリー・ショーの司会者および制作総指揮官として、彼女は数百万人の視聴者を、時には楽しませ、時には啓発し、時には奮起させてきた。世界のメディア・リーダーとして、並びに世界の慈善家として、彼女が成し遂げてきたことは、今日最も敬愛される有名人として彼女を確立させたのだ
。)』

同番組のフィナーレには、長年にわたって素晴らしい司会を務めてきたオプラに敬意を表し、マリア・シュライバー、マドンナ、ビヨンセ、トム・ハンクス、トム・クルーズ、ジェリー・サインフェルド、ハル・ベリー、スティービー・ワンダー、マイケル・ジョーダンなど多数の豪華ゲストが集結。そのゲストたちの言動から、オプラは彼らにとっても特別な存在であることが見てとれた。ちなみに、2008年のアメリカ大統領選挙でオバマ旋風が巻き起こったのは、早くからオバマを支持し、選挙運動演説にも駆け付けていたオプラの影響が大きいとまで言われている。

過去25年、同番組で取り上げられたエピソードは4,500件以上、ゲストの数は28,000人にのぼるという。彼女は、その巧みな話術で視聴者が知りたがるような出演ゲストの秘話や実話を曝露させたり、涙を引き出させたりするのに非常に長け、それが、同番組がここまで人気を博した最大の理由であろう。その根底には、"live our best lives(自分にとって最高の生き方をしようじゃない)"という彼女の信念がうかがえる。だからこそ、彼女のトークは、飽きられることなく人々の心を打ち続けてきたのだ。

そのような番組がなぜ終止符を打つことになったのか。それは、今年1月、オプラが自身の放送局となる「オプラ・ウィンフリー・ネットワーク(Oprah Winfrey Network 略してOWN、つまり『自身の』という意味がこめられている)」を開局したためだ。今後彼女は同局の番組制作に専念するらしい。

オプラの生い立ちは決して恵まれたものではなく、苦悩に満ちた幼少時代を送ったと言える。それでも彼女は「学業が身を助ける」という祖母の言葉を胸に頑張って生きてきた女性なのだ。さて、『オプラ自身』が 同局OWN の番組にいったいどのように反映されるのか。彼女のさらなる活躍を期待してやまない。

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# 寺久保エレナについて
こんにちは、Tokoです^^
今日は“海外で活躍する女性シリーズ”の第6弾です。
このシリーズは、当ブログの読者Bさんからのリクエストにお応えし
5月14日の第1弾より始まった、不定期ですが連載中のブログです。
それぞれ独断と偏見によるところは大きいとは思いますが、こんな女性に
「共感を覚える」とか、「見習いたい」とか、そういう思いを綴っています。

今日ご紹介するのは寺久保エレナさん、現役の高校3年生です。

火曜日にもお話しましたが、わたしは流行に疎いので、
もうすでに彼女のことをみなさんご存知なのかもしれません。
そう、彼女は高校生にして今年6月にCDデビューを果たした
天才サックス奏者なのです!しかも彼女の才能は広く認められていて、音楽界でも絶賛を受け、
すでに日野皓正さんや渡辺貞夫さんとも共演を果たしているとか。
このアルバム『North Bird』も、巨匠として有名な山下洋輔さんが命名。
その由来とは、あのチャーリー・パーカー氏のニックネーム“Bird”と
彼女の出身地である北海道とをかけて“北から来たBird”だそうです。
このジャケットといい、『ノース・バード(鳥)』という響きといい、
カッコいい!と思ってしまいます^^

10歳でジャズに目覚め、サックス奏者への道を歩み始めたそうですが、
その時点で将来の夢を抱きその後必死の努力を続けた彼女に脱帽デス。
キャリアについて長い間、迷いに迷い続けたわたしは、
子供の頃に「自分にはこれだ!」と悟り、その夢を実現すべく努力を続け、
その才能を開花させるに至った人にある意味憧れを抱くのかもしれません。
自分が喜びを感じる仕事をして人様に喜んでもらえるキャリアを見つけること
それが“人として一番の幸せ”だと常々思っているからでしょうか。

寺久保エレナさん、卒業後は米国のバークレー音楽院で
4年間無償の奨学金を受けながら音楽の勉強を続けるそうです。
数年後は世界的にも有名なサックス奏者となっている予感がします。

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# 林 文子さんについて
こんにちは、くーです(^^)
何年か前のこの時期に2年続けて横浜のみなとみらいを訪れたせいで、
この時期になるとあのイルミネーションと観覧車が目に浮かびます。
その横浜で11月7日から14日までAPECが開催されています。
日本のTPP(環太平洋経済協定)参加の是非が問われる場であり、
つい最近ではメドベージェフロシア大統領による突然の国後島訪問あり
尖閣諸島沖のビデオ流出ありで、外交的確執を生じかねないこの時期に
各国の首脳をお招きするという点でも非常に興味深いものとなりそうです。
その上、テロ対策警備には万全に万全を尽くさねばならないこのご時世、
管理側である横浜市の気苦労は計り知れないものがあると思います。

今日はこのSWIFTメンバーズブログで密かに連載中の
“海外で活躍する女性”をテーマに書いてみたいと思ったのですが、
正確には“海外で”というより“海外から注目されている日本人女性”に
なってしまうかもしれません。

林文子氏は、横浜市で女性として初めて市長になられた方なのですが、
その前はビジネス界でその手腕を発揮され、VW、BMW、ダイエーの
代表取締役社長を歴任されているほか、
· 2004年 、米経済紙『ウォールストリート・ジャーナル』
  「注目される女性経営者50人」に選出される。
· 2005年7月、アメリカの雑誌『フォーブス』の
  「世界で最も影響力のある女性100人」に選ばれる。
· 2005年10月、アメリカの雑誌『フォーチュン』の
  「米国外のビジネス界『最強の女性』」で10位に選ばれる。
· 2005年12月、『日経ウーマン』の「ウーマン・オブ・ザイヤー2006」で
  キャリアクリエイト部門1位、総合2位に選ばれる。
など国内外でもかなり注目を浴びるビジネス・ウーマンです。

林市長は、APECに先立って9月に都内で開かれた
『APEC女性リーダーズネットワーク会合』にパネリストとして出席され、
その際、 
 「実業界で女性がキャリアを積んでいく上で、
  どういうことを心がけたらいいと思いますか。」
という質問に対し、こう答えられました。
「女性の包容力、これは強みです。男性は相手の話を半分聞かないうちに、その内容に対する反論を考える傾向があるように思います。大人になればなるほど理屈っぽくなって、相手を打ち負かそうという気持ちが強くなるんでしょうか。でも、一般に女性は相手の話を最後まで良く聞き、寄り添おうとする、おもてなしの精神があります。相手の立場や気持ちをわかろうとし、本当に必要としていることを見抜いて提案することで、信頼を得る。これはビジネスの基本です。女性の強みであるおもてなしの精神を、日々磨き、発揮していくことが大切です。
 また、リーダーとして大事なことの一つに「人を褒める習慣」があります。部下や仲間の良いところをみつけて、褒めて、能力を発揮してもらえば、良い仕事につながります。わりあい男性はシャイで、褒め上手ではありません。リーダーになっても、部下や同僚に対しても、おもてなしの精神を発揮することが大切です。 
 女性の特性を生かした方法で、相手に共感を得る接し方を模索し、信頼を得て行くことを心がけてみてください。」

女性である私には、感慨深いお言葉でした。

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# リヤ・ケベデについて
故郷はアフリカ北東部エチオピア、首都アディスアベバで
フランスの映画ディレクターにより発掘されたことをきっかけに
スーパーモデルへの道を歩むことになったリヤ・ケベデ(Liya Kebede)は、
輝く黒褐色の肌に凛としたまなざしが印象的な存在感のある女性である。
2003年、黒人初のエスティー・ローダーの顔として抜擢され、
Vogueなどの各国のファッション雑誌の表紙を飾るなど、
世界でも屈指の売れっ子スーパーモデルである。
しかし、今日彼女をご紹介したのは、
彼女がどんなに美しく、
どんなに華やかな生活をしているかではない、
彼女の内面の美しさを語るためだ。

9歳の男の子と5歳の女の子の母親でもある リヤは、
故郷への恩返しの気持ちからエチオピア産のコットンを利用し
伝統的な手法によるハンドメイドの子供服ブランドを立ち上げ、
地元の経済の活性化を少しでも推し進めるよう活動しているのだ。
2005年、彼女はWHO(世界保健機関)から
「妊婦・新生児・幼児のための親善大使」の任命を受ける。その後、
エチオピア、そして世界中の妊婦・新生児・幼児の死亡率を低下させる
啓発運動を目的とした『リヤ・ケベデ基金』を設立し、
低コストの技術の提供するなど地域に密着した支援活動も行っている。

リヤは、2005年UNデー・アワード受賞の際に次のように語っている。
『 毎日、ガンや心臓病やエイズの危険性については耳にするけれど、
  世界の現状は、出産によりもたらされる死のリスクのほうが
  女性にとっては他の原因による死亡率よりも高いという事実を
  どれくらいの人が知っているでしょうか。
  毎年、50万人以上の女性が出産で命を落としている事実を
  どれくらいの人が知っているでしょうか。
  300万の赤ちゃんが産声をあげることなく産まれ、
  さらに400万が生後数週間も経たないうちに死んでしまう事実を
  どれくらいの人が知っているのでしょうか…。 』

「天は二物を与えず」といわれるが、リヤの場合は例外なのかもしれない。

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# メリンダ・ゲイツについて
みなさんは、メリンダ・ゲイツさんをご存知ですか。ラストネームを見て、ピンとくる方もいらっしゃるでしょうか? そう、あのマイクロソフト社・会長ビル・ゲイツ氏の奥さんです。

3児の母である彼女は、ビル&メリンダゲイツ財団の共同創始者でもあり、週に30時間もその活動に時間を費やすほど多忙な日々を送っています。同財団は同夫妻が2000年に創設した世界最大規模の慈善基金団体。その莫大な基金をマラリアなどの病気の治療の取組みに寄付しています。

彼らは(メリンダの信条を多大に反映させた)確固たる基準を設定していて
 1. 影響(被害)を受けている人口が最も多い問題
 2. かつ、今まで注目を浴びてこなかった問題
であることを、データなどから分析して寄付金の行く先を決めています。

多くの団体が他と同じような針路をとっているのに対し特徴的と言えます。数ヶ月前、SWIFTはアフリカのマイクロファイナンスを基軸とした支援活動についての取材資料の翻訳業務に携わったのですが、その時もビル&メリンダ・ゲイツ基金の名前が出てきていましたね。

メリンダが貢献しているのは、世の中だけではなさそうです。彼女のほうが、ビルよりも対人関係などソフト面で抜きんでているため、2000年に後任としてボールマー氏がマイクロソフトCEOに就任する際も彼女がそのスキルを発揮したおかげでうまく話がまとまったそうです。

また、ビルのお金の使い道も「人を助けるため」と変わってきているようで、メリンダは夫であるビルの世界にも大きな影響を及ぼしていると言えるかもしれません。

2006年に同財団に約300憶ドルもの寄付をしたとして話題になった「投資の神様」的な存在の大富豪、ウォーレン・バフェット氏も 『 ビルは本当に彼女が必要なんだ 』 と述べています。バフェット氏はさらにこうも言っています、

 『 メリンダのおかげで、ビルはよりよい決断を下せるようになった。
もちろん、彼は驚異的に頭がいいが、
全体像を包括的に把握する上では彼女のほうが賢い
 』と。

欧米では、夫婦がユニットとして公の場で活動するのが当たり前なので、メリンダも、Mrs. Gates(ビル・ゲイツの奥さん)としてではなく“メリンダ・ゲイツ”という個人として、広く認知されています。

「内助の功」が美徳とされる日本では、どんなに優秀な奥さんでも、また大物と呼ばれる男性の成功にどんなに大きな貢献をしてきた妻であっても、表舞台で認識されることが少ないような気がしますが、どうでしょうか。

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# ケーガン判事について
 wadaです。今回は私も女性判事の話題を…

 今年の3月にオバマ大統領は、最高裁の判事に女性であるエリーナ・ケーガンを指名しました。最高裁の女性判事はソトマイヨールに次いで史上4人目となるそうですが、The Economist[May 15th]の記事によるとケーガンの指名についても賛否が分かれているようです。例えば、彼女はハーバード・ロースクールの学部長時代に、軍があからさまなゲイを禁止したのに反対して、学内での軍の勧誘を禁止したのですが、これに対しては民主党の側からも批判が出ているようです。

 興味を引くのが、最高裁がいずれ審理することになる保険制度改革への異議申し立てに彼女が重要な役割を果たす可能性があるという点について、共和党の側はほとんど注目していないということです。議会は「複数の州にまたがる…商取引を統制」する権利が憲法によって与えられているのですが、保険制度を推進する政府はこれを広く解釈して、制度に反対した州があってもこの条項を根拠に国民を保険に加入させようとします。それが審議に付された場合、ケーガンはこの条項をどこまで広く解釈することになるかという問題が生じるというわけです。

 最高裁の判事が粛々と指名される日本とは異なって、アメリカでは政争の種が尽きないようです。

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# ソニア・ソトマイヨールについて
2009年6月、オバマ大統領が米連邦最高裁判事に
Sonia Sotomayor(ソニア・ソトマイヨール)氏を指名、
同8月、アメリカ初のヒスパニック系最高裁判事が誕生しました。

前年、最高裁判事の後任の最有力候補者として彼女の名が挙がった際、
米国内では少なからぬ(しかも明らさまな)バッシング行為が見られました。
何しろ、女性が最高裁判事となったのはそれまでに2人しかおらず、
しかも、彼女が就任すればヒスパニック(中南米)系としては
初めての任命になるわけですから。

それを助長したのがネットを介したYouTubeの爆発的な情報伝播力です。
(ちなみに、Tubeは「テレビ」の意、Youと合わせて「パーソナルなTV」?)
カリファオルニアのある若きブロガーが保守派を意識した自己サイトで、
彼女の過去における『失言』の証拠となるビデオ・クリップを流したことが
きっかけとなり、そのブロガーさえ想像だにしなかった熱狂が米メディアに
巻き起こり、彼女を対象とした報道がかなり過熱することになったのです。

彼の掲載したその『失言』で、特に注目を浴びたのは、ソトマイヨール氏の
 “I would hope that a wise Latina woman with the richness
  of her experiences would more often than not reach a better
  conclusion than a white male who hasn’t lived that life.”
『 わたしは、経験豊かな“賢いラテン系女性”が、
  同等の人生を送ることのなかった白人の男性よりも、
  適切な結論を導きだすことが多かれと願っています。 』
という発言ではないでしょうか。しかし、この発言をここだけ抜き取ると、
人種・性差別にかかわる問題発言に聞こえますが、
その前後の文脈から解釈するとその限りではありません。
現に、彼女はそれをラテン系を対象とした会合などにおけるスピーチで
定番フレーズとして使っているくらいですから『失言』ではないはずです。
しかも、そのブロガー自身が、さらに調査を行なった結果こう述べています、
「彼女は、中道的で倫理感覚の強い非常に均整のとれた判事である」と。

どんな状況にも自らの信念を貫き、自分らしい道を切り開いていく女性、
素敵ですね^^ ソトマイヨール判事、ご活躍を応援しております。

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