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# 高松への旅
 みなさん、こんにちは。ロシア語担当のTです。京都の京阪電鉄出町柳駅前に、夕方になると「石焼き芋」の歌が聞こえてくるような季節になってきましたが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

 さて、本日のブログは私が担当する今年最後の投稿です。どんなテーマにしようかと悩んだ結果、10月に高松に行ってきた時の話を書こうと決めました。タイトルには、「旅」と書きましたが、実は出張で高松へ行く機会があったので、空き時間の半日を利用して少し四国を味わうことにしました。
 その半日を効率的に使うため、レンタサイクルで自転車を借り、高松港や栗林公園を回りました。私が今住んでいる大阪府のK市も以前住んでいた京都市も海までわりと遠いので、港町には特別な魅力があるように感じています。(あるいは、ドニプロ川という大きな川がウクライナの首都キエフの中を流れていることが原因なのかもしれません。)高松でも、小豆島や瀬戸内海の他の島たちに運航されている船がたくさん見ることができ、日本は島国であることを再確認できました。
 また栗林公園は、日本の造園の技術の素晴らしさという点において大変素敵なところでした。100年以上前の建物もいくつか残り、松の木が丁寧に手入れされていて、例えて言いますと、まるで18世紀もしくは19世紀にタイムスリップしたような気がずっとしていました。
 フィールドトリップにも参加することができ、グループは屋島という(現在は半島になっている)昔は島だったところを訪れました。その頂点からの景色は、また格別なものでした。他にも何カ所の観光スポットを訪れましたが、ここで特筆すべきなのはもちろん、うどんです。正直に言いますと、私は日本人の「麺を食べる文化」は現在も十分に理解していませんが、高松で食べたうどんの味のおかげで、それはウクライナにも絶対輸出できるものだと確信しました。
 最後に写真数枚を掲載させていただきます。


 (ホテルからの眺め)


(屋島の頂点からの景色)

  今年は残りわずかとなりましたが、皆さまはどうかお元気で新年をお迎えください。また来年もこのブログのこと、どうぞ宜しくお願いいたします。
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# 長崎の出島 その2
こんにちは、ロシア語担当の T です。ウクライナ情勢は、どうも不安定な状態が続いています。5月25日に行われる(予定の)大統領選挙で事態が治まることを祈っております。

さて、今日は長崎の出島の話の続きです。先週のブログにあまり写真を撮らなかったことにふれましたが、文体に組み込まれてあった小さな写真をTokoさんが掲載してくださいました。(ありがとうございます!)

一つ目の写真は、私が見る限り出島にオランダ人が住んでいた時の島の形が分かるもので、二つ目はおそらく旧長崎内外クラブ記念館だと思います。この写真から、当時の出島は扇形であることがお分かりかと思います。
出島の土産店で購入した『長崎遊学 9出島ヒストリア 鎖国の窓を開く 小さな島の大きな世界』冊子には扇形の訳は次のように説明されています:

・・・岬の地形に合わせ、弧を描くように埋め立てたのでこの形になりました。

しかしシーボルトの著書『日本』には「三代将軍徳川家光が、手に持っていた扇を広げて”この形にせよ”と命じた」という一節もあります。

なかなか興味深い示唆だと思いました。私がよく利用する関西国際空港も埋め立てられた島で作られたようですが、海の上に島を埋め立てる技術は日本では450年ほど前から使われていたことになりますね。また、将軍の命令による説も私としてわりと納得できました。

先週もふれましたが、出島のオランダ人が日常的に食べていたのはパン、じゃがいも、鶏肉などの洋食で、「オランダ冬至」や「オランダ正月」などの時に特別なごちそうがあったそうです。例えば、豚の丸焼きやハム、パイ料理やお菓子などが特別なごちそうになっていました。また、出島を訪れる日本人は出された西洋食にはスープ以外にほとんど手をつけないケースが多かったそうです。スープを一口や二口食べ、それ以外の料理をテイクアウトにし、家族へのおみやげとして持ち帰っていたそうです。少しでもホスト役と一緒に食事を取ることを促すためには、和食が出すこと、そうすれば日本人も落ち着いて食べられていたと書いてありました。

他にもいろいろと出島について書けそうですが、百聞は一見にしかずですので、皆さんも長崎にいらっしゃる時にぜひ出島に足を運んでみてください。出島への訪問は、二つの異なる文化の接点を間近に見ることができる、ユニークな体験になるに違いありません。

続き▽
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# 長崎の出島 その1
みなさん、こんにちは。先日一人前の忍者になったばかりの T です。(先週4月30日付けのブログをご参照ください)これからも(忍者として)精進いたしますので、何卒宜しくお願いいたします。(しかしながら、本当の忍者はおそらく自分が忍者であることをこのように公のところでばらしたりしないでしょうから、私はこの時点ですでに失格ですね。)

さて、今日は長崎に戻って一つ目の島、「出島」について書きたいと思います。「島」と言っても現在は長崎駅から徒歩10分程度のところにある“区画”と書いたほうが正確でしょう。そのすぐとなりを川が流れていて、5分もかからないうちに海にも行けますので、昔の輪郭は何とか想像できます。(下記のリンクには出島の公式ホームページがありますので、ご興味があればどうぞご覧ください。http://www.city.nagasaki.lg.jp/dejima2/ 今回はあまり写真を撮っていませんでした・・・)
この出島ですが、日本が江戸時代の時に鎖国されていたころ唯一外国人の出入りが許可されたところです。そして、外国人のことを(国籍とは関係なく)「オランダさん」と呼ぶのが一般的だったそうです。私はサッカーでは出身国ウクライナ以外にオランダのクラブや代表チームを応援していますが、江戸時代におけるオランダの存在感に本当に感銘を受けました。

出島を短時間で歩きまわって一番(および二番)に印象に残ったのは、以下のようなことです。

貿易関係の仕事をしていたことはもちろん主な原因ですが、当時の外国人は日本においていかに裕福な生活を送っていたのかということです。オランダ商館長の家の部屋の数を数えようと思ったのですが、あまりにも多かったため途中で諦めました。また、少なくとも展示されているところではオランダ人が食していたのは主に洋食というのは興味深かったのです。和食が大好きな私から見れば、少しもったいない気もしなくありません。

さらに、出島の現在の姿を見ますと、長崎の街が近代に入ってどのような変化をたどっていったのかという点において、いろいろと示唆的です。17世紀や18世紀に街の端っこにあったところが今や中心部に近いところにあるというのは大変興味深いのです。そう言えば、京都の御所も昔は今の位置よりやや西にあったという話を聞いたことがありますが、街の風景の変化というのは実に面白いなぁとあらためて思いました。

次回はもう少し出島の話をしたいと思います。

続き▽
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# 長崎への旅 その1
T です、こんにちは。新聞のニュース欄で今年のGWの旅行先特集をやっているのを見て、もうこんな時期になっているんだなぁと少し不思議に思っているところです。吉野山の奥千本の桜も先日満開を迎えたようですが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

日本の昔の歌謡曲に『長崎は今日も雨だった』というのがありますが、私はそのタイトルが以前から やや気になっていたので、いつか実際に長崎に行ってみたいと思っていました。そして、そのささやかな願望が先日実現したのです。先週の金曜日に一泊二日の長崎への旅に行ってきました。

そもそも長崎への旅行を企画したのは、ウクライナへの帰国で某航空会社のマイルがいくらかたまり、「これは行かないと損するぞ!」と友人に言われたことがきっかけでした。予約をしてみると、長崎往復分のフライトがマイルを使うことで無料になることが分かりました。そして、いよいよ現場に行って雨の降る頻度を確かめることができる日が訪れたのです。結論から言いますと、二日ともパラパラと小雨が降ったりやんだりしていました。昔の歌謡曲って、なんだかすごく説得力がありますね。

わずか一日半の滞在で、この街のことを良く知ることができたと書いたら嘘になりますが、長崎市の印象を聞かれたら、「私が今まで訪れた日本の都市の中で、一番バラエティに富んだところだ」と回答すると思います。あるいは、「様々な文化がそれぞれの境界線が分からないほど接合したところ」と言ったほうが正確かもしれません。一番 簡単な例は、宗教と料理なのではないかと思います。

私が歩いて回ったのは主に街の中心部のほうですが、日本の神社やお寺もカトリック教の教会も中国風のお寺も、すべてごく自然に景色の一部としての重要な要素の役割を果たしていた気がしてならなかったのです。まるでそれらが、ある時点にそれぞれの場所に建てられたのではなく、街が生まれた時からそこにあったかのような印象を受けました。

また、料理も万国のものがあり、「南蛮人」が日本に持ってきたカステラや中華街の豚まん的なものなどから、英語はもちろんウクライナ語でも名前が分からない魚や柑橘類まで、どんな食欲や好みも満足させてくれるものがありました。おそらく関西の都市でもそのような類のものも無くはないのですが、宗教的な建造物と同様、長崎ではそれらは大昔から存在するかのように思えてなりませんでした。

次回は、長崎の「島」について書きたいと思います。



続き▽
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# 造幣局 桜の通り抜け
こんにちは、ロシア語担当の T です。京都の鴨川沿いの桜も花が散って鮮やかな色の葉っぱが出始めていることからもう桜の話題が尽きたかと思ったら、電車に乗っている時にふとタイトルのようなことが書いてある広告が目に入り、先日実際に通り抜けてきました。

京阪電車の天満橋駅を降りますと、後ろから自然に大勢の人に押され大川(旧淀川)の上の橋を渡ることになります。人が多いのであまり速くは進めませんが、反対側まで渡ったら、左のほうからラテン・アメリカの音楽が聞こえ(どうも路上演奏が行われているようです)、右に曲がって無数(に見える)屋台を通り過ぎると、造幣局の入り口が見えてきます。そして、その奥に(屋台の数よりはるかに多い)桜の花が、訪れる人を楽しませてくれます。
造幣局のホームページ(http://www.mint.go.jp/enjoy/toorinuke/sakura-data.html)によりますと、桜の種類は全部で131種、木の数は350本にものぼっています。そして、このイベントが始まったのは130年以上前のことで、その経緯は次のとおりです。「明治16年(1883年)、時の遠藤謹助局長の『局員だけの花見ではもったいない。市民とともに楽しもうではないか』との提案により、構内の桜並木の一般開放が始まりました。」

一つ一つ桜の花を見て、木の名前も見てゆっくり過ごしたかったのですが、人が多く途中で立ち止まることがあまりできなくて、一時間ほどで「花の王国」を通り抜けてしまいました。造幣局の敷地ですので旧正門の建物や創業当時のガス燈など、「古き良き時代」を思わせる要素もたくさんありました。

しかしながら私が何よりも感銘を受けたのは、このようなイベントがこれだけ長い期間継続して行われていることです。戦時中一時停止したこともあったそうですが、それにしても130年も続けられるというのは・・・ウクライナ人の私の時間の感覚の「枠」を明らかに超えている数字です。独立して今年の8月に23歳になる国の国民の一人として、いろいろ考えさせられる数字でもあります。

今年の通り抜けの期間は4月10日〜17日と、最終日も間近なので、このブログで「ぜひ行ってみてください!」と書いても無理があるかもしれませんが、来年も(おそらく)10年後も開催されると思われますので、4月中旬に関西にいらっしゃることがあれば、ぜひ皆さんも大阪の一大イベントを楽しんでみてください。

続き▽
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# 山中温泉
皆さん、こんにちは。ロシア語担当の T です。

このブログで私が投稿する文章は、全部で4つのカテゴリーがあって、出身国のウクライナの話、銭湯の話、日本国内の旅の話、そして特定のテーマがない話です。先週は、銭湯関連の話をしましたが、今日のブログのテーマを考える時に、何のカテゴリーに属するものにしようかなぁと少し悩みましたが、旅行日記にすることにしました。

というのも、今日は先週末に温泉街に行ってきた話を書きたいと思ったからです。ところが、そうしますとそれは銭湯と無関係の話でもありませんが、色々な体験を思い起こすと、やはり「国内の旅」のカテゴリーのほうが近い気がしたのです。

今回行ってきたのは、石川県加賀市の山中温泉というところの某旅館です。私が日本に来て7年近く経ちますが、今まで旅館に泊まったことがなくて、今回やっとそれが体験できて大変嬉しく思いました。以下、3点と俳句に分けて感想を述べたいと思います。

まずは、(それは銭湯のカテゴリーに一番近いトピックでもありますが)お湯ですね。温泉街の宿泊施設には、だいたい露天風呂がついていて、今回の滞在は一泊だけだったのに、私は3回ほど浸かりその風情を思い存分味わってきました。紅葉の季節に相応しい目の前にそびえる黄金色に染まった山、その下を流れる穏やかな川、そして近くに植えてある柿の木・・・露天風呂の経験には、やはり自分の目で見ることもとても大切ですね。

二つ目は、料理です。北陸と言えばカニと思う人が多いかもしれませんが、私は実はカニ(をむくの)が少し苦手で、今回一番感動したのは、日本らしい料理の提供の仕方です。ウクライナでしたら、料理がすべて食卓に並べられ順番に食されていきますが、日本のような「次は何が出てくるのかなぁ・・・」というわくわく感が残るところが何とも言えないですね。また、季節感がたっぷりと味わえるような料理でしたので、目もお腹もたらふくになりました。

三つ目は、温泉街の散歩です。今回訪れた山中温泉は、奥の細道の一部分でもあるので、芭蕉さんのゆかりの場所を散歩してみたところ、キエフ大学の学生時代に暗記した俳句をいくつか思い出していました。また、街には加賀野菜の直売所やさまざまな体験ができる所、北陸一美味しいコロッケの店や幻のカニ鍋を出してくれる店など、訪れる人のいかなる要望にも応えてくれそうなところがたくさんありました。

温泉街の旅館に泊まるというようなぜいたくは、おそらく今の私にとって一年に一回あるいは二回しかできないようなことだと思いますが、暇を見つけて(そして資金的な余裕ができるように頑張りながら)また日本の温泉街をいつか訪れたいと思います。

湯けむりの中に浮かぶつるつるの柿の実が、今も頭の中を離れません・・・(ここで一句ととのいました。)

  柿の実が
  浮かぶ湯けむり
  山の中


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# 京都御所一般公開
みなさん、こんにちは。ロシア語担当の T です。

関西地方では二日ほど前に「木枯らし1号」が吹きましたが、皆さんのお住まいの地域ではいかがでしょうか。先週末の“お出かけ日和”を利用して、京都御所の秋の一般公開に行ってきました。今日は、写真を交えながら、その散策の感想を述べたいと思います。

もう数年前になりますが、京都御所に初めて行った時は、その敷地の広さに驚きました。私の母国ウクライナに比べれば、住居の部屋の大きさが一般的に小さめだと思われる日本において、こんなに敷地の広い所があるのは、大きな発見の一つでした。天皇さんが長らく住んでいた場所だけあって、私、外国人の目からすれば、その広さから日本人の天皇に対する尊敬の気持ちが伝わってきます。

さて、今回一般公開されたのは、普段は間近に見ることのできない建物たちでした。天皇が住んでいた所や、様々な儀式が行われていた所、お客さんを迎えていた所、勉強していた所、お祭りが行われていた所などなどです。公開されたのは、御所の一部にしかすぎないのですが、写真を撮りながら全部を歩き回るのに2時間強かかりました。途中で蹴鞠のパフォーマンスも見物できたのも収穫でした。

京都御所で私が一番印象を受けたのは、建物や周りの景色の、場所全体としての雰囲気が織り成す、独特な幾何学的でありながら且つすごく自然な空間です。その「幾何学の頂点」とでも呼ぶべき空間を少しだけ写真で紹介したいと思います。

まず、この一枚から。三軒の建物の屋根が重なって、屋根の下に火事から家を守る魚のしっぽも見えて、実に京都らしい空間だと思いました。
次に、私の大好きな柿が、生け花に使われていた一枚です。季節感がたっぷり出ていて、いくら見ても飽きない作品です。
最後に、一番厳かな儀式が行われていた、おそらく御所で一番立派な建物を遠くから撮った一枚です。屋根の傾斜が美しいですね〜!

皆さんも、もしお時間がありましたら、春公開あるいは秋公開の折に、京都御所にぜひ足を運んでみて下さい。

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# 箱根への旅
 みなさん、こんにちは。T です。だんだん暖かくなってきていますが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
 先週のブログでは、新幹線の技術を高く賞賛してみましたが、実は東京に滞在中箱根にも日帰りで行ってきました。東京は今までおそらく10回くらい行っていると思いますが、東京周辺の場所で言いますと横浜と鎌倉しか行ったことがなくて、箱根や日光は私が行こうと思っていた範囲をなぜか超えていました。しかし、今回東京にいた時に友達が箱根を案内してくれたので、私はその自然の豊かさに感銘を受け、今まで行かなかったことを少し残念に思いました。

 箱根への旅に最適な日として設定されたのは、4月10日です。理由はとても簡単で、その日は一年の中で一番晴れる確率の高い日であるからです。朝9時前にホテルを出発する時、空に雲が一つもなくそのような日の選択に内心微笑んだものの、待ち合わせ場所の調布駅で車に乗ってしばらく高速道路を走っていると、どこからともなく雲が集まってきて旅の参加者の気持ちも「晴れ」から少しずつ「曇り」に変わっていったのでした。
 「右側に富士山が見える!はず」と言われた時、見えるのか見えないなのかがよく分からなくて、実際に右側の窓から外を見ますと富士山がうっすらと雲の奥のほうから顔を出して、「曇りの天気でも晴れより運がいい場合がある」と思って、カメラのシャッターを切りました。 その日には珍しく、わりときれいに見えた富士山です。シンプルで美しい姿にウクライナ人の私もいつも魅了されます。

 箱根に着くと、私たちはさっそくケーブルカーとロープウェイに乗りました。向かった先は大涌谷です。 写真は、大涌谷の上を通った時の眺めです。すごいにおいがしていました!一回あそこの温泉に入ってみたいものです。こちらでも雲から恥ずかしそうに顔を出している富士山をバックにたくさん写真を撮りました。

 このように書きますと、まるで箱根への旅の目的は「たくさん写真を撮ること」であったかのように聞こえるかもしれませんが、実は私は途中で写真を撮るのをあきらめ、頭の中のHDDに周りの景色を収めるように努力しました。

 結局その日、富士山は最後までその美しい姿を十分に見せてくれなかったのです。しかし、私としてそれも大変都合の良いことだという結論にいたりました。なぜかと言いますと、雲で見えない富士山の姿を想像するのはとても魅力的で実に楽しいことであったからです。

 箱根神社の鳥居と富士山。完璧なコンビネーションです。

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# 小樽への旅
 みなさん、こんにちは。ロシア語担当のTです。
 先週のブログの最後に、北海道での観光に少しだけふれましたが、今日はやはりその話をしたいと思います。

 タイトルから分かるように、私が訪れた町は小樽です。もちろん、札幌でもいろいろ回ってみましたが、今回もっとも印象に残ったのは小樽のさまざまな風景です。実は、小樽の魅力を実感しはじめたのは、そこに向かっている電車の中です。なぜなら電車は、小樽に到着する10分ほど前からずっと海沿いを走っていたからです。
 京都市に住んでいる私にとって、海というのは毎日遊びに行けるようなところではなく、海に行く時は毎回その旅をすごく楽しみにしていて、海に「出会った」時に私は海にずっとしゃべり続けています。もっと正確に言えば、私はしゃべっているつもりでいますが、海はその私の勝手な発言に対してどう思っているのか、把握していない場合が多いのです。
 そんな海の横を走っている電車を小樽駅で降りたら、ホームの奥にこんな写真がありました。そうです、石原裕次郎の写真です。すごいところに来たなぁ!と思って駅の建物から外に出たら、魚のにおいと海のにおいが風に乗って飛んできて、これは絶対に素晴らしい半日(京都に帰らざるをえなかったので、15時前までしか小樽にいられなかったのです)になりそうだという確信を持ちました。

 結果から言いますと、最高の半日になりました。
北海道 初の鉄道の跡地といい、落ち着いた感じの港と運河といい、口の中で溶けてしまうので噛む必要のないほど柔らかい魚の海鮮丼やそれにすごく合う「小樽ビール」といい、小樽には観光客を満足させるための要素がたくさんそろっています。また、大正時代に建てられた建物が多く、海から吹く風とそれら建物のハーモニーのようなところがすごく印象的でした。

 また、鉄道の跡が現在のような形で保存されているというのは、小樽のような町にしかできないことだと思いました。京都は決して大きな町だとは言えませんが、京都ではそれくらいの幅の道で車を通行禁止にすることはおそらくなかなか考えられません。そのように鉄道もしくは路面電車の線路をそのまま残すだけの余裕のある町にいつか住んでみたいとも思いました。

 今回は、小樽でもっとゆっくり過ごす時間がなくて、早めに関西に帰りましたが、またいつかゆっくり海のにおいを嗅ぐために行きたいと思います。

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# 鴨川の秋
 みなさん、こんにちは。ロシア語担当の T です。
 今週の月曜日、10月29日に京都では木枯らし1号が吹いて、一段と寒く感じられるようになりました。私の出身国ウクライナでは、日本のように風に名前をつける習慣がなくて、最初に「木枯らし1号」や「春一番」という名前を聞いた時に、それは風だとあまり認識できませんでした。しかし、「秋から冬にかけ、西高東低の冬型の気圧配置で、8メートル以上の北寄りの風が初めて吹いた日を木枯らし1号の発生日としている。」という「木枯らし1号」の説明文を読んだ時、ウクライナにはそのような感覚がないことになぜか納得できました。

 木枯らし1号が吹く数週間前に、私は京都の三条大橋あたりで昼過ぎの時間を過ごしていました。今日は少しだけその時に思ったこと、そしてその時に撮った写真を紹介したいと思います。

 まずは、この一枚から。 京都はそのちょっと前から、全然雨が降らない日が続いていたので、鴨川の水位がだいぶ下がってきていました。三条大橋周辺にいたカモたちがそのめったにない機会を利用して、すごく楽しそうに川の底で何か餌を探して、歓喜の声をあげていました。(あるいは、それは私に歓喜の声に聞こえていただけかもしれません。)
 ズームアップして見ると、こんな感じでした。
私は小説を読みながら、鴨川のカモがどんな気持ちで餌を探しているのかなぁと考えることにしました。彼ら(や彼女ら)はきっと、1100年以上日本という島国の都であった京都の鴨川という特定の川で餌を探しているとは思っていません。それでしたら、思っていることは何でしょうか?私が持っている知識ではなかなか答えられない問題だという気がしました。

  カモたちの次に注目したのは、鴨川の上の空です。「鴨川の上」という言い方は、日本語として少し不自然な気もしますが、その日鴨川の空に季節として秋、もっと言えば秋の空が凝縮されていたような印象を受けました。
そんな空の下に、時間が川とともに流れていくのを全身で感じることが、またとない幸せであるように思えました。

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