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# 奈良への旅 2
 みなさん、こんにちは。Tです。
 私にとって、銭湯あがりの大変気持ち良い日が続いていますが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか?体育の日も過ぎていて、そろそろ秋の本番ですね。

 このブログ毎年恒例のフォト日記は、夏に終わりましたが、今日のブログの冒頭で、次の一枚の写真を載せたいと思います。 その長閑な風景は、2012年5月23日のブログでもふれた東大寺の二月堂です。この写真で特に注目していただきたいのは、鹿たちです。彼ら(彼女ら?)は、まるで風景の一部であるかのように映っていますが、その風景を見た瞬間、「奈良だからこそ可能なことだなぁ」と思いました。
 実は、奈良の春日大社で祭られている神様は、昔白い鹿に乗って鹿島神宮から街にやってきたそうです。それで、奈良では鹿が特別扱いにされるようになって、場合によっては人間より優先されることが多いのかもしれません。
 その点は、今回の奈良への旅の時にも確認できました。3連休の最後の日、体育の日に奈良の街を走っている車の数が増えている中、鹿が道を渡ろうとしたら、信号が青でも車が止まってちゃんと鹿の用事が済むのを待っていました。京都に住む私にとって、実に馴染みのない光景でした。

 京都でも、鴨のお母さんが子供を連れて彼らが生まれたところから鴨川に引っ越しをする時、警察官が同行し交通機関や車よりその行列が優先されることが、一年に一回くらいあるのはありますが、奈良の鹿のように動物が一年中優先される街は、他にはなかなかないと思います。

 村上春樹さんがあるエッセイの中で、車のない社会を描いていました。「車がなければ、人々はいかに楽しそうに生活ができ、さまざまなことが満喫できたのに・・・」というのがそのエッセイの簡単な内容ですが、車のない社会というのは実にすばらしいだろうと私も思ったりはします。
 なぜならば、奈良の鹿たちはそのような社会の中で、さらに楽に暮らすことができるからです。

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# フォト日記(3)
 みなさん、こんにちは。ロシア語担当の T です。今年のフォト日記の三日目ですが、「舞子遊び」というタイトルをつけたいと思います。日本文化のさまざまな体験の中、私が特に気に入ったものが、「舞子遊び」だからです。
 「舞子遊び」と言いますと、読者の多くがおそらく京都の祇園の高級な料亭で数万円もする宴会を想像するかもしれませんが、私の場合の「舞子遊び」は少し違います。京都の某会社が数カ月前に開催した「祇園の舞子さんと触れ合う」イベントに、私はたまたま参加することができたのです。 舞子さんの舞を鑑賞し、ちょっとだけゲームをしていろいろ舞子さんの話を聞きました。間違いなく、私の心に永遠に残るひとときになったと思います。
 「日本というと何を連想するか」という質問が例えばどこかの調査に出ていたとすれば、外国人の多くが現在も「芸者」と答えるような気がします。しかし私が訪れたお茶屋さんで舞子さんと一時間ほど「遊んで」いて感じたのは、そのような典型的に思い描く妖艶なイメージと、自分の目の前で見た舞子さんの雰囲気との間のギャップです。

 その時に感じたことは、今もはっきりと覚えています:舞子さんは、普通の19歳の「乙女」でした。


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# 奈良への旅
 みなさん、こんにちは。ロシア語担当の T です。今日は、先々週末に行った奈良への旅について書いてみたいと思います。

 私は7年前、奈良市から10キロほど離れた天理市に1年間住んでいたのですが、その時に週末に京都まで出かけることはすごく貴重な体験だと思っていました。しかし、現在は京都に住んでいて、逆に奈良まで出かけることはある種のお洒落な週末の過ごし方というふうに意識するようになりました。人は、ある場所に関して抱いているイメージが、その人の居住する場所によって変わってくるのですね。不思議なことです。

 さて、今回奈良に行ったのは、ロシアからの観光客をご案内するためです。彼らはどうしても、「奈良公園の鹿たちに会いたい」と言っていました。そのような彼らの希望が叶い、シカ煎餅を大量に購入した観光客が鹿に猛アタックを受けた後、その場を逃げるようにして私たちは東大寺の大仏様のほうへと向かいました。そこでは大仏様の神秘的な姿に、観光客だけでなく通訳ガイドの私も魅了させられました。
 そして、お水取り式で有名な二月堂を前に食事を済ませてから、私たちは春日大社へと向かいました。そこで、春日大社の御本殿のある境内に入りました。樹齢800〜1000年ほどだと推定される大杉の木も見事でしたが、私にとって何よりも印象に残ったのは、内侍殿というところで“神様へのお便り”を書いたことです。
 その建物は、「かつて、御神前で奉仕をする内侍(女性)が控えていた建物で、 20年に一度の造替の時御本社と若宮の神様を御遷し(お移し)するので、 移殿とも呼ばれている(春日大社のホームページからの引用)」ところで、一見普通の建物に見えますが、なんだか自然と落ち着く雰囲気があります。

 その「雰囲気」は、実にシンプルなことです。それは、そこにいるだけで自分が毎日考えていること・悩むこと・直面している課題・楽しかったこと・悲しかったことをすべて忘れてしまうようになります。私は決して「信仰心が強い」とは言えませんが、そのようなところに来ると、なぜかすごく神様(あるいは自然と言ったほうが良いかもしれません)の力を信じたくなります。ウクライナ正教の信者として、大変複雑な気分です。

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# 旅行に行かないことの理由について2
 皆さん、こんにちは。T です。先週は、日本に4年間も住んでいるにも関わらず、近くのアジアの国々には行っていない理由について書きましたが、今日は、そのブログの続きを書きたいと思います。

 実は今も、通訳のお仕事の関係で東京行きの新幹線の中でこのブログを書いています。最終の目的地は、福島県のいわき市ですけれども、今回も海外旅行ではありません。この文章を書いている時に、私が海外旅行をしないもう一つの理由が分かりました。それは、新幹線に乗るのが好きだということです。

 以前もスイフトのブログで触れたと思いますが(2010年6月23日)、日本人の電車や鉄道に関する温かい気持ちは、最近私にも少し分かってきたような気がします。電車に名前をつける習慣は、ウクライナでも定着させたほうが良いと思うほど、鉄道が好きな人の気持ちが分かります。そして、様々な電車の中でも私は特に新幹線のかっこいい姿を観察するのが好きです。
 具体的に、どうして好きなのかと聞かれたら、少し返答に困りますが、好きなのは事実です。新幹線の夢を一ヶ月に一回ほど見るぐらい好きです。あるいは、もっと説得力のある例をあげますと、たまに新幹線になりたいと思う時があるほどです。

 さて、新幹線も好きだという話はこれくらいにして、旅行をしないもっと根本的な理由は次のとおりです。それは、私が新しい外国語の勉強を始めないことの理由と重なるところがあります。実は、私は昔から外国語がたくさん話せる人にあこがれていて、自分もいつか10ヶ国語を話せたら良いなという希望を抱いていました。しかし、特に日本語の勉強を始めた時、その希望をとりあえず諦めることにしました。それは、現在使っている外国語を完全にマスターしていないのに、新しい言葉の勉強をはじめるのはなんだかもったいないと思ったからです。
 旅行のことも一緒です。今住んでいる国の素晴らしいところにまだまだ(大好きな!新幹線で)行っていないのに、外国まで旅をするのはもったいないという気持ちが強いのです。そして、私のそのような気持ちがさらに強くなったのは、この数ヶ月の間に会った人、あるいは読んだ回想のおかげです。

 一つの出会いは、アメリカの某大学の地理学の先生が京都を訪れ、私が竜安寺まで案内した時でした。竜安寺の15番目の石についても、以前このブログで触れたと思いますが(2010年11月24日)、その先生はその石庭を見て次のように言いました。

「 私は、世界で行っていない国はほとんどないと言っても良いぐらい、今までたくさん旅行をしてきました。しかし、この庭にだけは40分も一時間もいたいという気持ちは、今まで感じたことがありません。なぜてでしょうか・・・ 」

 そして、もう一つ私の気持ちを強めたのは、著名なロシア人の作家であるK.バリモントが来日した時の回想録です。彼は、20世紀の始めごろに短い間来日しましたが、その訪問の時に感じたのは、やはり「いつまでもこの美しい国に居続けたい」ことです。

 そのような出会いや回想の印象を受け、私も短い期間でも日本を離れることは避けたいと考える気持ちは一層強くなりました。円高が続いている間にソウルに旅行しようと思っていたのですが、それはますます非現実的になってきました。困ったものです。

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# 旅行しないことの理由について
 皆さん、こんにちは。ロシア語担当の T です。こののところ通訳のお仕事で日本国内を数か所移動する日々が続いています。福岡へも行く機会があるので、スケジュールは大変ですが楽しみでもあります。そこで今日は旅行の話、特に私の外国旅行の経験について書きたいと思います。

 私は実は、今月から京都に住む期間は5年目に入りました。京都に住んでいる4年間の間、私が行った外国はウクライナのみです。それも実は私の母国なので一時的に帰国していたわけですが、日本に住んでいるので私の考えでは「外国」という範疇に入ります。でも未だかつて私はウクライナ以外の「外国」には行ったことがないのです。
 私の知り合いには、日本に1年間の短期留学生として来ていた人はいましたが、彼女は日本にいる間に20ヶ国ほどの主にアジアの国々を訪れました。彼女がそれらの国々において感じたこと・行った場所・会った人の話を聞くと、私も毎回「私も行きたい、行かなければ!」と思います。しかし、結局外国はどこにも行かずに4年も過ぎてしまいました。
 私はそれでも最近、せっかくアジアにいるのに日本以外の国には行かないのはちょっともったいないと思うようになりました。そして、韓国あるいは台湾に行くことを決め、パンフレットなどを集め具体的に旅行計画を立てたりしました。が、それ以降知らず知らずのうちに半年も経ってしまって、結局どこにも行っていないままです。
 そして、私は自分がなかなか旅行に行かない理由について考えることにしました。そうしますと、まず思いついたのは「荷物をスーツケースに詰めるのが下手だ」という理由にたどりつきました。それは実は昔からそうで、大変量が少ない荷物でも いつもすごく困ります。行った先の外国でまたスーツケースに荷物を詰めることを考えると、最初から行かないほうが良いではないかという具合になります。
 ですが、それだけではどうもうまく説明できません。荷物は必要最低限を持って旅行すれば、スーツケースに詰める作業も速く済むし、移動する時も面倒ではないし・・・ソウルの2泊3日の旅行に大量の荷物を持っていっても、あまり意味がありませんから、鞄一つで行けば良いということになります。その理由はどうも違いますね。

 まだまだ2番目、3番目の理由があっても良さそうですが、ここに書くには頭の中でまとまっていません。来週までにブログで触れられるようにしばらくこの思考を続けることにします。

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