PROFILE
POWERED BY
    POWERED BY
    ぶろぐん
    SKIN BY
    ブログンサポート
OTHERS

# ワサビピーナッツ、関西人の顔、そして盆栽の普及度について
みなさん、新年明けましておめでとうございます。ロシア語担当のTです。今年も宜しくお願いいたします。

さて、今年度最初のブログは以前もふれた課題について書きたいと思います。考えてみれば、「課題」と書くほど大きなものではなく、むしろ日本人のみなさんにとっては些細なことかもしれません。

しかし、当事者にとっては実に大きな「課題」でした。当事者とは、私が先日京都を案内したロシアから来日した観光客です。また「課題」と言いますのは、本日のブログのタイトルにも書いたようなことです。順番に見ていきましょう。

今回のお客さんにとってどうも、日本のわさびというものの存在はこの上なく大きかったようです。私は何気なく「わさびが好きですか?」と尋ねたところ、「大好きです!」と言われ、金閣寺の近くに在る京都の某老舗メーカーの売店の「ワサビピーナッツ」は、お店の人も驚くほどの人気でした。二人で合計15袋ほど購入してくれて、3回ほど買い足すために戻ったりしていました。「自分用、家族用、会社の人のお土産、お隣さんのお土産・・・」など、美しい口実が次から次へと設けられ、大量のワサビピーナッツが買われました。

そして清水寺の舞台に上った時にそれと関連する話をしていた際、次のことを言われました。「東京で見る人の顔は、なんだか日本人らしくない。来日する前に想像していた顔の人が多いのは、京都や大阪のほうです。」具体的に顔のどういったところが違うのかと聞いても、納得のできる回答を得られなかったのですが、どうも関西方面では顔の雰囲気「全体」が日本人らしいのだそうです。関西に居住する外国人として非常に喜ばしいことですが、もう少し具体性のある発言ができなかったのでしょうか・・

最後の「盆栽の普及度」と言いますのは、私が完全に予想していなかったようなひとことに起因します。「盆栽を見たい」という要望に応えるべく、私はインターネットで京都府内もしくはその近辺にある盆栽の博物館のようなものを探していたところ、当のお客様は通り過ぎる住宅の庭を見て「これは盆栽ではないの?」とずっと聞いていたのです。話を詳しく聞いてみると、盆栽とは街中に自然にできるような植物だと思っていたそうです。

日出づる国は まだまだ謎に満ち溢れていることを、私も忘れるべきではありません。
T : comments (x) : trackback (x)
# 笑う門には福来る
皆さん、こんにちは。ロシア語担当のTです。今日のブログは、「笑い」をテーマに最近感じたことをいくつか書いてみたいと思います。

先日ロシアからのお客さんをガイドとして大阪に案内していましたが、私がいろいろ説明している中で彼らがふと気になったのは、日本人のユーモア感のことです。私は落語や漫才の例をあげ、これまであまり見たことがないのでよく分からないが、日本には独特の笑いの文化が存在することを教えました。そうしますと、お客さんは「アネクドートもあるのか?」と聞いてきました。(手元の辞書には、次のように書いてあります:「〔ロシア anekdot 〕特にロシアで,鋭い風刺や体制批判を含んだ政治的な一口噺。旧ソ連や東欧の社会主義体制下で,検閲をかいくぐって盛んになった一種の民衆的フォークロア。」)

日本ではロシアやウクライナほどアネクドートは流行っていないことを説明すると、今度はソ連時代の政治家などが出てくるアネクドートを5つほど教えてくれました。私は一応ソ連生まれなのですが、その時代の雰囲気はよく分からないところが多く、相槌を打ちながら聞いていました。彼らは最後に、「日本は何でもある国だと思っていましたのに、アネクドートはないのか・・・」と少し寂しそうでした。

その数日後、私は落語を見る機会を得ました。そして、日本にこんなに深い笑いの文化があったことを改めて感じました。どこが一番印象に残ったかと言いますと、一人の人が言葉と体の動きだけでこんなに豊かな世界を作り上げることができるということす。二人の会話でも、何人かがしゃべる場面、状況が変わる場面、演じている人がどこかに急いで歩いている場面などなど、どのようなシチュエーションでも表現できるのではないかと思いました。

日本にこんなに面白い笑いの文化があるのに、ガイドである私はそれをちゃんと伝えられなかったのは非常に残念だと思いました。他方、アネクドートが笑いの基準になっている人たちに対して、落語の特徴をいかに説明すれば伝わるのでしょうか・・・もちろん、落語以外の日本文化についても、文化的な背景が異なる人に対していかに説明するのかという点において、同じことが言えると思います。

これからも答えを求めて、日本文化の勉強を続けます。
T : comments (x) : trackback (x)
# ギョギョ君との出会いについて
 皆さん、ご無沙汰しております。ロシア語担当のTです。諸事情によりスイフトのブログをしばらく休んでおりましたが、今後は月に1回ほどのペースでいろんな話を投稿させていただきたいと考えております。

 早速ですが、皆さんは釣りが好きでしょうか?何の前触れもなく、しかも二つの台風が日本列島に近づいている最中でこんなことを言われたら困惑している方もいらっしゃるかもしれませんが、本日のブログのテーマは先日はじめて釣りに行った話にしたいと思います。私はこれまで「全くない」と言って良いほど釣りには興味がありませんでしたが、今回実際に釣りに行ったのは、ロシアからの観光客から「琵琶湖で釣りをしたい」とお願いされたからです。

 琵琶湖でよく釣りをする友達に確認したところ、そこに行ってもすぐに魚が釣れるわけではありませんし、ガイドを雇いでもしない限り琵琶湖で釣りを楽むのは至難の業とのことでした。それで代案としてお客さんに提示できるように、兵庫県にある神戸市立須磨海づり公園(HPはこちらです:http://www.umiduri.com)に妻と下見に行ってきました。私が住んでいる大阪府K市から電車で2回ほど乗り換えて1時間程度で行けるところですが、K市に住んで3年ほど経とうとしているのにはじめて行くのは少しもったいない気もしていました。

 結果から言いますと、小雨が降る中4時間ほど釣りをし、私と妻が釣れたのは5−6センチの小さな魚(おそらくイサキの赤ちゃんだと推測されます)のみです。妻の場合、竿を準備して水に入れた瞬間その魚が背鰭でひっかかってしまって、何がおきたのか分からないような、かなり困惑した眼差しでこちらを見ていました。こんな小さな不幸な生き物を家に持って帰って天ぷらにするわけにはいきませんので、その場で逃がしててあげました。

 そして、3時間40分後。受付で渡された餌がそろそろなくなりそうだったので、もうその日はもう釣れないと思い私は竿をセットしてお客さんに見せるための写真を撮りに席を外していました。すると、5分も経たないうちに「釣れた!」というお知らせをもらい、戻ってきたらこんな小さな生き物が保冷剤の上で一生懸命空気を吸って生きようとしていました。



妻が早速「ギョギョ君」と名づけました。これもさすがに天ぷらにするのはいささか残酷すぎる行為だと思い、少しだけ海の水で泳がせてからギョギョ君も逃がしてあげました。彼が元気に家族のもとに戻ってきたことをお祈りしております。

 それにしても、普段何気なく食べている魚って、釣るのにこんなに時間と労力がかかるものなのかと、非常に感心しました。また、釣った魚に対してできるだけ感情的にならないことは、(もし釣り師に鉄則のようなものがある場合には)ひとつの鉄則にすべきだと思いました。私の場合、ギョギョ君の生まれ育った場所、家族構成、兄弟/姉妹の有無などなど、いろいろ考えてしまいましたので、逃がすという行為にいたったわけですが、次回がもしまた釣りをすることがある場合にはあまり釣った魚の顔を見ないようにする必要があると改めて思いました。

 ちなみに、ロシアからのお客さんとは明日(9月9日に)釣りに行くことを計画しておりましたが、二つの台風の接近に伴い中止ということになりました。次にいつ須磨に行けるかは分かりませんが、ギョギョ君がたくましく育って行くことを心より願っています。
T : comments (x) : trackback (x)
# 仙台市を巡って
こんにちは、ロシア語担当のTです。

クリスマス・イブの今日ですが、このブログは仙台空港の中で綴っています。月曜日から仙台に来ていて、仙台市の周辺や市内、少し離れたところにも行ってきました。今日は、朝から市内を「るーぷる仙台」という観光バスで回りましたが、簡単にその話をしたいと思います。

市内に15個所あるバス停を巡回するバスですが、一日かけてもすべてを見て回ることは無理だと判断し、5個所ほどに行ってきました。伊達政宗公の霊屋である瑞鳳殿、仙台城跡や青葉城資料展示館、日本の水力発電の発祥の地でもある三居沢発電所、大崎八幡宮、宮城県美術館です。美術館のほうは工事か何かでしまっていて、その前を少しだけ散策し近くにあった東北大学の食堂で昼食を摂りました。

「今日仙台市内で訪れた場所の中でお気に入りの場所を一つ選んでください」と言われたらおそらく選択に困ると思いますが、それぞれ特徴があって仙台という所がさまざまな魅力の入り混じるモザイクであるような印象を受けました。中でも、百年以上の歴史がある水力発電所が印象的でした。日本の水力発電はこんなにも長い伝統があるとは、私にとってはちょっとした発見でした。私の母国ウクライナもそうですが、もっとそのようなところを宣伝し、エネルギー源として発展させてもらいたいと改めて思いました。

もう少しゆっくり回っていろいろ見たかったのですが、それは今後の課題とします。今日あまり写真を撮っていなかったのですが、昨日の夜に行った市内のけやき並木のイルミネーションの写真を3枚掲載します。








そして、伊丹空港で降りたら、青い服を来たサンターさんが描かれたメッセージカードには、こう書いてありました:

Merry Christmas!
すてきなクリスマスをお過ごしください。
Have a sweet time.
仙台空港スタッフ一同


ウクライナ正教の信者である私の場合、クリスマスは1月7日に祝うものですが、なんだか温かい気持ちになりました。皆さんにも、素敵なクリスマスが訪れることを願っています。そして、どうぞ良いお年をお迎えください!

T::Travelogue: my humble love for Japan : comments (x) : trackback (x)
# 小豆島への旅 その2
こんにちは、ロシア語担当のTです。寒い日が続いていますが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

先日の選挙、投票率がだいぶ低かったようですが、無事に終わりましたよね。私は日本では参政権もありませんし、結果についてふれる権利はないと思いますが、ウクライナ人として驚いたのは投票が終わってから最終的な結果が分かるまでの期間の短さです。以前テレビで、開票の際に使われる特別な計算機械(それぞれの候補・政党の名前が書かれた紙を数える機械)が紹介され、その性能に驚いた記憶があります。私の母国にはそのような機械がないとはいえ、結果が分かるまで場合によって数週間がかかるのはいかがなものか・・・。とは言うものの、日本みたいに半日ではなくても数日で計算できる方法を考案してくれる人が現れればどれほど便利なことになるか・・・

さて、今日は小豆島への旅の話の続きを書きたいと思います。ちなみに、その島の名前ですが、頭の中でずっと「コマメジマ」とどうしても呼んでしまっていて、なかなか「ショウドシマ」として覚えにくいのは、私だけの悩みでしょうか・・・まぁ、それはさておき、小豆島をバスで回った一日ちょっとの感想を簡単に述べることにします。

島に入って少しだけ走った瞬間、巨大な白い観音の像(むしろ、モニュメントと称したほうが適切でしょう)を目にしました。一日目も二日目もその近くを通ると、なんだか優しい目で見守られている感じでした。



他には、まわりの紅葉がちょうど見頃だった寒霞渓のロープウェイや、宿泊したホテルの窓から見える港やそこに到着する船、夕日を背景に海沿いの道で楽しそうに釣りをしている人たちの姿、ギネスブックに認定された世界一狭い海峡、一日数時間だけ渡れるようになる小さな島と島の間の小道(エンジェル・ロード、普段は水に浸かっています)などなど、思い出してみると小豆島は、訪れる人に対してありとあらゆる種類の感動を与えてくれます。



そんな中でも私にとって特に印象的だったのは、オリーブ園よりも、とある佃煮屋さんで食べた佃煮アイスです。そこには一回しか立ち寄りませんでしたが、その佃煮アイスは・・・醤油、佃煮、キャラメル、バニラなどの味の一番優れているところを取って混ぜた感じで、食べている時の感動が止まりませんでした。インターネットで調べたら残念ながらオンラインでは売っていなかったので、また近いうちに小豆島に行かないといけないかもしれませんね。


T::Travelogue: my humble love for Japan : comments (x) : trackback (x)
# 小豆島への旅
Tです、こんにちは。やっと京都にも「石焼きいもぉ〜」の季節がやってきました。京阪電車の出町柳駅前に置かれている軽トラから流れている、なんだか少し懐かしい(?)ような声を聞きながら駅の入り口に入ることは最近一つの日課になりました。

さて、今回と次回の2回ほどに分けて、11月に瀬戸内海にある小豆島(地理的には香川県です)に行ってきた話をしたいと思います。そもそも瀬戸内海に行こうという話になったのは、そこのとある島に住んでいる人間より猫のほうが多いという旨の記事をどこかの新聞に読んだ時です。島の名前は覚えていませんでしたが、取りあえず小豆島に行ってみようという話になりました。

結論から言いますと、この島では一回も猫に会っていません。野良猫何匹か住んでもおかしくないような広い島ですが、私たちが行った週末にはどこかで猫会議でもしていたのかもしれません。(その後猫が多い島は小豆島ではないことも判明しました。)

大阪の梅田駅の近くにある集合場所に着いた時、他のツアー参加者が皆揃ってできるスーツケースを持っていたことに少し驚きました。おそらく大量にお土産を購入することに備えていたのでしょうが、結局一泊二日の旅で私たちも持って行ったかばんでも何とか買ったものが収まりました。

梅田からバスで2時間半ほど走ったところで、フェリー乗り場に着いてバスごとにフェリーに乗って小豆島を目指しました。フェリーの中ではビールを開けて金曜日の昼過ぎを楽しんでいるおじいさんや、窓の景色を完全に無視して熟睡しているおばあさんなど、全部で300〜400人ほどの人が乗っていました。2時間弱ほどで島について、同じバスに乗って最初の観光スポットを目指しました。

それについて詳しく次回書きたいと思いますが、今日のブログのしめくくりに、日本という国の多様性について一言書かせてください。小豆島に行くまでには、日本で高品質のオリーブ・オイルが作られていることは想像してもみなかったですし、日本の瀬戸内海でギリシャもしくはイタリアのような景色に簡単に出会えるたのは少し意外でした。北海道に行った時、母国ウクライナの平野でよく見るような景色も目にしたことがある経験も踏まえると、これから日本国内でどんな景色にめぐり逢っても驚いたりはしないと思います。


T::Travelogue: my humble love for Japan : comments (x) : trackback (x)
# 走ることについて
皆さん、こんにちは。ロシア語担当のTです。

突然ですが、実はここ数日 毎日夕食に納豆を食べています。「日本料理で食べられないものはあるのか?」と今までよく聞かれてきましたが、「納豆」と答えるとなんだかすごく納得する日本人が多数いました。何年か前に石川県でホームステイ・イベントに参加した時、私と同じホスト・ファミリー先に滞在することになったフランス人が、毎朝二つずつ納豆を食べていて、私は彼の隣に座ることさえできませんでした。

それが今年ぐらいに入ってから、体が少しずつ納豆を求めるようになって、この数日間の納豆ブームに至っています。特に「この種類が好き」とかそういうのがあまりありませんが、いったいこのような好みの変化の背景には何があるのでしょうか。自分で言うのも変ですが、不思議で仕方ありません。

さて、今日のブログの本題ですが、先日参加したシティマラソンの感想を述べたいと思います。実はまた「忍者の里」、三重県の伊賀上野に行って今年25回目を迎えた伊賀上野シティマラソンに参加してきました。一昨年も去年も参加していましたが、今年はじめて10キロに挑戦してみました。

結論から言いますと、5キロではなくて10キロの種目にして本当に良かったと思います。「ハーフマラソン」、つまり21キロちょっとの距離を走る選択肢もありましたが、それは今の私にとってハードルが高すぎると判断し最初から諦めました。10キロでも大会前の練習では1回しか走る時間がなく、どうなることやらと心配しながら当日を迎えました。朝には街中に深い霧が立ち込め雲も広がっていたので、本当に晴れるのかなぁと思っていたら、10キロの種目がスタートする10時半ごろには見事に晴れ、修了後の「お楽しみ抽選」の時には汗をかくほど気温が上がってしまいました。

私は180人近くの30代男子参加者のうち、真ん中ぐらいのタイムになりました。しかし、それが10キロの参加者全体になると、345位でした。つまり、私より10キロを速く走りきった、大会のスローガンを使えば「風になって忍者の里を走り抜けた」参加者が男女合わせて344人もいたことになります。

生まれてこのかた10キロを走ったのが2回目であることを考えると、そんなに悪い結果ではないかもしれませんが、走るペースをもっとうまく調整できれば良かったと反省もしています。しかし、何よりも楽しかったのは、山々に囲まれた田んぼの間を走りつつ、遠くにそびえる上野城の真っ白な天守閣を見ながらそこまでの距離を頭の中で計算することでした。また来年も走ってみたいと思います。
T : comments (x) : trackback (x)
# イタリア、そしてドイツへの旅 その8
こんにちは、ロシア語担当のTです。

ドイツへの旅の話でまだ訪れた観光スポットの話をしていませんが、実はイタリアに行った時と同様、ドイツもほとんどの大きな都市をバスで回ったと記憶しています。 ベルリン、ハンブルク、ミュンヘン、ケルン、ドルトムント、デュッセルドルフ、ブレーメンなど、今の私にしてみれば、それぞれの都市のサッカー・チームの活動が気になるところですが、当時はまだそんなにサッカーに興味があったわけではなく、都市の名前はすべてどことなく新鮮な響きがあって、自国の都市の名前と比べてどうしてこんなに雰囲気が違うのかと思っていました。

前回は我々が宿泊していた施設の指導員であるきびしいドイツ人のおばさんの話をしましたが、実は彼女らに対する評価はかなりはっきりと二つに分かれていて、批判された生徒は「なんでわざわざ批判されなきゃいけないの〜?」となって、褒められた生徒は「やっぱりドイツ人のおばさんの指導は最高!」みたいな流れになって、わりと中立的な立場を堅持していた私はどちらの派からも批判されていました。

そして、ウクライナに帰る前日ぐらいになると、上記の二つの流れの人たちが一体になって、なぜかラップスタイルの歌で指導員のおばさんたちに対して滞在期間中の感謝の言葉を表現しました。ロシア語の歌だったので、おばさんたちは当然何が歌われているのかよく分からなかったのでしょうが、まぁ、大まかに言えば「今まではありがとうございました、あなたたちのことを永遠に忘れることはない」という内容のものだったと思います。

いろいろ訪問したドイツの都市で一番印象に残ったのは、ブレーメンです。サッカーのつながりで言いますと、1990年代ごろからウクライナ人の選手が何人かそこのクラブで活躍していたし、今もたしかそのうちの一人がヘッド・コーチをやっていると思います。しかし、そんなことよりおそらく多くの旧ソ連圏の人々にとってブレーメンと言えばまず連想されるのは、グリム童話の「ブレーメン音楽隊」です。さまざまな楽器を上手に演奏する動物たちの物語がソ連時代のアニメになっていて、私は子供の頃にそれをおそらく20回以上見ていると思います。ブレーメンではもちろん実際にその音楽隊には出会っていませんが、アニメの影響もあって街の雰囲気はなんだか大変 芸術的なものに思えました。

にわとり ねこ いぬ ぶた

イタリア、そしてドイツへの旅の話は今回で終わりにしたいと思います。また何か重要なことを思い出したら、適宜書いて行きます。
T::Little T-san in Italy & Germany : comments (x) : trackback (x)
# イタリア、そしてドイツへの旅 その7
こんにちは、ロシア語担当のTです。ドイツへの旅の話の続きです。

結局プラハで過ごしたのはほんの数時間で、そのあとバスに乗ってドイツに向かいました。当時の私にも、チェコからドイツに入り、国境を越える時の違いがなんとなく分かりました。「国家」という概念は、もちろん私の中ではまだまだはっきりしていなかったですし(正直に言いますと、今もそれほどはっきりはしていませんが)、旅の中でなぜか長い間待たされるところがあったとなんとなく思っていたぐらいですが、考えてみればそれは地理の勉強を実践的にするのに絶好のチャンスでもあったのかもしれません。

そして、ドイツの、森林が豊かなところに着いたのはプラハを出発して10時間ほどあとのことです。私たちが宿泊していたのはイタリアと同じようなところで、普段はおそらくキャンプ場として使われる敷地内にある建物群です。二人部屋や三人部屋が参加した子供たちに適当に割り当てられ、私は名前がDで始まる男子と同じ部屋になりました。部屋の看板を手書きで作る時、「T-Dなんとか」のようなことを書いたと記憶しています。

このドイツでの宿泊施設もイタリアのそれと同様、ご飯の時間や、様々な活動の時間、観光に皆で出かける時間がきっちりと決まっていて、ドイツ人のおばさんたちが怖い顔をして私たち小学生の指導(時間厳守!わがままを言わない!友達をいじめない!など)に当たっていました。しかし、それ以外は特にやることがなく、私がほとんどの時間を読書に使っていました。

今日の部分でもう一つ書いておきたいのは、私が「良い子賞」をもらった時のことです。毎朝起きて歯を磨いてご飯を食べたら、ベッドも自分たちで整えないといけないことになっていました。そしてある日、それぞれがきれいに整えられた布団などを先生たちが見て、一番理想に近いベッドに「賞」をあげることになったのです。そして、私がなぜか一番ベッド作りが上手で得意だと認められ、賞品であるオレンジをもらいました。喜んでいると、友達が「このオレンジはS君が罰則として取られたものだよ」と教えてくれました。

実は毎回食事のあと何かフルーツをもらうのはその時の決まりみたいで、「良い子賞」はオレンジでした。しかし、「悪い子賞」というのもあって、ドイツ人のおばさんたちが言っていたことになかなか耳を傾けなかった子どもにそれが「与えられる」ことになっていました。S君がちょうどいたずらの一番盛んな時期で、彼のオレンジが私のところに渡ってきたわけです。

S氏、ごめんなさい。私は単に几帳面な性格のせいでその日のベッドがきれいに整えることができただけです。悪意なんかはありませんでした。
T::Little T-san in Italy & Germany : comments (x) : trackback (x)
# イタリア、そしてドイツへの旅 その6
こんにちは。ロシア語担当のTです。小学生の時にヨーロッパの二ヵ国を訪れた時の話の続きをしたいと思います。

先週のブログは、プラハの街並みが大変美しかったところで終わりましたが、その美しさは考えてみれば次の二つのことが原因だったのではないかと思います。一つ目は、私はその時イタリアとドイツを訪れるまでは全然海外に行ったことがなく、そこで見る景色がすべて大変珍しく映ったことです。二つ目は、プラハの街中の雰囲気が、当時私が住んでいたウクライナの首都、キエフ周辺の小さな町とあまりにも異なっていたことです。

前者については、当然ながら小学生にとって初めて見る街は、新鮮で、珍しいものとして意識されたために、その「珍しさ」が知らないうちに「美しさ」に変わることがたまにあるのではないかと今になって考えています。また後者は、私の出身地でもある、当時居住していた小さな町は古い通りなどがほとんどなく、どちらかというと工場地帯に近いようなところでした。それもあって、プラハのくねくねとした通りや、どこからともなく漂う(おそらくコーヒーの)苦い香り、開放的な雰囲気のレストランや市民の交流・憩いの場所としての機能を十分に果たしている(ように見える)広い公園…そんなところに来て、魅了されないはずがないと思います。

考えてみれば、現在ウクライナの西部にもプラハと同じような感じの街や地域があります。以前ポーランドなどの一部で、今はウクライナの領土になっている地域では、街中の看板の言語にさえ注目していなければ、自分がいるのはウクライナなのか中央ヨーロッパのEUの加盟国のどこかの国なのか、はっきりと分からないほど雰囲気が似ています。たいていのウクライナ人にとってEUのビザをもらうのに様々な手続きが必要ですし、あまり国外旅行をする余裕のない人なら、ウクライナの西部に行ってコーヒーを楽しんだりするだけで、「本場のヨーロッパ」旅行に来た気分になれるかもしれません。

さて、ドイツへの旅と題したブログであるにもかかわらず、まだほとんどドイツでの滞在の話をしていませんが、また次回以降少しずつ書いてみたいと思います。
T::Little T-san in Italy & Germany : comments (x) : trackback (x)