2011-11-30 : 19:25 : admin
# 銭湯の話 その4
こんにちは、ロシア語翻訳作業中の T です。
2週間前に「サウナ男」という私にとっては奇妙な人物の話をしましたが、今日はまた銭湯の話の続きをしたいと思います。ちなみに、あの日はちゃんと「サウナ男」に会うことができました。『Tさんは「サウナ男」に会えたのでしょうか?』と心配してくださった皆様、本当にありがとうございました。
まずは、私が大好きな「日本人=集団主義的な傾向」、「欧米人=個人主義的な傾向」という視点を銭湯という空間に当ててみましょう。そうしますと、少なくともウクライナ人と日本人を比較した場合、逆の傾向が観察できることが分かります。
ウクライナ(やロシア)にも、日本の銭湯と同じような施設があります。しかし、それはどちらかというとスチームサウナに近いもので、そこを訪れる主な目的は、体を洗うことではなく、友達同士と交流することだと思います。(お酒を飲んで、お酒の肴をつまみながら)お互いの体を白樺などの木の枝からできた箒で叩くことによって、最大の清潔度を求めるのが一般的だそうです。日本の銭湯マニアになった今の私からしますと、少し野蛮人のような習慣に見えなくもありません。
それに対して、日本の銭湯はどちらかというと個人のお客さんが多いように思います。もちろん、正確なことは、ちゃんとデータを集計して分析しないと分かりませんが、私の傍観者としての観察によると、やはり個人のお客さんが多いと断言できます。そして、銭湯に通う人は、毎日通うパターンが多いです。「サウナ男」のケースもそうだと思いますし、私の通っている銭湯の常連さんもそんな雰囲気を漂わせています。
むろん、日本の銭湯でも集団で来るお客さんをたまに見かけることがあります。先日も私と同じ時間帯に、多くの青年たちが銭湯を訪れ大いに騒いでいました。しかしながら、彼らはどちらかというと、意図的に皆で銭湯に来たというより、誰かカリスマ的なリーダーにむりやりに連れてこられたという印象を受けました。つまり、たまに集団で来るお客さんにとって銭湯は日本でも非日常的なレクリエーションの場ではあるようです(皆が「楽しんでいる」かはどうか別として)。
しかしながら、日本の銭湯に訪れる大多数の常連のお客さんにとっては、個人がくつろぐ日々の憩いの場であるところが、ウクライナとの違いだろうというのが私の下した結論です。2010年9月15日付のブログ「日烏夜行列車比較論」でもお話ししました(それに続く9月17日付のTokoさんの「さようならブルートレイン」でも同様の論点で語られていました)が、日本人は一般的に集団主義的な傾向が強い民族だと言われていますが、生活の中では個人主義的な傾向が強いところがあるのかもしれません。
さて本日も、幸せと温もりを求め、銭湯に出かけるつもりでいますが、「サウナ男」にどんな視線で迎えられるのか、少し気になるところです。
2週間前に「サウナ男」という私にとっては奇妙な人物の話をしましたが、今日はまた銭湯の話の続きをしたいと思います。ちなみに、あの日はちゃんと「サウナ男」に会うことができました。『Tさんは「サウナ男」に会えたのでしょうか?』と心配してくださった皆様、本当にありがとうございました。
まずは、私が大好きな「日本人=集団主義的な傾向」、「欧米人=個人主義的な傾向」という視点を銭湯という空間に当ててみましょう。そうしますと、少なくともウクライナ人と日本人を比較した場合、逆の傾向が観察できることが分かります。
ウクライナ(やロシア)にも、日本の銭湯と同じような施設があります。しかし、それはどちらかというとスチームサウナに近いもので、そこを訪れる主な目的は、体を洗うことではなく、友達同士と交流することだと思います。(お酒を飲んで、お酒の肴をつまみながら)お互いの体を白樺などの木の枝からできた箒で叩くことによって、最大の清潔度を求めるのが一般的だそうです。日本の銭湯マニアになった今の私からしますと、少し野蛮人のような習慣に見えなくもありません。
それに対して、日本の銭湯はどちらかというと個人のお客さんが多いように思います。もちろん、正確なことは、ちゃんとデータを集計して分析しないと分かりませんが、私の傍観者としての観察によると、やはり個人のお客さんが多いと断言できます。そして、銭湯に通う人は、毎日通うパターンが多いです。「サウナ男」のケースもそうだと思いますし、私の通っている銭湯の常連さんもそんな雰囲気を漂わせています。
むろん、日本の銭湯でも集団で来るお客さんをたまに見かけることがあります。先日も私と同じ時間帯に、多くの青年たちが銭湯を訪れ大いに騒いでいました。しかしながら、彼らはどちらかというと、意図的に皆で銭湯に来たというより、誰かカリスマ的なリーダーにむりやりに連れてこられたという印象を受けました。つまり、たまに集団で来るお客さんにとって銭湯は日本でも非日常的なレクリエーションの場ではあるようです(皆が「楽しんでいる」かはどうか別として)。
しかしながら、日本の銭湯に訪れる大多数の常連のお客さんにとっては、個人がくつろぐ日々の憩いの場であるところが、ウクライナとの違いだろうというのが私の下した結論です。2010年9月15日付のブログ「日烏夜行列車比較論」でもお話ししました(それに続く9月17日付のTokoさんの「さようならブルートレイン」でも同様の論点で語られていました)が、日本人は一般的に集団主義的な傾向が強い民族だと言われていますが、生活の中では個人主義的な傾向が強いところがあるのかもしれません。
さて本日も、幸せと温もりを求め、銭湯に出かけるつもりでいますが、「サウナ男」にどんな視線で迎えられるのか、少し気になるところです。
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2011-11-16 : 22:22 : admin
# 銭湯の話 その3
こんにちは、Tです。今日はまた銭湯の話の続きをしたいのですが、まずその前に・・・先日『日本語文型辞典』に面白い例文を見つけたので、皆さんにも紹介したいと思います。
「 A: 田中くん、富士山登山に行くのやめるんだって。帰った次の日がゼミの発表だから準備しなくちゃいけないらしいよ。
B: ふうん。要するに体力に自信がないわけね。」
それを読んで、「Bさんはよほど体力に自信がある人か、田中くんのことがあまり好きではない人のなのかなぁ・・・」と思いました。あるいは、この文型辞典には並はずれた面白い例文が載っているのかもしれません。
さて、また銭湯に話を戻して、今日は「サウナ男」というきわめて不思議な存在について触れたいと思います。
ソ連の時に、『両生類の人間』という映画が大変人気を集めた時期がありました。私の記憶が正しければ、それは何かの科学実験の結果で人間の体に魚の鰓を組み入れられた男性とお姉さんの恋の話をメインテーマにした映画です。その男性は、陸にずっといることができなくて、2、3時間ごとに水に潜る必要があったわけです。
その両生類の人間と同じように、私が通っている銭湯には、長い間サウナに入らないと生きていられないというお客さんがいます。彼のことを仮に「サウナ男」と呼ぶことにします。
サウナ男が銭湯を訪れると、おそらくそこで過ごす時間の9割はサウナの中にいます。「おそらく」と書いたのは、私が来る時でも帰る時でも彼はサウナにいるからです。それも、普通に座って汗をかいているのではなく、お坊さんたちが座禅の時にしているであろうと思われるようなポーズを取りながら じっと耐えるように座っています。
サウナ男は、砂時計も自分のものを持ち込んでいるのですが、どうもその中の砂のことが常に気になっているようです。砂さんがちゃんと自分のお仕事(つまり、上の部分から下の部分に落ちること)を行っているかどうか、2分に一回ぐらいチェックしないと気が済まないみたいです。
サウナ男と同じように、銭湯に通っているお客さんは、わりと何かにこだわりを持つ人が多いのかもしれません。例えば、湯船に入る順番が決まっている人を何回か見たことがあります。
さて、今日も銭湯に行く予定ですが、サウナ男に会えるでしょうか・・・
「 A: 田中くん、富士山登山に行くのやめるんだって。帰った次の日がゼミの発表だから準備しなくちゃいけないらしいよ。
B: ふうん。要するに体力に自信がないわけね。」
それを読んで、「Bさんはよほど体力に自信がある人か、田中くんのことがあまり好きではない人のなのかなぁ・・・」と思いました。あるいは、この文型辞典には並はずれた面白い例文が載っているのかもしれません。
さて、また銭湯に話を戻して、今日は「サウナ男」というきわめて不思議な存在について触れたいと思います。
ソ連の時に、『両生類の人間』という映画が大変人気を集めた時期がありました。私の記憶が正しければ、それは何かの科学実験の結果で人間の体に魚の鰓を組み入れられた男性とお姉さんの恋の話をメインテーマにした映画です。その男性は、陸にずっといることができなくて、2、3時間ごとに水に潜る必要があったわけです。
その両生類の人間と同じように、私が通っている銭湯には、長い間サウナに入らないと生きていられないというお客さんがいます。彼のことを仮に「サウナ男」と呼ぶことにします。
サウナ男が銭湯を訪れると、おそらくそこで過ごす時間の9割はサウナの中にいます。「おそらく」と書いたのは、私が来る時でも帰る時でも彼はサウナにいるからです。それも、普通に座って汗をかいているのではなく、お坊さんたちが座禅の時にしているであろうと思われるようなポーズを取りながら じっと耐えるように座っています。
サウナ男は、砂時計も自分のものを持ち込んでいるのですが、どうもその中の砂のことが常に気になっているようです。砂さんがちゃんと自分のお仕事(つまり、上の部分から下の部分に落ちること)を行っているかどうか、2分に一回ぐらいチェックしないと気が済まないみたいです。
サウナ男と同じように、銭湯に通っているお客さんは、わりと何かにこだわりを持つ人が多いのかもしれません。例えば、湯船に入る順番が決まっている人を何回か見たことがあります。
さて、今日も銭湯に行く予定ですが、サウナ男に会えるでしょうか・・・
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2011-11-09 : 22:53 : admin
# 銭湯の話 その2
ロシア語担当の Tです、こんにちは。今日は、10月19日に書いた銭湯の話の続きをしたいと思います。その時に、銭湯にはさまざまな面白い出会いがたくさんあると書きましたが、その「面白い出会い」とはいったいどのようなものだったのでしょうか?今日は、まず番台のおばあさんたちにまつわるエピソードを簡単にご紹介したいと思います。
「京都の銭湯=番台に座っているおばあさん」というイメージを抱いている人がいるほど、番台のおばあさんは京都の銭湯の象徴だと言えます。もちろん、すべての銭湯の番台におばあさんばかりが座っているわけではありません。おばあさんが休憩している時に、おじいさんが代わりに座っている、あるいは普段からおじいさんが座っているというところもあると思いますが、それらはどちらかというと例外だと言えるでしょう。
はじめて家の近くの銭湯に行った時に、「どうしてわざわざ知らないおばあさんに自分の裸を見られなければいけないのか?」と少し不思議に思いました。が、考えてみると、おばあさんがお客さんの裸を見るために番台に座っているのではなく、お客さんから入場料をもらって、何か要望がある時にそれに応えるために座っている。私は自分で作り上げたこんな説明に意外と納得できたのです。
私が一番よく通っているお洒落な名前の「銀座湯」のおばあさんに、ある日、「猫いませんでしたか?」と急に質問されて、びっくりしたことがあります。野良猫が銭湯に入ろうとしていたので、おばあさんはちょうど格闘中だったようです。「あぁ、いましたが、どこかに逃げてしまいました」と言ったら、おばあさんが嬉しそうにニコニコと笑ってくれました。
しかしながら、同じおばあさんに少しいたずらっぽい(と言えるのかな・・・)ことをされたこともあります。京都の銭湯には、10枚綴りの回数券があって、それを使うと入場料が20円安くなります。その回数券を買おうとおばあさんに尋ねてみたら、「あぁ、今はなくなってしまいました」とある日言われました。しかたなく普通の料金を払って、次回こそ!と思って、別の日にまた「回数券ありますか?」と尋ねたら、「あぁ、まだ新しいのが届いていません」みたいな言い訳をされました。
解決策として、どこか他の銭湯に行って、回数券を買って、一回だけそこで使って(あるいは「浸かって」という字もいいような気がしますが)から行きつけのところで残りの9回を楽しむという、少しややこしいことをしています。
それにしてもしかし、おばあさんはどうして回数券を売ってくれないのでしょう・・・
「京都の銭湯=番台に座っているおばあさん」というイメージを抱いている人がいるほど、番台のおばあさんは京都の銭湯の象徴だと言えます。もちろん、すべての銭湯の番台におばあさんばかりが座っているわけではありません。おばあさんが休憩している時に、おじいさんが代わりに座っている、あるいは普段からおじいさんが座っているというところもあると思いますが、それらはどちらかというと例外だと言えるでしょう。
はじめて家の近くの銭湯に行った時に、「どうしてわざわざ知らないおばあさんに自分の裸を見られなければいけないのか?」と少し不思議に思いました。が、考えてみると、おばあさんがお客さんの裸を見るために番台に座っているのではなく、お客さんから入場料をもらって、何か要望がある時にそれに応えるために座っている。私は自分で作り上げたこんな説明に意外と納得できたのです。
私が一番よく通っているお洒落な名前の「銀座湯」のおばあさんに、ある日、「猫いませんでしたか?」と急に質問されて、びっくりしたことがあります。野良猫が銭湯に入ろうとしていたので、おばあさんはちょうど格闘中だったようです。「あぁ、いましたが、どこかに逃げてしまいました」と言ったら、おばあさんが嬉しそうにニコニコと笑ってくれました。
しかしながら、同じおばあさんに少しいたずらっぽい(と言えるのかな・・・)ことをされたこともあります。京都の銭湯には、10枚綴りの回数券があって、それを使うと入場料が20円安くなります。その回数券を買おうとおばあさんに尋ねてみたら、「あぁ、今はなくなってしまいました」とある日言われました。しかたなく普通の料金を払って、次回こそ!と思って、別の日にまた「回数券ありますか?」と尋ねたら、「あぁ、まだ新しいのが届いていません」みたいな言い訳をされました。
解決策として、どこか他の銭湯に行って、回数券を買って、一回だけそこで使って(あるいは「浸かって」という字もいいような気がしますが)から行きつけのところで残りの9回を楽しむという、少しややこしいことをしています。
それにしてもしかし、おばあさんはどうして回数券を売ってくれないのでしょう・・・
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2011-10-19 : 18:03 : admin
# 銭湯の話
こんにちは、T です。今日は銭湯の話をしたいと思います。
皆さんは銭湯に行きますか?こんなことを外国人の私に聞かれたら、少し不思議に思う人が多いかもしれません。私は実は銭湯が大好きで、だいたい週に1回は通っています。
今私が暮らしている京都市の人口はおおよそ140万人で、そのうちの1割、つまり14万人は学生であると言われています。おそらく、それは古都の町に銭湯がたくさん残っている理由の一つでもあります。学生の宿舎は、最近は少しその事情は変っているでしょうけど、昔からお風呂のついていないところが多かったらしいです。そういう理由で、体を清潔に保つのに、銭湯に行くという方法しかありませんでした。しかしながら近年ほとんどのアパートやマンションにお風呂がついているせいか、銭湯の数はだんだん少なくなってきています。京都府のデータですが、昭和38年に595件軒ピークを迎えた銭湯数は、平成20年1月現在215軒まで減少しました。今はきっともっと少ないと思います。
しかし、それでも京都は銭湯がたくさん残っている町と言っても、過言ではありません。私の家から自転車で5分程度で行ける範囲には、4軒も銭湯があります。一つは大正時代の町家をそのまま銭湯に改造したものですが、私は行っているのは「銀座湯」というお洒落な名前のところです。
日本人の友達に、「銭湯に行くのは大好きです。」と告げたら、「自分の裸を皆の前で見せることに抵抗感ありませんか?」とよく聞かれます。考えてみれば、確かに最初の1回か2回ぐらいは少し恥ずかしかったのですが、行けば行くほど銭湯の良さが分かるようになりました。恥ずかしい人は、タオルを使えば少し楽になります。
銭湯の良さは何かと聞かれたら、すぐには答えられないと思います。私が今住んでいるところには浴室もありますし、わざわざ毎週銭湯に行かなくても普通に暮らしていけると思いますが、それでも忙しくて行けない週には少し損した感じがあって、不思議な気分になります。人間というのは意外と簡単に湯船に魅了されてしまうものですね。
銭湯に行っている間に、さまざまな出会いもたくさんありましたが、その話はまた次の機会にしたいと思います。
皆さんは銭湯に行きますか?こんなことを外国人の私に聞かれたら、少し不思議に思う人が多いかもしれません。私は実は銭湯が大好きで、だいたい週に1回は通っています。
今私が暮らしている京都市の人口はおおよそ140万人で、そのうちの1割、つまり14万人は学生であると言われています。おそらく、それは古都の町に銭湯がたくさん残っている理由の一つでもあります。学生の宿舎は、最近は少しその事情は変っているでしょうけど、昔からお風呂のついていないところが多かったらしいです。そういう理由で、体を清潔に保つのに、銭湯に行くという方法しかありませんでした。しかしながら近年ほとんどのアパートやマンションにお風呂がついているせいか、銭湯の数はだんだん少なくなってきています。京都府のデータですが、昭和38年に595件軒ピークを迎えた銭湯数は、平成20年1月現在215軒まで減少しました。今はきっともっと少ないと思います。
しかし、それでも京都は銭湯がたくさん残っている町と言っても、過言ではありません。私の家から自転車で5分程度で行ける範囲には、4軒も銭湯があります。一つは大正時代の町家をそのまま銭湯に改造したものですが、私は行っているのは「銀座湯」というお洒落な名前のところです。
日本人の友達に、「銭湯に行くのは大好きです。」と告げたら、「自分の裸を皆の前で見せることに抵抗感ありませんか?」とよく聞かれます。考えてみれば、確かに最初の1回か2回ぐらいは少し恥ずかしかったのですが、行けば行くほど銭湯の良さが分かるようになりました。恥ずかしい人は、タオルを使えば少し楽になります。
銭湯の良さは何かと聞かれたら、すぐには答えられないと思います。私が今住んでいるところには浴室もありますし、わざわざ毎週銭湯に行かなくても普通に暮らしていけると思いますが、それでも忙しくて行けない週には少し損した感じがあって、不思議な気分になります。人間というのは意外と簡単に湯船に魅了されてしまうものですね。
銭湯に行っている間に、さまざまな出会いもたくさんありましたが、その話はまた次の機会にしたいと思います。
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