2013-11-13 : 21:38 : admin
# お湯のにおい
みなさん、こんにちは。ロシア語担当の T です。京都の鴨川の両側にある桜の木の葉っぱが赤色や茶色に色づきはじめ、京都はさらに秋らしい天気になってきました。みなさんはいかがお過ごしでしょうか。
さて、今日はひさしぶりに銭湯関連の話をしたいと思います。京都から引越しをしてから銭湯にはほとんど行かなくなりましたが、京都に住んでいた時は、ほぼ毎日銭湯に通う生活が今もたまに蘇って、このごろのような気温が低い時でも心が大変暖まります。
銭湯に行かなくなった大きな理由は、二つあります。一つ目は、現在住んでいる家の近くに銭湯がないことです。そして二つ目は、この家のお風呂でも充分にお湯の時間を楽しむことができるということです。
毎日 家のお風呂に入るようになってから、少しだけでも銭湯と同じ雰囲気を味わおうと試みて、さまざまな入浴剤を試すようになりました。しかし、先日それが全部なくなって、仕方なく「においのない」お風呂にしてみました。そうしますと、お湯のにおい(のようなもの)を嗅ぎながら、銭湯に通っていた日々を自然と思い出していました。
それは正確に言えば、お湯の「におい」と言えるかどうかは、私にはよく分りません。しかし、そのにおいが充満している空気を吸うことで私が大変落ち着いた気分になったのも間違いありません。私が通っていた京都の銭湯では特別な日を除き、湯船のお湯には“何も”入れないというのが「当然」となっていて、お客さんにお湯そのものの「におい」を味わってもらうのが銭湯としての思いやりであるような気がします。
そして、先日そのようなお湯のにおいが家のお風呂でも復元できたことを、私は大変嬉しく思いました。しばらくの間、入浴剤を選ぶことに頭を悩まさなくても済むと思ったからです。
さて、今日はひさしぶりに銭湯関連の話をしたいと思います。京都から引越しをしてから銭湯にはほとんど行かなくなりましたが、京都に住んでいた時は、ほぼ毎日銭湯に通う生活が今もたまに蘇って、このごろのような気温が低い時でも心が大変暖まります。
銭湯に行かなくなった大きな理由は、二つあります。一つ目は、現在住んでいる家の近くに銭湯がないことです。そして二つ目は、この家のお風呂でも充分にお湯の時間を楽しむことができるということです。
毎日 家のお風呂に入るようになってから、少しだけでも銭湯と同じ雰囲気を味わおうと試みて、さまざまな入浴剤を試すようになりました。しかし、先日それが全部なくなって、仕方なく「においのない」お風呂にしてみました。そうしますと、お湯のにおい(のようなもの)を嗅ぎながら、銭湯に通っていた日々を自然と思い出していました。
それは正確に言えば、お湯の「におい」と言えるかどうかは、私にはよく分りません。しかし、そのにおいが充満している空気を吸うことで私が大変落ち着いた気分になったのも間違いありません。私が通っていた京都の銭湯では特別な日を除き、湯船のお湯には“何も”入れないというのが「当然」となっていて、お客さんにお湯そのものの「におい」を味わってもらうのが銭湯としての思いやりであるような気がします。
そして、先日そのようなお湯のにおいが家のお風呂でも復元できたことを、私は大変嬉しく思いました。しばらくの間、入浴剤を選ぶことに頭を悩まさなくても済むと思ったからです。
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2013-03-06 : 23:59 : admin
みなさん、こんにちは。ロシア語担当の T です。今日、京都の北野天満宮の梅はすでに五分咲だと知った時、私は今年まだ会いに行っていないのはすごくもったいないことだとふと思いました。
さて、今日は久しぶりに銭湯に関連する話をしたいと思います。実は2月に一回京都の銭湯に友だちと行ってきました。その時、3ヶ月ぶりの銭湯だったので体があまりにも湯船やサウナに慣れなくて、ちょっと大変な思いもしましたが、全般的にやはりすごく気持ちの良い経験でした。
さて、今日のブログのメインテーマは、その京都の銭湯の訪問についてではなく、『テルマエ・ロマエ』の感想です。そうです、現在マンガのほうにはまっていて、発行された5巻のうち3巻は読み終えました。一番の感想はと言いますと、「マンガってこんなに面白かったのだ!」ということです。
あまり誇らしく思えないことではありますが、私は今まで一冊のマンガしか読んだことがありません。それも、『ロダンのこころ』という変ったタイトルのもので、ロダンという名前の犬が毎日考えていることを4コマで綴っているものでした。
そのような背景もあって、先日友だちが『テルマエ・ロマエ』の1〜5巻をプレゼントしてくれた時、私はよほど感動も興奮もしなかったのです。なぜなら、マンガという文学のジャンルに今まであまり興味を示さなかったからです。しかしながら、実際に読んでみますと、そのような立場を見直す必要が出てくるかもしれないと思いました。
『テルマエ・ロマエ』のストーリーを皆さんはご存知でしょうか? 古代ローマでは浴場作りのお仕事に携わっているルシウス・モデストゥス技師が、仕事の中でなかなか解決しにくい問題に直面した時は、お風呂・湯船などに落ちて不思議に現代日本にタイムスリップし、彼にとって「平たい顔族」である日本人との交流の中で問題解決のために何かしらのヒントを得て、古代ローマに戻り見事に仕事をこなすという、いたって簡単なストーリーです。
私はマンガという紙媒体にあまり慣れていなくて、日本人に比べれば多分10倍以上遅いスピードで読んでいますが、その分ひとコマひとコマの細かいところまでゆっくり見ることができ、大変楽しいのです。作者であるヤマザキマリの表現力の豊かさに感激しながら、銭湯の魅力を再確認することもでき、銭湯好きにはたまらない余暇の過ごし方です。
そんなマンガの中で日本語の美しさやバラエティに富んだ表現も大変気になるところの一つですが、それらの点については次回でも書きます。どうぞお楽しみに!
さて、今日は久しぶりに銭湯に関連する話をしたいと思います。実は2月に一回京都の銭湯に友だちと行ってきました。その時、3ヶ月ぶりの銭湯だったので体があまりにも湯船やサウナに慣れなくて、ちょっと大変な思いもしましたが、全般的にやはりすごく気持ちの良い経験でした。
さて、今日のブログのメインテーマは、その京都の銭湯の訪問についてではなく、『テルマエ・ロマエ』の感想です。そうです、現在マンガのほうにはまっていて、発行された5巻のうち3巻は読み終えました。一番の感想はと言いますと、「マンガってこんなに面白かったのだ!」ということです。
あまり誇らしく思えないことではありますが、私は今まで一冊のマンガしか読んだことがありません。それも、『ロダンのこころ』という変ったタイトルのもので、ロダンという名前の犬が毎日考えていることを4コマで綴っているものでした。
そのような背景もあって、先日友だちが『テルマエ・ロマエ』の1〜5巻をプレゼントしてくれた時、私はよほど感動も興奮もしなかったのです。なぜなら、マンガという文学のジャンルに今まであまり興味を示さなかったからです。しかしながら、実際に読んでみますと、そのような立場を見直す必要が出てくるかもしれないと思いました。
『テルマエ・ロマエ』のストーリーを皆さんはご存知でしょうか? 古代ローマでは浴場作りのお仕事に携わっているルシウス・モデストゥス技師が、仕事の中でなかなか解決しにくい問題に直面した時は、お風呂・湯船などに落ちて不思議に現代日本にタイムスリップし、彼にとって「平たい顔族」である日本人との交流の中で問題解決のために何かしらのヒントを得て、古代ローマに戻り見事に仕事をこなすという、いたって簡単なストーリーです。
私はマンガという紙媒体にあまり慣れていなくて、日本人に比べれば多分10倍以上遅いスピードで読んでいますが、その分ひとコマひとコマの細かいところまでゆっくり見ることができ、大変楽しいのです。作者であるヤマザキマリの表現力の豊かさに感激しながら、銭湯の魅力を再確認することもでき、銭湯好きにはたまらない余暇の過ごし方です。
そんなマンガの中で日本語の美しさやバラエティに富んだ表現も大変気になるところの一つですが、それらの点については次回でも書きます。どうぞお楽しみに!
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2012-11-28 : 21:27 : admin
みなさん、こんにちは。ロシア語担当 T です。今日は、久しぶりに銭湯の話をしたいと思います。
このブログで「銭湯シリーズ」をはじめた時(2011年10月19日)、京都の銭湯の数が毎年減っていて、銭湯が置かれている厳しい状況についてふれましたが、今日のブログでは、そのような危機的な状況を打開するための私なりの対処策をまとめてみたいと思います。
京都の銭湯を元気づける(復活させる)ための提案:
1)私が観察するところでは、現在銭湯に通っているお客さんの7割以上は、(お風呂のついていないアパートに住んでいる)お年寄りです。銭湯側からすれば、そのような年齢層の支持をあえて得る必要がないので、違う年齢層に対して銭湯の魅力を訴える必要があると思われます。それゆえ、お風呂がついているアパート/マンションに入居中の若者を対象に、銭湯の魅力を、マスメディアなどをとおしてアピールすることが大切だと思います。
2)銭湯に対して、「汚い」・「気持ち悪い」・「入りにくい」・「恥ずかしい」というイメージを持っている人が多いような気がします(私も最初の頃そうでした)。そのようなイメージを払拭するために、多大なる努力が必要でしょう。「恥ずかしい」と思っている人は、仕方がありませんが、銭湯の「見た目」、あるいは「雰囲気」に対するイメージを改善することが可能ではないかと思います。同じ「古い」建物でも、内装を工夫するだけでだいぶ雰囲気が異なってくると考えられるからです。例えば、中のインテリアに使われるモノ、あるいはその置き方に工夫をすれば、その場の雰囲気も変ってくるし、普通の更衣室でも「お洒落」に見えることもあるかもしれません。
3)銭湯という京都の町のシンボルとも言えるものに、なにかしらの付加価値をつけることが必要です。一つの試みとして、銭湯でさまざまなイベント(ライブ、フェア、フリーマーケットなど)を行うことで、集いの場所としての銭湯の魅力をアピールすることが大切でしょう。昼間銭湯に来た人が、また違う日の別の時間帯に同じ銭湯に足を運びたくなるかもしれません。
また、銭湯を定期的に利用する人のために、昨年100ほどの京都の店舗が参加した「KYOTOエコマネー。マイボトル持参キャンペーン」(http://www.kyotoecomoney.jp/)と似たようなキャンペーンを銭湯でもやれば良いと思います。「一ヶ月20回銭湯を使った人が、21回目が100円引き」、あるいはスタンプカードを作成し、「スタンプを30個集めた者に素敵なプレゼントを進呈」という付加価値のつけかたは効果的かもしれませんね。
4)銭湯を、もっと利用しやすいものにすることが求められます。例えば、左京区(京都市全体に関しても同様のことが言えますが)では(年始の時期を除けば)朝風呂をやっているところがきわめて少ないです。私が知っている限り、毎日朝から営業しているのは京都タワーの中の銭湯で、他には、西のほうにある船岡温泉では週末に朝風呂をやっていると聞いたことがあるくらいです。救急病院と同じように、早朝から行ける「救急」銭湯を各区内に設けることが、利用者の増加につながるでしょう。
以上は、私の個人的な意見でなかなか具体性が足りないという批判が聞こえてきそうですが、銭湯という素晴らしい文化を守るのは結局それを利用する人たちが主役にならなければいけないと思います。皆さんももし銭湯を利用されるのでしたら、その存続について考えてみようではありませんか。
このブログで「銭湯シリーズ」をはじめた時(2011年10月19日)、京都の銭湯の数が毎年減っていて、銭湯が置かれている厳しい状況についてふれましたが、今日のブログでは、そのような危機的な状況を打開するための私なりの対処策をまとめてみたいと思います。
京都の銭湯を元気づける(復活させる)ための提案:
1)私が観察するところでは、現在銭湯に通っているお客さんの7割以上は、(お風呂のついていないアパートに住んでいる)お年寄りです。銭湯側からすれば、そのような年齢層の支持をあえて得る必要がないので、違う年齢層に対して銭湯の魅力を訴える必要があると思われます。それゆえ、お風呂がついているアパート/マンションに入居中の若者を対象に、銭湯の魅力を、マスメディアなどをとおしてアピールすることが大切だと思います。
2)銭湯に対して、「汚い」・「気持ち悪い」・「入りにくい」・「恥ずかしい」というイメージを持っている人が多いような気がします(私も最初の頃そうでした)。そのようなイメージを払拭するために、多大なる努力が必要でしょう。「恥ずかしい」と思っている人は、仕方がありませんが、銭湯の「見た目」、あるいは「雰囲気」に対するイメージを改善することが可能ではないかと思います。同じ「古い」建物でも、内装を工夫するだけでだいぶ雰囲気が異なってくると考えられるからです。例えば、中のインテリアに使われるモノ、あるいはその置き方に工夫をすれば、その場の雰囲気も変ってくるし、普通の更衣室でも「お洒落」に見えることもあるかもしれません。
3)銭湯という京都の町のシンボルとも言えるものに、なにかしらの付加価値をつけることが必要です。一つの試みとして、銭湯でさまざまなイベント(ライブ、フェア、フリーマーケットなど)を行うことで、集いの場所としての銭湯の魅力をアピールすることが大切でしょう。昼間銭湯に来た人が、また違う日の別の時間帯に同じ銭湯に足を運びたくなるかもしれません。
また、銭湯を定期的に利用する人のために、昨年100ほどの京都の店舗が参加した「KYOTOエコマネー。マイボトル持参キャンペーン」(http://www.kyotoecomoney.jp/)と似たようなキャンペーンを銭湯でもやれば良いと思います。「一ヶ月20回銭湯を使った人が、21回目が100円引き」、あるいはスタンプカードを作成し、「スタンプを30個集めた者に素敵なプレゼントを進呈」という付加価値のつけかたは効果的かもしれませんね。
4)銭湯を、もっと利用しやすいものにすることが求められます。例えば、左京区(京都市全体に関しても同様のことが言えますが)では(年始の時期を除けば)朝風呂をやっているところがきわめて少ないです。私が知っている限り、毎日朝から営業しているのは京都タワーの中の銭湯で、他には、西のほうにある船岡温泉では週末に朝風呂をやっていると聞いたことがあるくらいです。救急病院と同じように、早朝から行ける「救急」銭湯を各区内に設けることが、利用者の増加につながるでしょう。
以上は、私の個人的な意見でなかなか具体性が足りないという批判が聞こえてきそうですが、銭湯という素晴らしい文化を守るのは結局それを利用する人たちが主役にならなければいけないと思います。皆さんももし銭湯を利用されるのでしたら、その存続について考えてみようではありませんか。
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2012-10-03 : 21:23 : admin
T です、こんにちは。気がついたら、10月になっていました。デパートではおせち料理の予約受付も開始され、今年はあと3ヶ月を切りましたね。時間は、実際、矢の飛行速度よりもっともっと早く経っているような気がします。
さて、今日は3ヶ月ぶりに銭湯の話をしたいと思います。秋になると、銭湯の湯船に浸かっている時間よりも、銭湯あがりに外に出た瞬間がよほど楽しく感じられるようになりました。涼しくなって、体がしんとして、空を見上げると、美しいお月様が雲さんとなんだか興味深そうな会話をしています。
以上のような二つの段落で今日のブログを締めくくりにしたいと思ってしまうほど、秋の銭湯あがりは気持ち良いことなのですが、最近銭湯に行っていて習慣化し始めたことについても少しふれます。
一つは、銭湯を出る直前に番台のおばあさんと会話を交わすことです。私が通っている銭湯の営業時間は22時までで、だいたい外に出るのは22時をちょっと過ぎたころです。そうしますと、必ずと言っても良いくらい番台のおばあさんに話かけられて、その日に何をやったのか、翌日何をするつもりなのか、週末はどのように過ごすつもりなのかと聞かれて、大変詳細に報告します。そして、報告した後に必ず、「すごくクタクタだったのですが、ここに来たおかげでだいぶ復活できました!」と告げて、さようなら!と、おやすみなさい!の挨拶をしてから家に帰ります。
私が感じるには、おばあさんは私がやった(やろうとしている)ことに興味を持つのではなく、そのような何でもない会話を、一つの儀式として最近意識し始めたのではないでしょうか。私の方はなんだか自分の返事が、バリエーションがなくなったような気がして仕方ありません。
そして、もう一つの習慣化というのは、銭湯の常連さんと挨拶をしないことです。お互いに全然声をかけないわけではありませんが、「こんにちは」とか「お先に失礼します」とかのような挨拶を全然しないことが一つの習慣となりつつあります。それで何か不満、もしくは不安を感じるのかと聞かれたら、そんなことは全然ありませんが、ある種の「儀礼的な無関心」のような雰囲気が自然に作られたということです。
今日の銭湯あがりの夜空を想像しながら、人生における習慣化についていつかもっと深く考えてみたいなぁというところで今日のブログを終わりにしたいと思います。
さて、今日は3ヶ月ぶりに銭湯の話をしたいと思います。秋になると、銭湯の湯船に浸かっている時間よりも、銭湯あがりに外に出た瞬間がよほど楽しく感じられるようになりました。涼しくなって、体がしんとして、空を見上げると、美しいお月様が雲さんとなんだか興味深そうな会話をしています。
以上のような二つの段落で今日のブログを締めくくりにしたいと思ってしまうほど、秋の銭湯あがりは気持ち良いことなのですが、最近銭湯に行っていて習慣化し始めたことについても少しふれます。
一つは、銭湯を出る直前に番台のおばあさんと会話を交わすことです。私が通っている銭湯の営業時間は22時までで、だいたい外に出るのは22時をちょっと過ぎたころです。そうしますと、必ずと言っても良いくらい番台のおばあさんに話かけられて、その日に何をやったのか、翌日何をするつもりなのか、週末はどのように過ごすつもりなのかと聞かれて、大変詳細に報告します。そして、報告した後に必ず、「すごくクタクタだったのですが、ここに来たおかげでだいぶ復活できました!」と告げて、さようなら!と、おやすみなさい!の挨拶をしてから家に帰ります。
私が感じるには、おばあさんは私がやった(やろうとしている)ことに興味を持つのではなく、そのような何でもない会話を、一つの儀式として最近意識し始めたのではないでしょうか。私の方はなんだか自分の返事が、バリエーションがなくなったような気がして仕方ありません。
そして、もう一つの習慣化というのは、銭湯の常連さんと挨拶をしないことです。お互いに全然声をかけないわけではありませんが、「こんにちは」とか「お先に失礼します」とかのような挨拶を全然しないことが一つの習慣となりつつあります。それで何か不満、もしくは不安を感じるのかと聞かれたら、そんなことは全然ありませんが、ある種の「儀礼的な無関心」のような雰囲気が自然に作られたということです。
今日の銭湯あがりの夜空を想像しながら、人生における習慣化についていつかもっと深く考えてみたいなぁというところで今日のブログを終わりにしたいと思います。
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2012-07-04 : 20:43 : admin
皆さん、こんにちは。ロシア語担当の T です。
サッカーのヨーロッパ選手権、多くの専門家が予想し、多くのファンが期待していたスペインの勝利で終わりました。しかし、決勝戦の相手のイタリアを4-0で破るというのは、すごいですね。世界やヨーロッパ選手権におけるスペインの支配は、いつまで続くのでしょうか? これから多くの人が注目する話題の一つだと思います。
そして、今日の本題は銭湯の話です。実は毎週水曜日が近づくにつれて、ブログの話題をどうしようかなぁと少し焦りはじめて、火曜日の夜になるとやや慌てることがあるほどなのですが、昨日の夜銭湯に入っていると、本日の話題を提供してくれたお客さんが3人ほどいました。
1人は、常連さんのおじいさんで、湯船に入っている時にあまりにも気持ちが良すぎて、「ああぁぁ〜〜」や「おおおぉぉ〜〜」のような、ちょっと変った声を出している方です。他の常連さんは、(驚いたことに)彼が発しているそのような奇妙なサウンドに戸惑う気配をちっとも見せないのですが、私はなかなか慣れなくて、毎回振り返ってしまうので、おじいさんに変な目で見られます。彼のそのような文字通りの「奇声」は、銭湯の壁の向こうにいる女性のお客さんには、けがをしている大きな動物の鳴き声に聞こえているのではないかと想像します。だから、私は普段からあまり音を出さないように心がけています。
2人目は、「迷惑おやじ」という雰囲気のお客さんです。彼は、閉店時間の20分前に入って来て、湯船に浸かっている他のお客さんのプライバシーを完全に無視し、慌てて入って、慌てて出ていって、10分ほどで出ていってしまいました。彼が座っていた椅子を見ると、石けんの泡がたくさん残っていました。
そして、3人目は、お父さんにつれて来られた3−4歳ほどの女の子です。これくらいの小さな女の子が、男性と一緒に銭湯に入っているのはどうかと思っている方もいるかもしれませんが、そのような疑問をとりあえずおいといて彼女の行動を観察することにしました。まず、お父さんに体や頭を洗われ、常連さんのおじいさんと共鳴して「やきゃきゃ!」と大きな声で叫んでから、彼女は水風呂、電気風呂、そして普通の湯船の温度を比較することにしました。その比較の結果に満足したかのように、温度があまり高くないところに入ろうとしました。そこに、さきほどの迷惑おじさんが、同じ湯船のところから体に勢いよく水をかけ、思いっきり入ってきました。そうすると案の定、女の子が泣きそうな顔になって、慌ててその湯船から出ていって、お父さんのところに逃げてしまいました。
その後は、彼女は無事にいくつかの湯船をお父さんと一緒に楽しむことができましたが、私はその後どうしても配慮の足りないおじさんのことが気になって、女の子が受けた衝撃の大きさについて考えていました。
サッカーのヨーロッパ選手権、多くの専門家が予想し、多くのファンが期待していたスペインの勝利で終わりました。しかし、決勝戦の相手のイタリアを4-0で破るというのは、すごいですね。世界やヨーロッパ選手権におけるスペインの支配は、いつまで続くのでしょうか? これから多くの人が注目する話題の一つだと思います。
そして、今日の本題は銭湯の話です。実は毎週水曜日が近づくにつれて、ブログの話題をどうしようかなぁと少し焦りはじめて、火曜日の夜になるとやや慌てることがあるほどなのですが、昨日の夜銭湯に入っていると、本日の話題を提供してくれたお客さんが3人ほどいました。
1人は、常連さんのおじいさんで、湯船に入っている時にあまりにも気持ちが良すぎて、「ああぁぁ〜〜」や「おおおぉぉ〜〜」のような、ちょっと変った声を出している方です。他の常連さんは、(驚いたことに)彼が発しているそのような奇妙なサウンドに戸惑う気配をちっとも見せないのですが、私はなかなか慣れなくて、毎回振り返ってしまうので、おじいさんに変な目で見られます。彼のそのような文字通りの「奇声」は、銭湯の壁の向こうにいる女性のお客さんには、けがをしている大きな動物の鳴き声に聞こえているのではないかと想像します。だから、私は普段からあまり音を出さないように心がけています。
2人目は、「迷惑おやじ」という雰囲気のお客さんです。彼は、閉店時間の20分前に入って来て、湯船に浸かっている他のお客さんのプライバシーを完全に無視し、慌てて入って、慌てて出ていって、10分ほどで出ていってしまいました。彼が座っていた椅子を見ると、石けんの泡がたくさん残っていました。
そして、3人目は、お父さんにつれて来られた3−4歳ほどの女の子です。これくらいの小さな女の子が、男性と一緒に銭湯に入っているのはどうかと思っている方もいるかもしれませんが、そのような疑問をとりあえずおいといて彼女の行動を観察することにしました。まず、お父さんに体や頭を洗われ、常連さんのおじいさんと共鳴して「やきゃきゃ!」と大きな声で叫んでから、彼女は水風呂、電気風呂、そして普通の湯船の温度を比較することにしました。その比較の結果に満足したかのように、温度があまり高くないところに入ろうとしました。そこに、さきほどの迷惑おじさんが、同じ湯船のところから体に勢いよく水をかけ、思いっきり入ってきました。そうすると案の定、女の子が泣きそうな顔になって、慌ててその湯船から出ていって、お父さんのところに逃げてしまいました。
その後は、彼女は無事にいくつかの湯船をお父さんと一緒に楽しむことができましたが、私はその後どうしても配慮の足りないおじさんのことが気になって、女の子が受けた衝撃の大きさについて考えていました。
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2012-06-20 : 23:45 : admin
# 銭湯の話 その9
みなさん、こんにちは。T です。
先週のブログを、「信じることは、きっと成し遂げることにつながるからです。」といふうに締めくくりましたが、ウクライナの代表チームの場合、信じることだけでは少し足りませんでした。先週フランスに0-2で負け、日本時間の本日夜明け前にイギリスに0-1で負けて、残念ながら準々決勝に進むことができませんでした。
イギリスとの試合において、審判の判断は本当に適切だったのかと多くのウクライナ人が思ったに違いありません。しかし、多くのスポーツでは、審判の判断に頼らないために、誰もが疑わないようなゴールを決める・プレーをすることは、一番確実な勝利への方法であることも改めて主張したいです。つまり、まぁ、仕方がありませんね。
前置きが長くなりましたが、今日のメインの話題である銭湯の話をしたいと思います。前回(2012年5月30日)の銭湯に関するブログには、日本語で話をかけてくれたおじさんとの実りのある会話について書きましたが、今日は英語で話をかけてくれる おにいさんとの交流にふれます。
彼は、京都の某大学のY学部の学生で、あるスポーツ用品メーカーの鞄を持っていることから、スポーツが好きだと推測しています。英語で私の出身地を聞かれた時に、最初はどうしようかなぁ(どんなことばで返事をしてみようかなぁ)と戸惑ったのですが、同じく英語で返事をすることにしました(英語は私にとっても外国語です)。それは、そのおにいさんの「英語で話したい!」という強い気持ちを私が自分の日本語による返事で害してしてしまったら、彼は一生外国人に英語で話をかけることをあきらめるのではないかと思ったからです。
そのおにいさんとの英語での話の内容は何かと言いますと、それは概ね日本語で話をかけてきたおじさんの話の内容と一緒です。出身地、気候、趣味、日本の銭湯、ウクライナの銭湯、京都での生活などなど、日本に住んでいる外国人が聞かれそうなことの典型例ばかりです。
それにしても、このおにいさんはなぜ挨拶だけ毎回日本語でしてくれるのかが、銭湯を訪れる時になかなか解消されない疑問点の一つです。いつか、私がペラペラの(と知人からは言われている)日本語で急に返答をしたら彼がどんな顔をするかなぁというイタズラ心も正直に言うとあります・・・私がそのような不作法な行動に出るようなことがあれば、またブログで報告したいと思います。
先週のブログを、「信じることは、きっと成し遂げることにつながるからです。」といふうに締めくくりましたが、ウクライナの代表チームの場合、信じることだけでは少し足りませんでした。先週フランスに0-2で負け、日本時間の本日夜明け前にイギリスに0-1で負けて、残念ながら準々決勝に進むことができませんでした。
イギリスとの試合において、審判の判断は本当に適切だったのかと多くのウクライナ人が思ったに違いありません。しかし、多くのスポーツでは、審判の判断に頼らないために、誰もが疑わないようなゴールを決める・プレーをすることは、一番確実な勝利への方法であることも改めて主張したいです。つまり、まぁ、仕方がありませんね。
前置きが長くなりましたが、今日のメインの話題である銭湯の話をしたいと思います。前回(2012年5月30日)の銭湯に関するブログには、日本語で話をかけてくれたおじさんとの実りのある会話について書きましたが、今日は英語で話をかけてくれる おにいさんとの交流にふれます。
彼は、京都の某大学のY学部の学生で、あるスポーツ用品メーカーの鞄を持っていることから、スポーツが好きだと推測しています。英語で私の出身地を聞かれた時に、最初はどうしようかなぁ(どんなことばで返事をしてみようかなぁ)と戸惑ったのですが、同じく英語で返事をすることにしました(英語は私にとっても外国語です)。それは、そのおにいさんの「英語で話したい!」という強い気持ちを私が自分の日本語による返事で害してしてしまったら、彼は一生外国人に英語で話をかけることをあきらめるのではないかと思ったからです。
そのおにいさんとの英語での話の内容は何かと言いますと、それは概ね日本語で話をかけてきたおじさんの話の内容と一緒です。出身地、気候、趣味、日本の銭湯、ウクライナの銭湯、京都での生活などなど、日本に住んでいる外国人が聞かれそうなことの典型例ばかりです。
それにしても、このおにいさんはなぜ挨拶だけ毎回日本語でしてくれるのかが、銭湯を訪れる時になかなか解消されない疑問点の一つです。いつか、私がペラペラの(と知人からは言われている)日本語で急に返答をしたら彼がどんな顔をするかなぁというイタズラ心も正直に言うとあります・・・私がそのような不作法な行動に出るようなことがあれば、またブログで報告したいと思います。
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2012-05-30 : 21:02 : admin
# 銭湯の話 その8
こんにちは、ロシア語担当の T です。Toko さんが先週、« Travelogue – my humble love for Japan » という大変素敵なタイトルの新しいカテゴリーを私のために作成してくださいましたが、今日は日本国内旅行の話ではなく、銭湯の話をしたいと思います。
私が通っている「S湯」は、新しくてピカピカの銭湯を好む人には、お勧めできません。なぜなら、その銭湯は新しくもありませんし、ピカピカでもありません。しかし、そのレトロな雰囲気の門をくぐると、昔ながら(どれくらい昔のかと聞かれたら、答えに困りますが、少なくとも昭和中期と言ったら間違いないと思います)の銭湯を存分に楽しむことができます。
脱衣所の柳行李、番台、湯船も噴水のあるところはもちろん、電気風呂(今まで一回も入ったことがありません、怖いです!)や薬湯も大変素敵なものばかりです。そして、サウナは遠赤外線のものです。
と言いながらも、この昔ながらのS銭湯には、私は銭湯に通っている人として初めてした・されたことも多々ありました。例えば、私のサウナにいる時間が湯船に浸かっている時間を超えたのもそうですし、京都のサウナに通っていて例の「サウナ男」以外に話かけれらたのも、ここが初めてでした。その、後者の経験についてちょっとだけ書かせて下さい。
ある日、いつもどおり「S湯」に入って、早速サウナに入ることにした私が、髪の毛が少し長めの男性に話かけられました。「おたくのお国はどちらですか?」と聞かれて、そこからウクライナの地理的な位置の話になって、「冬がきわめて寒い」話に発展していって、さらに盛り上がって「日烏の銭湯・サウナ比較論」という大変切実なテーマについて熱い議論がなされました。そして、最後に「S湯」よりだいぶ西のほうにある「F温泉」を勧め、その武士のような恰好をしたおじさんはサウナを後にしました。
この会話で実は一番嬉しかったのは、日本語で話かけられたことです。(二番に嬉しかったのは、それが銭湯での出来事であったことです。)大体私の顔を見ると、ほとんどの日本人は一生懸命英語で話をかけてきますが、そういう意味では「S湯」のおじさんに、心より感謝しております。
名前の分からないS湯の常連さん、ありがとうございました!
追伸。このブログを書き終えたころに、ウクライナからサッカーに関するあるニュースが入ってきました。それは、ヨーロッパ選手権を前に、ウクライナ人の国民的なアイドルであるシェフチェンコ選手が、メンバー入りをしたというニュースでした。そのニュース、そしてシェフチェンコ選手という存在について、来週のブログで触れたいと思います。
私が通っている「S湯」は、新しくてピカピカの銭湯を好む人には、お勧めできません。なぜなら、その銭湯は新しくもありませんし、ピカピカでもありません。しかし、そのレトロな雰囲気の門をくぐると、昔ながら(どれくらい昔のかと聞かれたら、答えに困りますが、少なくとも昭和中期と言ったら間違いないと思います)の銭湯を存分に楽しむことができます。
脱衣所の柳行李、番台、湯船も噴水のあるところはもちろん、電気風呂(今まで一回も入ったことがありません、怖いです!)や薬湯も大変素敵なものばかりです。そして、サウナは遠赤外線のものです。
と言いながらも、この昔ながらのS銭湯には、私は銭湯に通っている人として初めてした・されたことも多々ありました。例えば、私のサウナにいる時間が湯船に浸かっている時間を超えたのもそうですし、京都のサウナに通っていて例の「サウナ男」以外に話かけれらたのも、ここが初めてでした。その、後者の経験についてちょっとだけ書かせて下さい。
ある日、いつもどおり「S湯」に入って、早速サウナに入ることにした私が、髪の毛が少し長めの男性に話かけられました。「おたくのお国はどちらですか?」と聞かれて、そこからウクライナの地理的な位置の話になって、「冬がきわめて寒い」話に発展していって、さらに盛り上がって「日烏の銭湯・サウナ比較論」という大変切実なテーマについて熱い議論がなされました。そして、最後に「S湯」よりだいぶ西のほうにある「F温泉」を勧め、その武士のような恰好をしたおじさんはサウナを後にしました。
この会話で実は一番嬉しかったのは、日本語で話かけられたことです。(二番に嬉しかったのは、それが銭湯での出来事であったことです。)大体私の顔を見ると、ほとんどの日本人は一生懸命英語で話をかけてきますが、そういう意味では「S湯」のおじさんに、心より感謝しております。
名前の分からないS湯の常連さん、ありがとうございました!
追伸。このブログを書き終えたころに、ウクライナからサッカーに関するあるニュースが入ってきました。それは、ヨーロッパ選手権を前に、ウクライナ人の国民的なアイドルであるシェフチェンコ選手が、メンバー入りをしたというニュースでした。そのニュース、そしてシェフチェンコ選手という存在について、来週のブログで触れたいと思います。
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2012-05-09 : 21:12 : admin
# 銭湯の話 その7
みなさん、こんにちは。ロシア語担当の T です。今日は久しぶりに銭湯の話をしたいと思います。
先週のブログには、引っ越しについて書きましたが、実は私の新居の目の前に銭湯があって、今のアパートを選ぶ時に銭湯がこんなに近くにあることが大変大きく影響しました。銭湯が大好きな私にとって、毎日銭湯に通えることは何よりも嬉しいのです。「通わなければいけない」、あるいは「通わないわけにはいかない」という意識の背景にあるもう一つの理由は、新しいアパートにお風呂がついていないことです。というわけで、さまざまな要素が重なって、毎日銭湯に通うという幸せな日々が続いています。
「毎日」と書きましたが、アパートの前の銭湯は月曜日と金曜日が定休日で、その二日だけは自転車で他の銭湯に通っています。定休日が週二日もあること以外に、新しい銭湯のちょっと良くないところは、営業時間が短いことです。15:40〜22:00というふうになっています。
しかしながら、どのような短所でも見方を変えれば長所になりえますので、営業時間を考える時、私は最近ポジティブに評価するようになりました。つまり、「22時までしかやっていない」ということは、私を、日付が変わるぎりぎりの時間に銭湯に行ってしまうことから救ってくれることでもあります。そして、そのおかげで「早寝早起き」という自然なサイクルも実現しやすくなるメリットもあります。とはいえ、実際に22時までに銭湯に入っても、就寝するのは24時前後になってしまうのは、なぜでしょうか・・・
新居の目の前の銭湯のお客さん層について言いますと、それは大体京都市内の他の銭湯と同じで、主に40~60代の方々です。ただ、子どももよく入浴するというのも大きな特徴だと思います。この数週間で一つ気になったのは、タオルを身に付けたまま湯船に入るお客さんがいることです。ポスターなどで、「タオルを湯船に入れないでください!」と英語でも日本語でも書いてあるのを見ながら、「その人はどうしてルールを守らないのでしょうか・・・」と毎回思ってしまいます。
外国人が銭湯・温泉に裸で入るのは恥ずかしいという話はよく耳にしますが、日本人でも少し恥ずかしいと感じている人がたまにいるというのが、新しい銭湯での発見の一つです。
先週のブログには、引っ越しについて書きましたが、実は私の新居の目の前に銭湯があって、今のアパートを選ぶ時に銭湯がこんなに近くにあることが大変大きく影響しました。銭湯が大好きな私にとって、毎日銭湯に通えることは何よりも嬉しいのです。「通わなければいけない」、あるいは「通わないわけにはいかない」という意識の背景にあるもう一つの理由は、新しいアパートにお風呂がついていないことです。というわけで、さまざまな要素が重なって、毎日銭湯に通うという幸せな日々が続いています。
「毎日」と書きましたが、アパートの前の銭湯は月曜日と金曜日が定休日で、その二日だけは自転車で他の銭湯に通っています。定休日が週二日もあること以外に、新しい銭湯のちょっと良くないところは、営業時間が短いことです。15:40〜22:00というふうになっています。
しかしながら、どのような短所でも見方を変えれば長所になりえますので、営業時間を考える時、私は最近ポジティブに評価するようになりました。つまり、「22時までしかやっていない」ということは、私を、日付が変わるぎりぎりの時間に銭湯に行ってしまうことから救ってくれることでもあります。そして、そのおかげで「早寝早起き」という自然なサイクルも実現しやすくなるメリットもあります。とはいえ、実際に22時までに銭湯に入っても、就寝するのは24時前後になってしまうのは、なぜでしょうか・・・
新居の目の前の銭湯のお客さん層について言いますと、それは大体京都市内の他の銭湯と同じで、主に40~60代の方々です。ただ、子どももよく入浴するというのも大きな特徴だと思います。この数週間で一つ気になったのは、タオルを身に付けたまま湯船に入るお客さんがいることです。ポスターなどで、「タオルを湯船に入れないでください!」と英語でも日本語でも書いてあるのを見ながら、「その人はどうしてルールを守らないのでしょうか・・・」と毎回思ってしまいます。
外国人が銭湯・温泉に裸で入るのは恥ずかしいという話はよく耳にしますが、日本人でも少し恥ずかしいと感じている人がたまにいるというのが、新しい銭湯での発見の一つです。
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2011-12-28 : 22:21 : admin
# 銭湯の話 その6
皆さん、こんにちは。T です。今年もあとわずかですね〜!
先週は、東京に行ってきました。一番印象に残ったのは、12月23日の天皇誕生日に一般参賀に行って来たことです。天皇陛下の元気なお姿を拝見し、美しいおことばを拝聴し、ウクライナでも天皇のように国民全員から尊敬される人物がいればいいのになぁと感心したのです。本当に素晴らしい経験でした。
さて、今日もまた銭湯の話の続きをしたいと思います。まずは、諸事情により「サウナ男」と呼ばれなくなった人物の話から少し。実は、彼が薬湯に浸かっている(先週のブログ参照)姿を目撃した同じ日に、話をかけられるという場面がありました。
「サウナにいることが大好きな銭湯の一般のお客さん」(元「サウナ男」)がサウナに入っていて、私がちょうどサウナに入ろうとしていたところに彼がサウナから出てきて、私とぶつかりそうになりました。一瞬の出来事でしたので、私はびっくりしていてどうしようかなぁと思ったら、「ごめんなさい」と謝られました。「いいえ、いいえ、とんでもありません。」と返事を返して、よし、サウナで元「サウナ男」の声色や抑揚等について分析でもしよう、といそいそとサウナに入ったのですが・・・あまりにも暑すぎて何も深く考えることができず、結局結論には至らずじまいです。元「サウナ男」の声が聞けるなんてまたとない機会ですのに、たいへん惜しいことをしました。
今年もあとわずか3日ですね。実は、少なくとも京都の銭湯は年末年始に大活躍します。簡単に言えば、年末は1年間の汚れを落とすために、年始は1年間分の元気をもらうために、大勢の人が銭湯を訪れるからです。去年や一昨年、12月31日に銭湯で体を洗おうと思って、住まいの近くの銭湯をいろいろ回ってみましたが、どこも人がいっぱいで、入れそうなところを見つけるのに1時間もかかってしまいました。でもそんな苦労もあって、入ってみると「やはり大晦日のお湯に勝るものはない!」と思いながら2時間ほど浸かっていました。
今年も、30日か31日に銭湯に行ってみたいと思います。混んでいるかもしれないですが、今からすごく楽しみにしています。
皆さんもどうぞ、良いお年を!
先週は、東京に行ってきました。一番印象に残ったのは、12月23日の天皇誕生日に一般参賀に行って来たことです。天皇陛下の元気なお姿を拝見し、美しいおことばを拝聴し、ウクライナでも天皇のように国民全員から尊敬される人物がいればいいのになぁと感心したのです。本当に素晴らしい経験でした。
さて、今日もまた銭湯の話の続きをしたいと思います。まずは、諸事情により「サウナ男」と呼ばれなくなった人物の話から少し。実は、彼が薬湯に浸かっている(先週のブログ参照)姿を目撃した同じ日に、話をかけられるという場面がありました。
「サウナにいることが大好きな銭湯の一般のお客さん」(元「サウナ男」)がサウナに入っていて、私がちょうどサウナに入ろうとしていたところに彼がサウナから出てきて、私とぶつかりそうになりました。一瞬の出来事でしたので、私はびっくりしていてどうしようかなぁと思ったら、「ごめんなさい」と謝られました。「いいえ、いいえ、とんでもありません。」と返事を返して、よし、サウナで元「サウナ男」の声色や抑揚等について分析でもしよう、といそいそとサウナに入ったのですが・・・あまりにも暑すぎて何も深く考えることができず、結局結論には至らずじまいです。元「サウナ男」の声が聞けるなんてまたとない機会ですのに、たいへん惜しいことをしました。
今年もあとわずか3日ですね。実は、少なくとも京都の銭湯は年末年始に大活躍します。簡単に言えば、年末は1年間の汚れを落とすために、年始は1年間分の元気をもらうために、大勢の人が銭湯を訪れるからです。去年や一昨年、12月31日に銭湯で体を洗おうと思って、住まいの近くの銭湯をいろいろ回ってみましたが、どこも人がいっぱいで、入れそうなところを見つけるのに1時間もかかってしまいました。でもそんな苦労もあって、入ってみると「やはり大晦日のお湯に勝るものはない!」と思いながら2時間ほど浸かっていました。
今年も、30日か31日に銭湯に行ってみたいと思います。混んでいるかもしれないですが、今からすごく楽しみにしています。
皆さんもどうぞ、良いお年を!
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2011-12-21 : 22:49 : admin
# 銭湯の話 その5
みなさん、こんにちは。今週もロシア語の翻訳作業を続けている T です。
先日、布団を干すことにまつわる大惨事がおきましたので、まずその話を。私は以前、友だちから昔ながらの重い掛け布団と敷き布団をもらいました。今はベッドで寝ているので、敷き布団は使っていませんが、掛け布団は寒くなった時に毎年大変愛用しています。
先週、「今年もそろそろ温かい布団を出してみようかなぁ・・・」と思って、圧縮袋から布団を出して、住んでいるアパートの屋上のオープン・スペースに2−3時間ほど干すことにしました。30分ぐらいたった頃、空模様が気になって外を見たら、すごくしっかりとした雨が降り始めていました。あわてて屋上にかけ上がると、私の布団が物干し竿ごと落ちていました。もちろん、ぬれてしまったし、所々に泥もついていました。
仕方なく、そのかわいそうな布団を部屋の中に戻しました。すると、雨が急にやんで、太陽が現れ、それと共に大変きれいな虹も出てきました。その美しさに感動しながら、京都の神様にこんなにいじめられたのは初めてかもしれないと思いました。
さて、銭湯の話も少しだけしたいと思います。私が勝手に「サウナ男」と呼んでいる人物が、先日少し奇妙な行動を取っていました。私が浴室に入ると、彼はサウナではなく、薬湯にすごく気持ちよく浸かっていたのです。そして、その姿はまるで、彼は「サウナ男」ではなく、生まれつき「薬湯男」であるかのように自然でした。彼は銭湯にいる時間の9割をその薬湯ですごしているかのようでした。
そこで、私は二つの仮説を立てました。一つ目は、私が銭湯にいない時にだけ「サウナ男」は「薬湯男」に変身してしまうということ。そして、二つ目は、「サウナ男」は実は「サウナ男」ではなく、どんなお風呂でも楽しむことができる銭湯のお客さん(つまり、彼のことをわざわざ「サウナ男」と呼ばなくても良い)ということ。
おそらく、答えはその二つの仮説の間にあります。ですから、「サウナ男」の定義を改めますと、彼は「サウナにいることが大好きな銭湯の一般のお客さん」ということになります。
「どんなに信憑性のある神話でも、いずれこのように崩れていくものなのか・・・」と悟ったところで、翻訳作業に戻ります。
先日、布団を干すことにまつわる大惨事がおきましたので、まずその話を。私は以前、友だちから昔ながらの重い掛け布団と敷き布団をもらいました。今はベッドで寝ているので、敷き布団は使っていませんが、掛け布団は寒くなった時に毎年大変愛用しています。
先週、「今年もそろそろ温かい布団を出してみようかなぁ・・・」と思って、圧縮袋から布団を出して、住んでいるアパートの屋上のオープン・スペースに2−3時間ほど干すことにしました。30分ぐらいたった頃、空模様が気になって外を見たら、すごくしっかりとした雨が降り始めていました。あわてて屋上にかけ上がると、私の布団が物干し竿ごと落ちていました。もちろん、ぬれてしまったし、所々に泥もついていました。
仕方なく、そのかわいそうな布団を部屋の中に戻しました。すると、雨が急にやんで、太陽が現れ、それと共に大変きれいな虹も出てきました。その美しさに感動しながら、京都の神様にこんなにいじめられたのは初めてかもしれないと思いました。
さて、銭湯の話も少しだけしたいと思います。私が勝手に「サウナ男」と呼んでいる人物が、先日少し奇妙な行動を取っていました。私が浴室に入ると、彼はサウナではなく、薬湯にすごく気持ちよく浸かっていたのです。そして、その姿はまるで、彼は「サウナ男」ではなく、生まれつき「薬湯男」であるかのように自然でした。彼は銭湯にいる時間の9割をその薬湯ですごしているかのようでした。
そこで、私は二つの仮説を立てました。一つ目は、私が銭湯にいない時にだけ「サウナ男」は「薬湯男」に変身してしまうということ。そして、二つ目は、「サウナ男」は実は「サウナ男」ではなく、どんなお風呂でも楽しむことができる銭湯のお客さん(つまり、彼のことをわざわざ「サウナ男」と呼ばなくても良い)ということ。
おそらく、答えはその二つの仮説の間にあります。ですから、「サウナ男」の定義を改めますと、彼は「サウナにいることが大好きな銭湯の一般のお客さん」ということになります。
「どんなに信憑性のある神話でも、いずれこのように崩れていくものなのか・・・」と悟ったところで、翻訳作業に戻ります。
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