2016-11-22 : 22:37 : admin
こんにちは。さふらんです。
アメリカで大統領選挙が衝撃的な結末を迎えたその同じ日、実は、その衝撃に負けないくらいの出来事がインドでも起こっていました。インドの最高額紙幣である1,000ルピー紙幣と、その次に高額な紙幣である500ルピー紙幣のdemonetization です。(1ルピーは約1.6円)
この、demonetization という単語、みなさんご存知でしょうか。少なくとも私はこれまで見たことのない単語でした。意味は文字通り、通貨を無効にすること、日本語では「廃貨」という言葉が使われるようです。
11月8日夜、インドのモディ首相は全国民に向けたスピーチでこの高額紙幣の廃貨を突然、発表しました。日本で言えば、ある日唐突に首相が、現行の一万円札と五千円札は今からただの紙になります、告げるようなものです。
参考:モディ首相のスピーチ動画(9分55秒頃から、demonetizationが宣言されます)
https://youtu.be/DjiFCLb7hOI
この突然の廃貨政策の目的としては、腐敗・汚職、偽札の偽造、犯罪などに使われるいわゆるブラックマネーの根絶が挙げられ、以下のことが明らかにされています。
・11月8日深夜に現行の500ルピー及び1,000ルピー紙幣の貨幣としての価値は失効。
・11月9日(一部の地域では11月10日)は混乱を避けるため、銀行、ATMは全国的にクローズ。
・11月10日に500ルピーと2,000ルピーの新紙幣が発行される。(1,000ルピー札は廃止)
・人道的措置として、demonetization 発表後72時間後(11月11日深夜)までは、政府系病院や薬局、鉄道や国営バスなどの公共交通機関、公営のガソリンスタンドなどで旧紙幣での支払いを受け付ける。(※のちにこの期限は延長されました)
・旧紙幣を銀行や郵便局に預け、新紙幣で引き出すことにより、旧紙幣と新紙幣の交換は可能(12月30日まで、約50日間の猶予)
・銀行等からの引出額には上限を設ける(当座は10,000ルピー/日、20,000ルピー/週。上限ラインは12月30日まで段階的に引き上げていく)
この政策を受け、インド国民の間ではこれをかつてない英断と評価する人、現金取引が主流を占めるインドの経済を混乱に陥れるものと批判する人など、賛否両論が見られます。そして現実的には、全国各地でこの政策に端を発する混乱が起きています。
次回はこの政策に対するインド国内の反応、そしてdemonetizationの影響としてインド各地で起きた(起きている)出来事について、引き続きレポートしたいと思います。
アメリカで大統領選挙が衝撃的な結末を迎えたその同じ日、実は、その衝撃に負けないくらいの出来事がインドでも起こっていました。インドの最高額紙幣である1,000ルピー紙幣と、その次に高額な紙幣である500ルピー紙幣のdemonetization です。(1ルピーは約1.6円)
この、demonetization という単語、みなさんご存知でしょうか。少なくとも私はこれまで見たことのない単語でした。意味は文字通り、通貨を無効にすること、日本語では「廃貨」という言葉が使われるようです。
11月8日夜、インドのモディ首相は全国民に向けたスピーチでこの高額紙幣の廃貨を突然、発表しました。日本で言えば、ある日唐突に首相が、現行の一万円札と五千円札は今からただの紙になります、告げるようなものです。
参考:モディ首相のスピーチ動画(9分55秒頃から、demonetizationが宣言されます)
https://youtu.be/DjiFCLb7hOI
この突然の廃貨政策の目的としては、腐敗・汚職、偽札の偽造、犯罪などに使われるいわゆるブラックマネーの根絶が挙げられ、以下のことが明らかにされています。
・11月8日深夜に現行の500ルピー及び1,000ルピー紙幣の貨幣としての価値は失効。
・11月9日(一部の地域では11月10日)は混乱を避けるため、銀行、ATMは全国的にクローズ。
・11月10日に500ルピーと2,000ルピーの新紙幣が発行される。(1,000ルピー札は廃止)
・人道的措置として、demonetization 発表後72時間後(11月11日深夜)までは、政府系病院や薬局、鉄道や国営バスなどの公共交通機関、公営のガソリンスタンドなどで旧紙幣での支払いを受け付ける。(※のちにこの期限は延長されました)
・旧紙幣を銀行や郵便局に預け、新紙幣で引き出すことにより、旧紙幣と新紙幣の交換は可能(12月30日まで、約50日間の猶予)
・銀行等からの引出額には上限を設ける(当座は10,000ルピー/日、20,000ルピー/週。上限ラインは12月30日まで段階的に引き上げていく)
この政策を受け、インド国民の間ではこれをかつてない英断と評価する人、現金取引が主流を占めるインドの経済を混乱に陥れるものと批判する人など、賛否両論が見られます。そして現実的には、全国各地でこの政策に端を発する混乱が起きています。
次回はこの政策に対するインド国内の反応、そしてdemonetizationの影響としてインド各地で起きた(起きている)出来事について、引き続きレポートしたいと思います。
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2016-11-15 : 22:54 : admin
さふらんです。遠くに見える山々が神々しく冠雪する季節になりました。町を歩けば庭木の紅葉も目に楽しく、厳しい季節が来る前の美しい行楽シーズンの到来です。
このブログでは最近、旅に関する内容を書くことが多いのですが、今日もタイトル通り、旅について思ったことを書きたいと思います。
インターネットやソーシャルネットワークサービスで、訪れたことのない場所、見たことのない風景の情報も簡単に手に入るようになり、また身近にも感じられるようになった今、旅の価値は今までにも増して、偶然の出会いや予期しなかった出来事に求められている気がします。
そう思うのは、シナリオの存在が前提のはずのテレビ番組やラジオ番組で、そういった、出会いの妙に価値を置くスタイルの番組を見る(聴く)機会が続いたからかもしれません。
今にして思えばそのはしりとも言えるのは、もはや長寿番組になっている民放のバラエティ番組でしょう。「第一村人発見」のフレーズで有名なかの番組では、取材班が地図のダーツの矢が当たった場所(多くの場合、田舎)に出かけ、そこで出会った人々にインタビューをして、なんの変哲もない場所で日常を営む普通の人々の予想外の面白発言や、思いがけない深い人生の軌跡、その土地ならではの小さな逸話などが発掘されていきます。
また、同じようなことを芸能人が行うNHKの番組では、メインキャストであるベテランの芸能人とその回時々のゲスト芸能人が、地方の町を歩き回り、そこで出会った人と話をし、その人に紹介された場所や人を辿ってまた別の人に出会ったり何かを発見したり、という形で、旅が、番組が進んでいきます。
行き当たりばったりの旅に通じるその感覚において、最近一番面白かった番組は、BBCの”Where are you going”というラジオドキュメンタリーでした。タイトルが示す通り、インタビュアーの女性が世界の様々な場所で、偶然出会った人に”Where are you going ?”と問いかけることから番組は始まります。現在インターネットのポッドキャストでは、アメリカ・ニューヨーク、オランダ・アムステルダム、インド・コルカタ、そしてフランス・カレー郊外の難民キャンプの回が公開されていて、それぞれの場所で思いがけないストーリーが次から次へと繰り広げられます。中でも強烈だったのはニューヨークの公園で鳩を捕まえる薬物中毒の老人の話でした。他にも、”Where are you going?” このシンプルな一言をきっかけに語られる普通の人々の、日常を切り取ったストーリーはどれも驚くほど力強く、思わず引き込まれてしまいます。
(参考URL)
http://www.bbc.co.uk/programmes/p03pc1jn
こういった、その場の出会いや偶然によってストーリーが生まれていく様子は、自分がバックパッカーとして旅をしていた時のことを思い出させます。行き先も泊まる場所も決めない旅で出会う人や見かける風景は、その一つ一つが偶然の産物で、一回性の、唯一無二の価値を持っていました。
そのような形で出会った人との会話は、必ずしも人生において重要な意味を持つわけではなくとも、不思議と記憶に残っていたりするもので、今でもそういった旅の瞬間をふと思い返すと、懐かしいような、実に遠くまで行ったような気持ちになります。そして個人的にはそのような感覚こそが、旅の真髄のように感じられます。そういった旅に、はたして今度はいつ出られるかはわかりませんが、それまでは、今日紹介したような行き当たりばったりの旅番組を楽しみたいと思います。
このブログでは最近、旅に関する内容を書くことが多いのですが、今日もタイトル通り、旅について思ったことを書きたいと思います。
インターネットやソーシャルネットワークサービスで、訪れたことのない場所、見たことのない風景の情報も簡単に手に入るようになり、また身近にも感じられるようになった今、旅の価値は今までにも増して、偶然の出会いや予期しなかった出来事に求められている気がします。
そう思うのは、シナリオの存在が前提のはずのテレビ番組やラジオ番組で、そういった、出会いの妙に価値を置くスタイルの番組を見る(聴く)機会が続いたからかもしれません。
今にして思えばそのはしりとも言えるのは、もはや長寿番組になっている民放のバラエティ番組でしょう。「第一村人発見」のフレーズで有名なかの番組では、取材班が地図のダーツの矢が当たった場所(多くの場合、田舎)に出かけ、そこで出会った人々にインタビューをして、なんの変哲もない場所で日常を営む普通の人々の予想外の面白発言や、思いがけない深い人生の軌跡、その土地ならではの小さな逸話などが発掘されていきます。
また、同じようなことを芸能人が行うNHKの番組では、メインキャストであるベテランの芸能人とその回時々のゲスト芸能人が、地方の町を歩き回り、そこで出会った人と話をし、その人に紹介された場所や人を辿ってまた別の人に出会ったり何かを発見したり、という形で、旅が、番組が進んでいきます。
行き当たりばったりの旅に通じるその感覚において、最近一番面白かった番組は、BBCの”Where are you going”というラジオドキュメンタリーでした。タイトルが示す通り、インタビュアーの女性が世界の様々な場所で、偶然出会った人に”Where are you going ?”と問いかけることから番組は始まります。現在インターネットのポッドキャストでは、アメリカ・ニューヨーク、オランダ・アムステルダム、インド・コルカタ、そしてフランス・カレー郊外の難民キャンプの回が公開されていて、それぞれの場所で思いがけないストーリーが次から次へと繰り広げられます。中でも強烈だったのはニューヨークの公園で鳩を捕まえる薬物中毒の老人の話でした。他にも、”Where are you going?” このシンプルな一言をきっかけに語られる普通の人々の、日常を切り取ったストーリーはどれも驚くほど力強く、思わず引き込まれてしまいます。
(参考URL)
http://www.bbc.co.uk/programmes/p03pc1jn
こういった、その場の出会いや偶然によってストーリーが生まれていく様子は、自分がバックパッカーとして旅をしていた時のことを思い出させます。行き先も泊まる場所も決めない旅で出会う人や見かける風景は、その一つ一つが偶然の産物で、一回性の、唯一無二の価値を持っていました。
そのような形で出会った人との会話は、必ずしも人生において重要な意味を持つわけではなくとも、不思議と記憶に残っていたりするもので、今でもそういった旅の瞬間をふと思い返すと、懐かしいような、実に遠くまで行ったような気持ちになります。そして個人的にはそのような感覚こそが、旅の真髄のように感じられます。そういった旅に、はたして今度はいつ出られるかはわかりませんが、それまでは、今日紹介したような行き当たりばったりの旅番組を楽しみたいと思います。
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2016-10-18 : 23:15 : admin
こんにちは、さふらんです。
インド旅行記も最終回。今回はポンディシェリからチェンナイに向かう道中と、久しぶりに訪れたチェンナイの様子について紹介したいと思います。
ポンディシェリからチェンナイまでは車で3時間ほどの道のりです。
うだるような暑さの中、突如涼しげな風景が目に入ってきました。

妹尾河童による伝説のインド本『河童が覗いたインド』でも登場する塩田です!興奮した様子を察してタクシーの運転手が車を停めてくれました。休憩する運転手を尻目に、塩田に降りてみます。遠目に異世界のように見えた塩田ですが、近寄ってみるとやはりそこは生産の場所。多くの人々がかごに入れた塩を頭に載せて運んでいました。

その後も車窓を流れる景色に飽きることなく、あっという間にたどり着いたチェンナイでは、昔の同僚がお昼をご馳走してくれました。街中の食堂で、「ミールス」と呼ばれる定食です。皿に敷かれたバナナの葉(皿そのものがバナナの葉のお店もありますが)と、真ん中にどんと鎮座する存在感のあるライスが南インドを感じさせます。

チェンナイは、タミル・ナドゥ州の州都です。インド国民の約四割の人々の母語であるヒンディー語がインドという多民族国家の中で当たり前に主流となることに反発する、地域主義の州、誇り高きドラヴィダ民の都でもあります。
そのような事情もあって、2009年頃、街中の商業看板は全てタミル語とすること、英語の看板にはタミル語を併記すること、というおふれが出されました。結果、スターバックスのネオンもご覧の通りです。

こうしてみると、チェーン店のトレードマークは偉大です。文字が一文字も読めなくても、スターバックスだと分かるのですから。
さて、今回は人に会うことが主目的の旅で、観光らしい観光はできませんでしたが、散歩や移動の途中で出会った風景が心に残る充実した旅でした。
最後に南国コロニアルな雰囲気が溢れるチェンナイのホテルのプールサイドの風景を紹介して、インド旅行記を終わりたいと思います。次はいつインドを訪れることができるでしょうか…。

インド旅行記も最終回。今回はポンディシェリからチェンナイに向かう道中と、久しぶりに訪れたチェンナイの様子について紹介したいと思います。
ポンディシェリからチェンナイまでは車で3時間ほどの道のりです。
うだるような暑さの中、突如涼しげな風景が目に入ってきました。
妹尾河童による伝説のインド本『河童が覗いたインド』でも登場する塩田です!興奮した様子を察してタクシーの運転手が車を停めてくれました。休憩する運転手を尻目に、塩田に降りてみます。遠目に異世界のように見えた塩田ですが、近寄ってみるとやはりそこは生産の場所。多くの人々がかごに入れた塩を頭に載せて運んでいました。
その後も車窓を流れる景色に飽きることなく、あっという間にたどり着いたチェンナイでは、昔の同僚がお昼をご馳走してくれました。街中の食堂で、「ミールス」と呼ばれる定食です。皿に敷かれたバナナの葉(皿そのものがバナナの葉のお店もありますが)と、真ん中にどんと鎮座する存在感のあるライスが南インドを感じさせます。
チェンナイは、タミル・ナドゥ州の州都です。インド国民の約四割の人々の母語であるヒンディー語がインドという多民族国家の中で当たり前に主流となることに反発する、地域主義の州、誇り高きドラヴィダ民の都でもあります。
そのような事情もあって、2009年頃、街中の商業看板は全てタミル語とすること、英語の看板にはタミル語を併記すること、というおふれが出されました。結果、スターバックスのネオンもご覧の通りです。
こうしてみると、チェーン店のトレードマークは偉大です。文字が一文字も読めなくても、スターバックスだと分かるのですから。
さて、今回は人に会うことが主目的の旅で、観光らしい観光はできませんでしたが、散歩や移動の途中で出会った風景が心に残る充実した旅でした。
最後に南国コロニアルな雰囲気が溢れるチェンナイのホテルのプールサイドの風景を紹介して、インド旅行記を終わりたいと思います。次はいつインドを訪れることができるでしょうか…。
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2016-08-30 : 23:42 : admin
こんにちは、さふらんです。
朝夕の暑さが和らぎ、秋の気配を感じる季節になりました。
今回はインド旅行記4回目。南インドにあるポンディシェリの街の様子を紹介したいと思います。
前回も書きましたが、ポンディシェリの特徴は、英国の植民地だった大部分のインドとは異なりフランスの植民地だったことです。その影響もあって、街にも他のインドの街には見られない独特の趣があります。
日差しがまだ柔らかい早朝に、海辺を目指して街を散歩をしてみました。通りの名前を示す看板にはタミル語とフランス語が併記されています。街にはブーゲンビリアやプルメリア、コンナ(南インドでよく見られる黄色い花)の花が咲き乱れ、中には木が家と一体化して、まるで家が花に包まれているように見える場所もありました。
野良犬が多くいて、多くは道に寝そべったり、優雅に歩いていたり。まだ狂犬病があるインドでは野良犬を見ると身構えてしまう時もあるのですが、ここの犬たちはあまりにものんびりとしていてそんな心配も杞憂に思えるほどです。
海岸通りでは多くの人が散歩をしていました。朝の運動に早足で歩く人、家族や友達とおしゃべりしながらゆっくり歩く人。また、ベンチに座って語り合う人々や、砂浜で瞑想する人、ヨガをする人、寝転んでいる犬…。
次第に上ってくる太陽の光と、打ち寄せる波音の中で皆それぞれに朝の時間を過ごしている様子がとても平和で、そして爽やかでした。
帰り道にもちらほらと変わった風景に遭遇しました。フレンチ・クオータ(フランス地区)のおしゃれな壁。お店の看板を兼ねているようです。
なんの変哲も無い建物の、壁だけがなぜか精巧なモザイクのようになっているのも不思議でした。

そして白眉は丸い玄関。ポストもあって、商業施設などではなく一般家屋のようですが、なんともいえず可愛らしく斬新です。端々に住む人々の遊び心を感じる街並みで、散歩をしていて飽きることがありません。

タミル地区、フランス地区、イスラム地区、の三つに分かれているというポンディシェリの街で、今回歩いてみることができたのはタミル地区とフランス地区だけでした。イスラム地区がどのような雰囲気なのか、次回この街を訪れる機会があれば是非歩いてみたいものです。
さて、次回は旅も終盤。チェンナイと、そこに向かう道中の話を紹介して、2016年のインド旅行記も終わりにしたいと思います。
朝夕の暑さが和らぎ、秋の気配を感じる季節になりました。
今回はインド旅行記4回目。南インドにあるポンディシェリの街の様子を紹介したいと思います。
前回も書きましたが、ポンディシェリの特徴は、英国の植民地だった大部分のインドとは異なりフランスの植民地だったことです。その影響もあって、街にも他のインドの街には見られない独特の趣があります。
日差しがまだ柔らかい早朝に、海辺を目指して街を散歩をしてみました。通りの名前を示す看板にはタミル語とフランス語が併記されています。街にはブーゲンビリアやプルメリア、コンナ(南インドでよく見られる黄色い花)の花が咲き乱れ、中には木が家と一体化して、まるで家が花に包まれているように見える場所もありました。
野良犬が多くいて、多くは道に寝そべったり、優雅に歩いていたり。まだ狂犬病があるインドでは野良犬を見ると身構えてしまう時もあるのですが、ここの犬たちはあまりにものんびりとしていてそんな心配も杞憂に思えるほどです。
海岸通りでは多くの人が散歩をしていました。朝の運動に早足で歩く人、家族や友達とおしゃべりしながらゆっくり歩く人。また、ベンチに座って語り合う人々や、砂浜で瞑想する人、ヨガをする人、寝転んでいる犬…。
次第に上ってくる太陽の光と、打ち寄せる波音の中で皆それぞれに朝の時間を過ごしている様子がとても平和で、そして爽やかでした。
帰り道にもちらほらと変わった風景に遭遇しました。フレンチ・クオータ(フランス地区)のおしゃれな壁。お店の看板を兼ねているようです。
なんの変哲も無い建物の、壁だけがなぜか精巧なモザイクのようになっているのも不思議でした。
そして白眉は丸い玄関。ポストもあって、商業施設などではなく一般家屋のようですが、なんともいえず可愛らしく斬新です。端々に住む人々の遊び心を感じる街並みで、散歩をしていて飽きることがありません。
タミル地区、フランス地区、イスラム地区、の三つに分かれているというポンディシェリの街で、今回歩いてみることができたのはタミル地区とフランス地区だけでした。イスラム地区がどのような雰囲気なのか、次回この街を訪れる機会があれば是非歩いてみたいものです。
さて、次回は旅も終盤。チェンナイと、そこに向かう道中の話を紹介して、2016年のインド旅行記も終わりにしたいと思います。
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2016-07-19 : 23:22 : admin
こんにちは、さふらんです。
今回はインド旅行紀三回目。慌ただしくデリーでの時間を過ごした後、国内線に乗ってチェンナイに飛びました。そして空港でタクシーを拾い、そのまま約二、三時間南下して、目指したのはポンディシェリ(現在ではプドゥチェリと呼ばれていますが、ここでは一般的な知名度の高いポンディシェリを採用します)です。
ポンディシェリは植民地時代フランスの統治下にあった地域で、地図を見るとタミルナドゥ州の中の一地域のような位置にありますが、行政区画上は連邦直轄地であり、州政府に準ずる独自の統治機構も持っています。
町は、タミル地区とフランス地区、そしてイスラム教徒が多く住むムスリム地区の三地区で構成され、それぞれに特色のある町並みになっています。
今回宿泊したホテルはタミル地区にある、古い民家を改装したホテルでした。ステンドグラスが白壁に映えます。

また中庭には大きな水鉢と(中にはメダカと金魚が泳いでいます)、それを取り囲む緑が溢れ、いかにも南国の雰囲気です。

南インド地方の民家を見ていて日本人として興味深いのは、しばしば赤茶色の瓦を目にすることです。このホテルもそうでした。
この瓦、沢山の薄い瓦をひたすら重ねてあるだけのように思えます。下から見上げるとこんな感じ。
こういった、昔の建物を改装した雰囲気のあるホテルが、最近はインドでも増えてきました。一方でチェーン展開する高級ホテルやビジネスホテルも隆盛で、一般にインドの旅行はとても便利になってきましたが、こうした雰囲気のあるホテルは、その空間の中でゆっくりとした時間の流れを楽しむには最高です。
次回は町の様子を紹介したいと思います。
今回はインド旅行紀三回目。慌ただしくデリーでの時間を過ごした後、国内線に乗ってチェンナイに飛びました。そして空港でタクシーを拾い、そのまま約二、三時間南下して、目指したのはポンディシェリ(現在ではプドゥチェリと呼ばれていますが、ここでは一般的な知名度の高いポンディシェリを採用します)です。
ポンディシェリは植民地時代フランスの統治下にあった地域で、地図を見るとタミルナドゥ州の中の一地域のような位置にありますが、行政区画上は連邦直轄地であり、州政府に準ずる独自の統治機構も持っています。
町は、タミル地区とフランス地区、そしてイスラム教徒が多く住むムスリム地区の三地区で構成され、それぞれに特色のある町並みになっています。
今回宿泊したホテルはタミル地区にある、古い民家を改装したホテルでした。ステンドグラスが白壁に映えます。

また中庭には大きな水鉢と(中にはメダカと金魚が泳いでいます)、それを取り囲む緑が溢れ、いかにも南国の雰囲気です。

南インド地方の民家を見ていて日本人として興味深いのは、しばしば赤茶色の瓦を目にすることです。このホテルもそうでした。
この瓦、沢山の薄い瓦をひたすら重ねてあるだけのように思えます。下から見上げるとこんな感じ。
こういった、昔の建物を改装した雰囲気のあるホテルが、最近はインドでも増えてきました。一方でチェーン展開する高級ホテルやビジネスホテルも隆盛で、一般にインドの旅行はとても便利になってきましたが、こうした雰囲気のあるホテルは、その空間の中でゆっくりとした時間の流れを楽しむには最高です。
次回は町の様子を紹介したいと思います。
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2016-06-21 : 23:12 : admin
こんにちは、さふらんです。
ついに梅雨入り、湿度の高い日々が続きます。今日はインド旅行記の第二弾です。
五月の強烈な日差しの中、インドの国立博物館に向かいました。
官庁街の近くに位置するデリーの主要観光地の一つですが、オフシーズンということもあってか人影はまばら、その多くがインド人のようでした。入場料はインド人が20ルピー(約30円)、外国人は650ルピー(約1,300円)。カメラの持ち込みは300ルピーと聞いていましたがなぜかその日は無料で、入場料を払っただけで写真は撮りたい放題でした。
展示室に向かう廊下から、既に時代がかった石像が所狭しと並んでいます。
建物は、円形の中庭を回廊が囲むような形になっていて、回廊から円の外に向かうように展示室がひろがっているのですが、一つの部屋の入り口がそのまま次の部屋の入り口になっていて、かなり入り組んだ構造。展示品に没頭しているとあっという間に自分がどこにいるか分からなくなってしまいます。
展示内容も様々ですが、とにかく量が多い!インダス文明時代の石像から始まり、まずは延々と石像が続きます。少し飽きてきた頃、やけにリアルな茄子が目にとまりました。
20世紀ラジャスタン地方のお香入れとのこと。いかにも遺跡、といった展示物が多い中、日本の合羽橋からやってきたようなその形はどこかユーモラスです。
石像が終わると、細密画が始まります。これも時代や場所、流派など様々なものがあり、細密画だけに一枚一枚に書き込まれている世界観が細かく、それを鑑賞しているだけであっという間に時間が過ぎていきます。
次の予定が迫ってきたので、真鍮のコーナーは飛ばし、ここだけ警備員がいた(ただし退屈そうにぶらぶらしている)、宝飾品のコーナーへ。いかにもインド、といった豪華なデザインの宝飾品の数々が、薄暗い展示室で照明に浮かび上がり、ロマンチッックな空間でした。
そうこうしているうちにあっという間に約三時間が過ぎましたが、鑑賞できたのは博物館の半分程でしょうか、それも急ぎ足で。
これだけ多くの貴重な展示品が、これだけの規模で、ある意味 無造作とも見えるほど野放途に展示されている様子は圧巻でした。このどれか一つをとっても、日本で展示すれば厳重な展示体制で、多くの来場者が見込めそうに思えるのです。いろいろな意味でインドの豊かさを感じたひと時でした。
ついに梅雨入り、湿度の高い日々が続きます。今日はインド旅行記の第二弾です。
五月の強烈な日差しの中、インドの国立博物館に向かいました。
官庁街の近くに位置するデリーの主要観光地の一つですが、オフシーズンということもあってか人影はまばら、その多くがインド人のようでした。入場料はインド人が20ルピー(約30円)、外国人は650ルピー(約1,300円)。カメラの持ち込みは300ルピーと聞いていましたがなぜかその日は無料で、入場料を払っただけで写真は撮りたい放題でした。
展示室に向かう廊下から、既に時代がかった石像が所狭しと並んでいます。
建物は、円形の中庭を回廊が囲むような形になっていて、回廊から円の外に向かうように展示室がひろがっているのですが、一つの部屋の入り口がそのまま次の部屋の入り口になっていて、かなり入り組んだ構造。展示品に没頭しているとあっという間に自分がどこにいるか分からなくなってしまいます。
展示内容も様々ですが、とにかく量が多い!インダス文明時代の石像から始まり、まずは延々と石像が続きます。少し飽きてきた頃、やけにリアルな茄子が目にとまりました。
20世紀ラジャスタン地方のお香入れとのこと。いかにも遺跡、といった展示物が多い中、日本の合羽橋からやってきたようなその形はどこかユーモラスです。
石像が終わると、細密画が始まります。これも時代や場所、流派など様々なものがあり、細密画だけに一枚一枚に書き込まれている世界観が細かく、それを鑑賞しているだけであっという間に時間が過ぎていきます。
次の予定が迫ってきたので、真鍮のコーナーは飛ばし、ここだけ警備員がいた(ただし退屈そうにぶらぶらしている)、宝飾品のコーナーへ。いかにもインド、といった豪華なデザインの宝飾品の数々が、薄暗い展示室で照明に浮かび上がり、ロマンチッックな空間でした。
そうこうしているうちにあっという間に約三時間が過ぎましたが、鑑賞できたのは博物館の半分程でしょうか、それも急ぎ足で。
これだけ多くの貴重な展示品が、これだけの規模で、ある意味 無造作とも見えるほど野放途に展示されている様子は圧巻でした。このどれか一つをとっても、日本で展示すれば厳重な展示体制で、多くの来場者が見込めそうに思えるのです。いろいろな意味でインドの豊かさを感じたひと時でした。
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2016-05-24 : 22:40 : admin
こんにちは、さふらんです。
今年のゴールデンウィークは三年ぶりにインドに行ってきました。今回はその時の様子を書いてみたいと思います。
日本でも例年にない暑さが話題になっていますが、インドでも先日、遂に史上最高気温の51度が記録されました。日本の7月、8月にあたるのがインドでは5月、6月。つまり日本の行楽シーズンであるゴールデンウィークは、インドでは一年で最も暑い季節です。本来ならインドへの旅行は避けたい季節ですが、そこはサラリーマンの悲しい性で、ここしかまとまった休みがとれません。真夏のインドに敢えて飛び込んでいく形になりました。
成田を夕方5時に出発する全日空の直行便がデリーの空港に着くのは夜中の12時過ぎ。三時間半の時差を含め、約10時間のフライトになります。降り立ったのは数年前に改装が施され、初めてインドに行った時とはすっかり様変わりしたデリーの空港です。
事前に予約したホテルの迎えの人とも無事落ち合うことができ(余談ですが、もう何度も渡航したことがあり、生活していたこともあるインドですが、特に夜に到着する際は必ず空港まで迎えを頼むことにしています)、そのまま空港近くのホリデー・インに向かいます。
迎えにきてくれたホテル付きのタクシーの運転手さんは、気さくな人で、短い道中にデリーがいかに様変わりしたか、を話してくれました。新しい大きなホテルも次々に建っていること、自分も以前はチェーン展開する別の高級ホテルで運転手をしていたが、田舎の家族の病気で一時期デリーを離れていたこと、久しぶりにデリーに戻ったら友達の紹介ですぐに今の職にありつけたこと、など。
やはり時差のせいで、翌朝は早く目が覚めました。荒野の中のオアシスにも見える眼下のプールでは、6時半きっかりに水の交換が始まり、従業員の男性がビーチチェアにマットレスを敷いたり、パラソルを広げたり、テキパキと働き始めます。

朝食の前にホテルの周りを散歩してみました。すでに猛暑の兆しが感じられますが、それでも美しい花が咲いていて、鳥達もにぎやかに飛び回っています。
空港近くのこの辺り、最近はエアロシティーと名前がついて、ホテルや企業の高層ビルが立ち並ぶ一大区画として整備されているようです。
確かにデリーの空港周辺はデリー市内と工業地区である近郊都市(グルガオンなど)の中間にあって、企業がオフィスを構えるには好立地なのでしょう。
徐々に明るさを増していく外の景色を見ながら朝食をとり、さて、灼熱のデリーに繰り出します。(次回に続く)

今年のゴールデンウィークは三年ぶりにインドに行ってきました。今回はその時の様子を書いてみたいと思います。
日本でも例年にない暑さが話題になっていますが、インドでも先日、遂に史上最高気温の51度が記録されました。日本の7月、8月にあたるのがインドでは5月、6月。つまり日本の行楽シーズンであるゴールデンウィークは、インドでは一年で最も暑い季節です。本来ならインドへの旅行は避けたい季節ですが、そこはサラリーマンの悲しい性で、ここしかまとまった休みがとれません。真夏のインドに敢えて飛び込んでいく形になりました。
成田を夕方5時に出発する全日空の直行便がデリーの空港に着くのは夜中の12時過ぎ。三時間半の時差を含め、約10時間のフライトになります。降り立ったのは数年前に改装が施され、初めてインドに行った時とはすっかり様変わりしたデリーの空港です。
事前に予約したホテルの迎えの人とも無事落ち合うことができ(余談ですが、もう何度も渡航したことがあり、生活していたこともあるインドですが、特に夜に到着する際は必ず空港まで迎えを頼むことにしています)、そのまま空港近くのホリデー・インに向かいます。
迎えにきてくれたホテル付きのタクシーの運転手さんは、気さくな人で、短い道中にデリーがいかに様変わりしたか、を話してくれました。新しい大きなホテルも次々に建っていること、自分も以前はチェーン展開する別の高級ホテルで運転手をしていたが、田舎の家族の病気で一時期デリーを離れていたこと、久しぶりにデリーに戻ったら友達の紹介ですぐに今の職にありつけたこと、など。
やはり時差のせいで、翌朝は早く目が覚めました。荒野の中のオアシスにも見える眼下のプールでは、6時半きっかりに水の交換が始まり、従業員の男性がビーチチェアにマットレスを敷いたり、パラソルを広げたり、テキパキと働き始めます。
朝食の前にホテルの周りを散歩してみました。すでに猛暑の兆しが感じられますが、それでも美しい花が咲いていて、鳥達もにぎやかに飛び回っています。
空港近くのこの辺り、最近はエアロシティーと名前がついて、ホテルや企業の高層ビルが立ち並ぶ一大区画として整備されているようです。
確かにデリーの空港周辺はデリー市内と工業地区である近郊都市(グルガオンなど)の中間にあって、企業がオフィスを構えるには好立地なのでしょう。
徐々に明るさを増していく外の景色を見ながら朝食をとり、さて、灼熱のデリーに繰り出します。(次回に続く)
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2016-03-15 : 23:12 : admin
さふらんです。
ようやく北陸でも温かい日が増え、春が近づいているのを感じます。雪国の行事としては、そろそろタイヤの「履き替え」の季節です。
さて、今日は前回に続いて世界の休日について。
年度がかわるこの季節、会社の休日カレンダーが発表され一喜一憂される方もいらっしゃるのではないでしょうか。
ともすれば働き蜂と揶揄されることもある我々日本人ですが、確かに日本人はよく働く、休日が少ない、という印象があります。もしかすると、海外のサラリーマンはもっと休んでいるのではないか…そんなやっかみにも近い動機で調べ始めた世界の休日についてです。
前回は、インドネシアやタイの休日にふれました。印象深かったのは、イスラム国家であるインドネシアで意外にも様々な宗教の祝祭日が見事に網羅されていること、そしてタイでは王室関連の祝祭日が多いことでした。
それでは実際のところ、日本の休日は外国に比べて少ないのでしょうか?
国際的コンサル企業のマーサーが発表している世界の法定休日ランキングを見ると、次のようになっています。
1位 インド、コロンビア 18日
2位 タイ、レバノン、韓国 16日
3位 日本、アルゼンチン、チリ、フィンランド 15日
4位 トルコ 14.5日
5位 インドネシア、マレーシア、フィリピン、ロシア…他 14日
意外にも、欧米諸国よりもアジア諸国のランキングが高いことが分かります。そしてなんと日本は3位に入っています!
ではなぜ、日本社会は休みが少ないように感じるのか。
ここでもう一つ興味深いランキングを。旅行会社のエクスペディアによる、世界の有給消化日数/有給日数ランキングです。
1位 ブラジル、フランス、スペイン (30/30)
2位 オーストリア (25/25)
3位 イタリア (21/28)
4位 インド (15/20)
(※ここでは有休消化“日数”でランク付けました)
法定休日数もさることながら、法定有給休暇の日数、そして更に重要なことにはその消化率が、実感としての休日の多寡に影響を与えている気がします。皆さんいかがでしょうか。
また、数字には表れにくい、意識の問題もあります。有給休暇の取得が義務付けられ、長期バカンスが当たり前のこととみなされている国もある一方で、有給休暇はあっても取りづらい、例え有給取ることができても遠慮してしまう。そんな国もあるのではないでしょうか。日本はどちらかという後者のような気がします。休日の問題はその社会の労働の文化と密接に関わってくるのでしょう。
ところで、前回のクイズの答を最後に。世界の多くが休みになっているのに、アメリカだけが休みではない日はいつでしょう。答:それは5月1日のメーデーでした。
ようやく北陸でも温かい日が増え、春が近づいているのを感じます。雪国の行事としては、そろそろタイヤの「履き替え」の季節です。
さて、今日は前回に続いて世界の休日について。
年度がかわるこの季節、会社の休日カレンダーが発表され一喜一憂される方もいらっしゃるのではないでしょうか。
ともすれば働き蜂と揶揄されることもある我々日本人ですが、確かに日本人はよく働く、休日が少ない、という印象があります。もしかすると、海外のサラリーマンはもっと休んでいるのではないか…そんなやっかみにも近い動機で調べ始めた世界の休日についてです。
前回は、インドネシアやタイの休日にふれました。印象深かったのは、イスラム国家であるインドネシアで意外にも様々な宗教の祝祭日が見事に網羅されていること、そしてタイでは王室関連の祝祭日が多いことでした。
それでは実際のところ、日本の休日は外国に比べて少ないのでしょうか?
国際的コンサル企業のマーサーが発表している世界の法定休日ランキングを見ると、次のようになっています。
1位 インド、コロンビア 18日
2位 タイ、レバノン、韓国 16日
3位 日本、アルゼンチン、チリ、フィンランド 15日
4位 トルコ 14.5日
5位 インドネシア、マレーシア、フィリピン、ロシア…他 14日
意外にも、欧米諸国よりもアジア諸国のランキングが高いことが分かります。そしてなんと日本は3位に入っています!
ではなぜ、日本社会は休みが少ないように感じるのか。
ここでもう一つ興味深いランキングを。旅行会社のエクスペディアによる、世界の有給消化日数/有給日数ランキングです。
1位 ブラジル、フランス、スペイン (30/30)
2位 オーストリア (25/25)
3位 イタリア (21/28)
4位 インド (15/20)
(※ここでは有休消化“日数”でランク付けました)
法定休日数もさることながら、法定有給休暇の日数、そして更に重要なことにはその消化率が、実感としての休日の多寡に影響を与えている気がします。皆さんいかがでしょうか。
また、数字には表れにくい、意識の問題もあります。有給休暇の取得が義務付けられ、長期バカンスが当たり前のこととみなされている国もある一方で、有給休暇はあっても取りづらい、例え有給取ることができても遠慮してしまう。そんな国もあるのではないでしょうか。日本はどちらかという後者のような気がします。休日の問題はその社会の労働の文化と密接に関わってくるのでしょう。
ところで、前回のクイズの答を最後に。世界の多くが休みになっているのに、アメリカだけが休みではない日はいつでしょう。答:それは5月1日のメーデーでした。
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2016-02-16 : 20:59 : admin
さふらんです。春一番が吹いたと思ったら、また冬に逆戻りしたような荒れ模様のお天気になりました。
雨や雪の日はどこにも出かけず家にこもっていたくなります。学校が、会社が、休みになればいいのに…というわけでもないですが、今回は世界の休日について考えてみたいと思います。
きっかけは、ちょうど先週あった中国のお正月、春節です。私は勤め先で海外とやり取りする仕事をしているのですが、特にアジア対応が多いこともあり、春節の時期は仕事に余裕ができ、毎年早く帰宅できる、という印象がありました。今年は中国とシンガポールが一週間丸々休みでした。
そして一日だけですが、インドネシアも春節ということで休業しました。インドネシアはイスラムの国というイメージがあったので、中国の祝日である春節が休みというのは少し意外な感じです。気になったので、インドネシアの祝日を調べてみました。(出所:ジェトロ、世界の祝祭日)
1月1日 新年
2月8日 中国暦新年
3月9日 釈迦暦新年
3月25日 キリスト受難の日
5月1日 メーデー
5月5日 キリスト昇天祭
5月6日 ムハマッド昇天祭
5月22日 仏教祭
7月4-8日 断食明け大祭
8月17日 独立記念日
9月12日 巡礼の日
10月2日 回教暦新年
12月12日 ムハマッド生誕日
12月25-26日 クリスマス
確かに、中国暦新年ということで休みになっています。そしてこうやって並べてみると、インドネシアのカレンダーには見事なまでに様々な民族/宗教が反映されていることが分かります。
もしかすると、シンガポールも似たような状況かと覗いてみると、インドの祭りであるディーパバリが休みに入って来て、また少し違う要素も見受けられます。
たまたま同時期に同僚が子会社のカレンダーをまとめていたのですが、彼女によると、タイの休日が多かったイメージとのこと。確かにタイは、仏教系の祝日が多いのですが、それに加えて国王の戴冠記念日や誕生日、王妃の誕生日までもが休日になっていて、王室関係の祝日が多い感じです。
と、興味が尽きないのでこの話題、次回ももう少し続けてみたいと思います。
せっかくなので一つクイズを。休日と言えば私の知るところ、世界の多くが休みにしているのに、アメリカだけが休みにしていない日が一年のうち一日あります。どの日か分かりますか。正解は次回に!
雨や雪の日はどこにも出かけず家にこもっていたくなります。学校が、会社が、休みになればいいのに…というわけでもないですが、今回は世界の休日について考えてみたいと思います。
きっかけは、ちょうど先週あった中国のお正月、春節です。私は勤め先で海外とやり取りする仕事をしているのですが、特にアジア対応が多いこともあり、春節の時期は仕事に余裕ができ、毎年早く帰宅できる、という印象がありました。今年は中国とシンガポールが一週間丸々休みでした。
そして一日だけですが、インドネシアも春節ということで休業しました。インドネシアはイスラムの国というイメージがあったので、中国の祝日である春節が休みというのは少し意外な感じです。気になったので、インドネシアの祝日を調べてみました。(出所:ジェトロ、世界の祝祭日)
1月1日 新年
2月8日 中国暦新年
3月9日 釈迦暦新年
3月25日 キリスト受難の日
5月1日 メーデー
5月5日 キリスト昇天祭
5月6日 ムハマッド昇天祭
5月22日 仏教祭
7月4-8日 断食明け大祭
8月17日 独立記念日
9月12日 巡礼の日
10月2日 回教暦新年
12月12日 ムハマッド生誕日
12月25-26日 クリスマス
確かに、中国暦新年ということで休みになっています。そしてこうやって並べてみると、インドネシアのカレンダーには見事なまでに様々な民族/宗教が反映されていることが分かります。
もしかすると、シンガポールも似たような状況かと覗いてみると、インドの祭りであるディーパバリが休みに入って来て、また少し違う要素も見受けられます。
たまたま同時期に同僚が子会社のカレンダーをまとめていたのですが、彼女によると、タイの休日が多かったイメージとのこと。確かにタイは、仏教系の祝日が多いのですが、それに加えて国王の戴冠記念日や誕生日、王妃の誕生日までもが休日になっていて、王室関係の祝日が多い感じです。
と、興味が尽きないのでこの話題、次回ももう少し続けてみたいと思います。
せっかくなので一つクイズを。休日と言えば私の知るところ、世界の多くが休みにしているのに、アメリカだけが休みにしていない日が一年のうち一日あります。どの日か分かりますか。正解は次回に!
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2016-01-19 : 21:30 : admin
いよいよ冬も本番、寒さの厳しい季節になりました。さふらんです。
さて、地元を旅する熱が再燃し、先日、富山県が昨年10月から運行を開始した 観光列車、ベル・モンターニュ・エ・メール(belles montagnes et mer) =通称べるもんた、に乗ってきました。
名前が表す通り、運行区間は高岡駅を起点としてmer(海)を目指す氷見線と、montagnes (山)に向かう城端線。各路線約一時間、運行は週末限定のこぢんまりとした観光列車です。運行開始直後は地元でも話題になり、切符を買うのも難しかったのですが、当座二月末までの期間限定という話を聞いて、試しに予約してみたところすんなり切符がとれました。
目指すは山路線の終点、城端です。まずは高岡駅でべるもんたの車両にご対面。楽しみにしていただけにその姿を見ただけでワクワクします。

早速車内に乗り込むと、大きくとった窓や欄間の飾り、突き当たりには寿司職人、ボックス席には折りたたみ式のテーブル。車内を一通り見物し席につくと電車が動き始めました。

と、背後から聞こえてきたのは乗車されていた観光ボランティアの方の解説です。通り過ぎる駅々の伝統的な工芸品やイベントの紹介から、ちょっとした地元経済事情、はてはガイドさんの自宅のお正月料理の紹介まで、一言でも聞き漏らすのが勿体無いほどさまざまな情報がもたらされる中、予約しておいたお寿司が運ばれてきました。

数は五貫と少ないものの、白エビ昆布軍艦にのどぐろなど、地域色溢れるネタが厳選されています。舌鼓をうっていると、駅で垂れ幕を持って迎えてくれる皆さんの姿が見えました。
そして車内の雰囲気も盛り上がりを見せた頃、ガイドさんの、到着まであと五分の声。そこから地元民謡の合唱が始まり、一両編成の一体感もあいまって、べるもんたは大団円の中、終点に到着したのでした。
地元の魅力を目にも舌にも耳にも感じることができた小旅行でしたが、一番印象的だったのは、観光ガイドさん始め、沿線の人々の歓迎ぶりでした。車内で立ち続けながら解説をしてくれる人、各駅で出迎えてくれる人、そして沿線の田んぼから手を振ってくれた人の傍らには少ない雪をかき集めて作ったと思われる雪だるまがあり、車窓からそれを見たときは地元民ながら感動しました。一躍有名になった「おもてなし」という言葉ですが、実際にそれを体験すると、無条件に歓迎を受けることがいかにうれしいものかが実感できました。

さて、地元を旅する熱が再燃し、先日、富山県が昨年10月から運行を開始した 観光列車、ベル・モンターニュ・エ・メール(belles montagnes et mer) =通称べるもんた、に乗ってきました。
名前が表す通り、運行区間は高岡駅を起点としてmer(海)を目指す氷見線と、montagnes (山)に向かう城端線。各路線約一時間、運行は週末限定のこぢんまりとした観光列車です。運行開始直後は地元でも話題になり、切符を買うのも難しかったのですが、当座二月末までの期間限定という話を聞いて、試しに予約してみたところすんなり切符がとれました。
目指すは山路線の終点、城端です。まずは高岡駅でべるもんたの車両にご対面。楽しみにしていただけにその姿を見ただけでワクワクします。

早速車内に乗り込むと、大きくとった窓や欄間の飾り、突き当たりには寿司職人、ボックス席には折りたたみ式のテーブル。車内を一通り見物し席につくと電車が動き始めました。

と、背後から聞こえてきたのは乗車されていた観光ボランティアの方の解説です。通り過ぎる駅々の伝統的な工芸品やイベントの紹介から、ちょっとした地元経済事情、はてはガイドさんの自宅のお正月料理の紹介まで、一言でも聞き漏らすのが勿体無いほどさまざまな情報がもたらされる中、予約しておいたお寿司が運ばれてきました。

数は五貫と少ないものの、白エビ昆布軍艦にのどぐろなど、地域色溢れるネタが厳選されています。舌鼓をうっていると、駅で垂れ幕を持って迎えてくれる皆さんの姿が見えました。
そして車内の雰囲気も盛り上がりを見せた頃、ガイドさんの、到着まであと五分の声。そこから地元民謡の合唱が始まり、一両編成の一体感もあいまって、べるもんたは大団円の中、終点に到着したのでした。
地元の魅力を目にも舌にも耳にも感じることができた小旅行でしたが、一番印象的だったのは、観光ガイドさん始め、沿線の人々の歓迎ぶりでした。車内で立ち続けながら解説をしてくれる人、各駅で出迎えてくれる人、そして沿線の田んぼから手を振ってくれた人の傍らには少ない雪をかき集めて作ったと思われる雪だるまがあり、車窓からそれを見たときは地元民ながら感動しました。一躍有名になった「おもてなし」という言葉ですが、実際にそれを体験すると、無条件に歓迎を受けることがいかにうれしいものかが実感できました。

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