2016-11-22 : 22:37 : admin
こんにちは。さふらんです。
アメリカで大統領選挙が衝撃的な結末を迎えたその同じ日、実は、その衝撃に負けないくらいの出来事がインドでも起こっていました。インドの最高額紙幣である1,000ルピー紙幣と、その次に高額な紙幣である500ルピー紙幣のdemonetization です。(1ルピーは約1.6円)
この、demonetization という単語、みなさんご存知でしょうか。少なくとも私はこれまで見たことのない単語でした。意味は文字通り、通貨を無効にすること、日本語では「廃貨」という言葉が使われるようです。
11月8日夜、インドのモディ首相は全国民に向けたスピーチでこの高額紙幣の廃貨を突然、発表しました。日本で言えば、ある日唐突に首相が、現行の一万円札と五千円札は今からただの紙になります、告げるようなものです。
参考:モディ首相のスピーチ動画(9分55秒頃から、demonetizationが宣言されます)
https://youtu.be/DjiFCLb7hOI
この突然の廃貨政策の目的としては、腐敗・汚職、偽札の偽造、犯罪などに使われるいわゆるブラックマネーの根絶が挙げられ、以下のことが明らかにされています。
・11月8日深夜に現行の500ルピー及び1,000ルピー紙幣の貨幣としての価値は失効。
・11月9日(一部の地域では11月10日)は混乱を避けるため、銀行、ATMは全国的にクローズ。
・11月10日に500ルピーと2,000ルピーの新紙幣が発行される。(1,000ルピー札は廃止)
・人道的措置として、demonetization 発表後72時間後(11月11日深夜)までは、政府系病院や薬局、鉄道や国営バスなどの公共交通機関、公営のガソリンスタンドなどで旧紙幣での支払いを受け付ける。(※のちにこの期限は延長されました)
・旧紙幣を銀行や郵便局に預け、新紙幣で引き出すことにより、旧紙幣と新紙幣の交換は可能(12月30日まで、約50日間の猶予)
・銀行等からの引出額には上限を設ける(当座は10,000ルピー/日、20,000ルピー/週。上限ラインは12月30日まで段階的に引き上げていく)
この政策を受け、インド国民の間ではこれをかつてない英断と評価する人、現金取引が主流を占めるインドの経済を混乱に陥れるものと批判する人など、賛否両論が見られます。そして現実的には、全国各地でこの政策に端を発する混乱が起きています。
次回はこの政策に対するインド国内の反応、そしてdemonetizationの影響としてインド各地で起きた(起きている)出来事について、引き続きレポートしたいと思います。
アメリカで大統領選挙が衝撃的な結末を迎えたその同じ日、実は、その衝撃に負けないくらいの出来事がインドでも起こっていました。インドの最高額紙幣である1,000ルピー紙幣と、その次に高額な紙幣である500ルピー紙幣のdemonetization です。(1ルピーは約1.6円)
この、demonetization という単語、みなさんご存知でしょうか。少なくとも私はこれまで見たことのない単語でした。意味は文字通り、通貨を無効にすること、日本語では「廃貨」という言葉が使われるようです。
11月8日夜、インドのモディ首相は全国民に向けたスピーチでこの高額紙幣の廃貨を突然、発表しました。日本で言えば、ある日唐突に首相が、現行の一万円札と五千円札は今からただの紙になります、告げるようなものです。
参考:モディ首相のスピーチ動画(9分55秒頃から、demonetizationが宣言されます)
https://youtu.be/DjiFCLb7hOI
この突然の廃貨政策の目的としては、腐敗・汚職、偽札の偽造、犯罪などに使われるいわゆるブラックマネーの根絶が挙げられ、以下のことが明らかにされています。
・11月8日深夜に現行の500ルピー及び1,000ルピー紙幣の貨幣としての価値は失効。
・11月9日(一部の地域では11月10日)は混乱を避けるため、銀行、ATMは全国的にクローズ。
・11月10日に500ルピーと2,000ルピーの新紙幣が発行される。(1,000ルピー札は廃止)
・人道的措置として、demonetization 発表後72時間後(11月11日深夜)までは、政府系病院や薬局、鉄道や国営バスなどの公共交通機関、公営のガソリンスタンドなどで旧紙幣での支払いを受け付ける。(※のちにこの期限は延長されました)
・旧紙幣を銀行や郵便局に預け、新紙幣で引き出すことにより、旧紙幣と新紙幣の交換は可能(12月30日まで、約50日間の猶予)
・銀行等からの引出額には上限を設ける(当座は10,000ルピー/日、20,000ルピー/週。上限ラインは12月30日まで段階的に引き上げていく)
この政策を受け、インド国民の間ではこれをかつてない英断と評価する人、現金取引が主流を占めるインドの経済を混乱に陥れるものと批判する人など、賛否両論が見られます。そして現実的には、全国各地でこの政策に端を発する混乱が起きています。
次回はこの政策に対するインド国内の反応、そしてdemonetizationの影響としてインド各地で起きた(起きている)出来事について、引き続きレポートしたいと思います。
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2016-08-30 : 23:42 : admin
こんにちは、さふらんです。
朝夕の暑さが和らぎ、秋の気配を感じる季節になりました。
今回はインド旅行記4回目。南インドにあるポンディシェリの街の様子を紹介したいと思います。
前回も書きましたが、ポンディシェリの特徴は、英国の植民地だった大部分のインドとは異なりフランスの植民地だったことです。その影響もあって、街にも他のインドの街には見られない独特の趣があります。
日差しがまだ柔らかい早朝に、海辺を目指して街を散歩をしてみました。通りの名前を示す看板にはタミル語とフランス語が併記されています。街にはブーゲンビリアやプルメリア、コンナ(南インドでよく見られる黄色い花)の花が咲き乱れ、中には木が家と一体化して、まるで家が花に包まれているように見える場所もありました。
野良犬が多くいて、多くは道に寝そべったり、優雅に歩いていたり。まだ狂犬病があるインドでは野良犬を見ると身構えてしまう時もあるのですが、ここの犬たちはあまりにものんびりとしていてそんな心配も杞憂に思えるほどです。
海岸通りでは多くの人が散歩をしていました。朝の運動に早足で歩く人、家族や友達とおしゃべりしながらゆっくり歩く人。また、ベンチに座って語り合う人々や、砂浜で瞑想する人、ヨガをする人、寝転んでいる犬…。
次第に上ってくる太陽の光と、打ち寄せる波音の中で皆それぞれに朝の時間を過ごしている様子がとても平和で、そして爽やかでした。
帰り道にもちらほらと変わった風景に遭遇しました。フレンチ・クオータ(フランス地区)のおしゃれな壁。お店の看板を兼ねているようです。
なんの変哲も無い建物の、壁だけがなぜか精巧なモザイクのようになっているのも不思議でした。

そして白眉は丸い玄関。ポストもあって、商業施設などではなく一般家屋のようですが、なんともいえず可愛らしく斬新です。端々に住む人々の遊び心を感じる街並みで、散歩をしていて飽きることがありません。

タミル地区、フランス地区、イスラム地区、の三つに分かれているというポンディシェリの街で、今回歩いてみることができたのはタミル地区とフランス地区だけでした。イスラム地区がどのような雰囲気なのか、次回この街を訪れる機会があれば是非歩いてみたいものです。
さて、次回は旅も終盤。チェンナイと、そこに向かう道中の話を紹介して、2016年のインド旅行記も終わりにしたいと思います。
朝夕の暑さが和らぎ、秋の気配を感じる季節になりました。
今回はインド旅行記4回目。南インドにあるポンディシェリの街の様子を紹介したいと思います。
前回も書きましたが、ポンディシェリの特徴は、英国の植民地だった大部分のインドとは異なりフランスの植民地だったことです。その影響もあって、街にも他のインドの街には見られない独特の趣があります。
日差しがまだ柔らかい早朝に、海辺を目指して街を散歩をしてみました。通りの名前を示す看板にはタミル語とフランス語が併記されています。街にはブーゲンビリアやプルメリア、コンナ(南インドでよく見られる黄色い花)の花が咲き乱れ、中には木が家と一体化して、まるで家が花に包まれているように見える場所もありました。
野良犬が多くいて、多くは道に寝そべったり、優雅に歩いていたり。まだ狂犬病があるインドでは野良犬を見ると身構えてしまう時もあるのですが、ここの犬たちはあまりにものんびりとしていてそんな心配も杞憂に思えるほどです。
海岸通りでは多くの人が散歩をしていました。朝の運動に早足で歩く人、家族や友達とおしゃべりしながらゆっくり歩く人。また、ベンチに座って語り合う人々や、砂浜で瞑想する人、ヨガをする人、寝転んでいる犬…。
次第に上ってくる太陽の光と、打ち寄せる波音の中で皆それぞれに朝の時間を過ごしている様子がとても平和で、そして爽やかでした。
帰り道にもちらほらと変わった風景に遭遇しました。フレンチ・クオータ(フランス地区)のおしゃれな壁。お店の看板を兼ねているようです。
なんの変哲も無い建物の、壁だけがなぜか精巧なモザイクのようになっているのも不思議でした。
そして白眉は丸い玄関。ポストもあって、商業施設などではなく一般家屋のようですが、なんともいえず可愛らしく斬新です。端々に住む人々の遊び心を感じる街並みで、散歩をしていて飽きることがありません。
タミル地区、フランス地区、イスラム地区、の三つに分かれているというポンディシェリの街で、今回歩いてみることができたのはタミル地区とフランス地区だけでした。イスラム地区がどのような雰囲気なのか、次回この街を訪れる機会があれば是非歩いてみたいものです。
さて、次回は旅も終盤。チェンナイと、そこに向かう道中の話を紹介して、2016年のインド旅行記も終わりにしたいと思います。
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2016-07-19 : 23:22 : admin
こんにちは、さふらんです。
今回はインド旅行紀三回目。慌ただしくデリーでの時間を過ごした後、国内線に乗ってチェンナイに飛びました。そして空港でタクシーを拾い、そのまま約二、三時間南下して、目指したのはポンディシェリ(現在ではプドゥチェリと呼ばれていますが、ここでは一般的な知名度の高いポンディシェリを採用します)です。
ポンディシェリは植民地時代フランスの統治下にあった地域で、地図を見るとタミルナドゥ州の中の一地域のような位置にありますが、行政区画上は連邦直轄地であり、州政府に準ずる独自の統治機構も持っています。
町は、タミル地区とフランス地区、そしてイスラム教徒が多く住むムスリム地区の三地区で構成され、それぞれに特色のある町並みになっています。
今回宿泊したホテルはタミル地区にある、古い民家を改装したホテルでした。ステンドグラスが白壁に映えます。

また中庭には大きな水鉢と(中にはメダカと金魚が泳いでいます)、それを取り囲む緑が溢れ、いかにも南国の雰囲気です。

南インド地方の民家を見ていて日本人として興味深いのは、しばしば赤茶色の瓦を目にすることです。このホテルもそうでした。
この瓦、沢山の薄い瓦をひたすら重ねてあるだけのように思えます。下から見上げるとこんな感じ。
こういった、昔の建物を改装した雰囲気のあるホテルが、最近はインドでも増えてきました。一方でチェーン展開する高級ホテルやビジネスホテルも隆盛で、一般にインドの旅行はとても便利になってきましたが、こうした雰囲気のあるホテルは、その空間の中でゆっくりとした時間の流れを楽しむには最高です。
次回は町の様子を紹介したいと思います。
今回はインド旅行紀三回目。慌ただしくデリーでの時間を過ごした後、国内線に乗ってチェンナイに飛びました。そして空港でタクシーを拾い、そのまま約二、三時間南下して、目指したのはポンディシェリ(現在ではプドゥチェリと呼ばれていますが、ここでは一般的な知名度の高いポンディシェリを採用します)です。
ポンディシェリは植民地時代フランスの統治下にあった地域で、地図を見るとタミルナドゥ州の中の一地域のような位置にありますが、行政区画上は連邦直轄地であり、州政府に準ずる独自の統治機構も持っています。
町は、タミル地区とフランス地区、そしてイスラム教徒が多く住むムスリム地区の三地区で構成され、それぞれに特色のある町並みになっています。
今回宿泊したホテルはタミル地区にある、古い民家を改装したホテルでした。ステンドグラスが白壁に映えます。

また中庭には大きな水鉢と(中にはメダカと金魚が泳いでいます)、それを取り囲む緑が溢れ、いかにも南国の雰囲気です。

南インド地方の民家を見ていて日本人として興味深いのは、しばしば赤茶色の瓦を目にすることです。このホテルもそうでした。
この瓦、沢山の薄い瓦をひたすら重ねてあるだけのように思えます。下から見上げるとこんな感じ。
こういった、昔の建物を改装した雰囲気のあるホテルが、最近はインドでも増えてきました。一方でチェーン展開する高級ホテルやビジネスホテルも隆盛で、一般にインドの旅行はとても便利になってきましたが、こうした雰囲気のあるホテルは、その空間の中でゆっくりとした時間の流れを楽しむには最高です。
次回は町の様子を紹介したいと思います。
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2016-06-21 : 23:12 : admin
こんにちは、さふらんです。
ついに梅雨入り、湿度の高い日々が続きます。今日はインド旅行記の第二弾です。
五月の強烈な日差しの中、インドの国立博物館に向かいました。
官庁街の近くに位置するデリーの主要観光地の一つですが、オフシーズンということもあってか人影はまばら、その多くがインド人のようでした。入場料はインド人が20ルピー(約30円)、外国人は650ルピー(約1,300円)。カメラの持ち込みは300ルピーと聞いていましたがなぜかその日は無料で、入場料を払っただけで写真は撮りたい放題でした。
展示室に向かう廊下から、既に時代がかった石像が所狭しと並んでいます。
建物は、円形の中庭を回廊が囲むような形になっていて、回廊から円の外に向かうように展示室がひろがっているのですが、一つの部屋の入り口がそのまま次の部屋の入り口になっていて、かなり入り組んだ構造。展示品に没頭しているとあっという間に自分がどこにいるか分からなくなってしまいます。
展示内容も様々ですが、とにかく量が多い!インダス文明時代の石像から始まり、まずは延々と石像が続きます。少し飽きてきた頃、やけにリアルな茄子が目にとまりました。
20世紀ラジャスタン地方のお香入れとのこと。いかにも遺跡、といった展示物が多い中、日本の合羽橋からやってきたようなその形はどこかユーモラスです。
石像が終わると、細密画が始まります。これも時代や場所、流派など様々なものがあり、細密画だけに一枚一枚に書き込まれている世界観が細かく、それを鑑賞しているだけであっという間に時間が過ぎていきます。
次の予定が迫ってきたので、真鍮のコーナーは飛ばし、ここだけ警備員がいた(ただし退屈そうにぶらぶらしている)、宝飾品のコーナーへ。いかにもインド、といった豪華なデザインの宝飾品の数々が、薄暗い展示室で照明に浮かび上がり、ロマンチッックな空間でした。
そうこうしているうちにあっという間に約三時間が過ぎましたが、鑑賞できたのは博物館の半分程でしょうか、それも急ぎ足で。
これだけ多くの貴重な展示品が、これだけの規模で、ある意味 無造作とも見えるほど野放途に展示されている様子は圧巻でした。このどれか一つをとっても、日本で展示すれば厳重な展示体制で、多くの来場者が見込めそうに思えるのです。いろいろな意味でインドの豊かさを感じたひと時でした。
ついに梅雨入り、湿度の高い日々が続きます。今日はインド旅行記の第二弾です。
五月の強烈な日差しの中、インドの国立博物館に向かいました。
官庁街の近くに位置するデリーの主要観光地の一つですが、オフシーズンということもあってか人影はまばら、その多くがインド人のようでした。入場料はインド人が20ルピー(約30円)、外国人は650ルピー(約1,300円)。カメラの持ち込みは300ルピーと聞いていましたがなぜかその日は無料で、入場料を払っただけで写真は撮りたい放題でした。
展示室に向かう廊下から、既に時代がかった石像が所狭しと並んでいます。
建物は、円形の中庭を回廊が囲むような形になっていて、回廊から円の外に向かうように展示室がひろがっているのですが、一つの部屋の入り口がそのまま次の部屋の入り口になっていて、かなり入り組んだ構造。展示品に没頭しているとあっという間に自分がどこにいるか分からなくなってしまいます。
展示内容も様々ですが、とにかく量が多い!インダス文明時代の石像から始まり、まずは延々と石像が続きます。少し飽きてきた頃、やけにリアルな茄子が目にとまりました。
20世紀ラジャスタン地方のお香入れとのこと。いかにも遺跡、といった展示物が多い中、日本の合羽橋からやってきたようなその形はどこかユーモラスです。
石像が終わると、細密画が始まります。これも時代や場所、流派など様々なものがあり、細密画だけに一枚一枚に書き込まれている世界観が細かく、それを鑑賞しているだけであっという間に時間が過ぎていきます。
次の予定が迫ってきたので、真鍮のコーナーは飛ばし、ここだけ警備員がいた(ただし退屈そうにぶらぶらしている)、宝飾品のコーナーへ。いかにもインド、といった豪華なデザインの宝飾品の数々が、薄暗い展示室で照明に浮かび上がり、ロマンチッックな空間でした。
そうこうしているうちにあっという間に約三時間が過ぎましたが、鑑賞できたのは博物館の半分程でしょうか、それも急ぎ足で。
これだけ多くの貴重な展示品が、これだけの規模で、ある意味 無造作とも見えるほど野放途に展示されている様子は圧巻でした。このどれか一つをとっても、日本で展示すれば厳重な展示体制で、多くの来場者が見込めそうに思えるのです。いろいろな意味でインドの豊かさを感じたひと時でした。
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2016-05-24 : 22:40 : admin
こんにちは、さふらんです。
今年のゴールデンウィークは三年ぶりにインドに行ってきました。今回はその時の様子を書いてみたいと思います。
日本でも例年にない暑さが話題になっていますが、インドでも先日、遂に史上最高気温の51度が記録されました。日本の7月、8月にあたるのがインドでは5月、6月。つまり日本の行楽シーズンであるゴールデンウィークは、インドでは一年で最も暑い季節です。本来ならインドへの旅行は避けたい季節ですが、そこはサラリーマンの悲しい性で、ここしかまとまった休みがとれません。真夏のインドに敢えて飛び込んでいく形になりました。
成田を夕方5時に出発する全日空の直行便がデリーの空港に着くのは夜中の12時過ぎ。三時間半の時差を含め、約10時間のフライトになります。降り立ったのは数年前に改装が施され、初めてインドに行った時とはすっかり様変わりしたデリーの空港です。
事前に予約したホテルの迎えの人とも無事落ち合うことができ(余談ですが、もう何度も渡航したことがあり、生活していたこともあるインドですが、特に夜に到着する際は必ず空港まで迎えを頼むことにしています)、そのまま空港近くのホリデー・インに向かいます。
迎えにきてくれたホテル付きのタクシーの運転手さんは、気さくな人で、短い道中にデリーがいかに様変わりしたか、を話してくれました。新しい大きなホテルも次々に建っていること、自分も以前はチェーン展開する別の高級ホテルで運転手をしていたが、田舎の家族の病気で一時期デリーを離れていたこと、久しぶりにデリーに戻ったら友達の紹介ですぐに今の職にありつけたこと、など。
やはり時差のせいで、翌朝は早く目が覚めました。荒野の中のオアシスにも見える眼下のプールでは、6時半きっかりに水の交換が始まり、従業員の男性がビーチチェアにマットレスを敷いたり、パラソルを広げたり、テキパキと働き始めます。

朝食の前にホテルの周りを散歩してみました。すでに猛暑の兆しが感じられますが、それでも美しい花が咲いていて、鳥達もにぎやかに飛び回っています。
空港近くのこの辺り、最近はエアロシティーと名前がついて、ホテルや企業の高層ビルが立ち並ぶ一大区画として整備されているようです。
確かにデリーの空港周辺はデリー市内と工業地区である近郊都市(グルガオンなど)の中間にあって、企業がオフィスを構えるには好立地なのでしょう。
徐々に明るさを増していく外の景色を見ながら朝食をとり、さて、灼熱のデリーに繰り出します。(次回に続く)

今年のゴールデンウィークは三年ぶりにインドに行ってきました。今回はその時の様子を書いてみたいと思います。
日本でも例年にない暑さが話題になっていますが、インドでも先日、遂に史上最高気温の51度が記録されました。日本の7月、8月にあたるのがインドでは5月、6月。つまり日本の行楽シーズンであるゴールデンウィークは、インドでは一年で最も暑い季節です。本来ならインドへの旅行は避けたい季節ですが、そこはサラリーマンの悲しい性で、ここしかまとまった休みがとれません。真夏のインドに敢えて飛び込んでいく形になりました。
成田を夕方5時に出発する全日空の直行便がデリーの空港に着くのは夜中の12時過ぎ。三時間半の時差を含め、約10時間のフライトになります。降り立ったのは数年前に改装が施され、初めてインドに行った時とはすっかり様変わりしたデリーの空港です。
事前に予約したホテルの迎えの人とも無事落ち合うことができ(余談ですが、もう何度も渡航したことがあり、生活していたこともあるインドですが、特に夜に到着する際は必ず空港まで迎えを頼むことにしています)、そのまま空港近くのホリデー・インに向かいます。
迎えにきてくれたホテル付きのタクシーの運転手さんは、気さくな人で、短い道中にデリーがいかに様変わりしたか、を話してくれました。新しい大きなホテルも次々に建っていること、自分も以前はチェーン展開する別の高級ホテルで運転手をしていたが、田舎の家族の病気で一時期デリーを離れていたこと、久しぶりにデリーに戻ったら友達の紹介ですぐに今の職にありつけたこと、など。
やはり時差のせいで、翌朝は早く目が覚めました。荒野の中のオアシスにも見える眼下のプールでは、6時半きっかりに水の交換が始まり、従業員の男性がビーチチェアにマットレスを敷いたり、パラソルを広げたり、テキパキと働き始めます。
朝食の前にホテルの周りを散歩してみました。すでに猛暑の兆しが感じられますが、それでも美しい花が咲いていて、鳥達もにぎやかに飛び回っています。
空港近くのこの辺り、最近はエアロシティーと名前がついて、ホテルや企業の高層ビルが立ち並ぶ一大区画として整備されているようです。
確かにデリーの空港周辺はデリー市内と工業地区である近郊都市(グルガオンなど)の中間にあって、企業がオフィスを構えるには好立地なのでしょう。
徐々に明るさを増していく外の景色を見ながら朝食をとり、さて、灼熱のデリーに繰り出します。(次回に続く)
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2015-12-15 : 18:00 : admin
# インドの洪水の話
こんにちは、さふらんです。山々の頂にかすかにあった雪が日々その面積を増し、もう少しで平野に届きそうな今日この頃です。先日はこの地方で「鰤起こし」と呼ばれる激しい雷雨の一日がありました。
その日は鳴り止まない雷鳴と雨音を聞きながら、二年間を過ごしたインド・チェンナイの豪雨に思いを馳せていました。報道でご存知の方もいらっしゃると思いますが、先月からチェンナイではひどい豪雨が続いており、現在は回復してきているものの、なお多くの洪水被害が残っています。
もともとチェンナイは大雨の被害が多いところで(2011年6月17日付「インドの雨季の話」)、私が滞在していたときも日本では経験したことのないような冠水に何度か遭遇しました。ただ、今回の豪雨はその比ではなかったようです。11月初旬から降り始めた雨は止むことなく勢いを増し、道路や家々が次々に水没し、停電が数日間にわたって続き、日系工場を含む多くの工場が操業を停止、数十万人の人々が取り残され、今月初旬には遂に空港が閉鎖される事態にまで至りました。
チェンナイ、と書きましたが、天候に町や州の境目があるわけではなく、実際は近郊の小さな町や村々でも、情報や救助が行き渡らない分むしろ深刻な被害があったようです。
ところで、Tokoさんが最近Facebookのアカウントを再開されたと書かれていましたが、今回のチェンナイの洪水に際し、個人的に最も身近に現地の様子を感じることができたのはFacebookからもたらされる情報でした。
現地に住む友人達の投稿や、地元に拠点を置く大手新聞の報道投稿、シェアされる被害状況や支援、救援情報。また今回初めてその存在を知りましたが、FacebookにはSafety Check という安否報告機能があり、友人達が次々と自分の安全をアップデートしてくれた時はやはり安堵しました。
災害時におけるSNSの有用性については今まで既に語られているところだと思いますが、今回 特に印象に残ったのは、その有用性だけでなく、Facebookを通じ、遠くで起こっていることがとても自然な形で自分の生活の中に入ってきて、私自身が日常生活の延長としてそれに共感できたということです。Facebookに限らず、SNS の持つ力と可能性はこういった、日常と非日常をごく自然に結びつけるところにあるのではないかと感じました。
12月10日、敬愛する現地在住のジャーナリスト兼作家が次のように投稿しています。(※転載許可済)
“After many, many days (can't remember how many), stepped out of home without soaking my feet in water. Had kind of got used to it.”
何日かぶりで(一体いつ以来か覚えていない)、雨水で足をびしょぬれにすることなく外出した。外に出れば足が濡れるという状態に、ほとんど慣れてしまうところだった。
愛するチェンナイとその他多くの地域で洪水被害の復興が進みますように。
その日は鳴り止まない雷鳴と雨音を聞きながら、二年間を過ごしたインド・チェンナイの豪雨に思いを馳せていました。報道でご存知の方もいらっしゃると思いますが、先月からチェンナイではひどい豪雨が続いており、現在は回復してきているものの、なお多くの洪水被害が残っています。
もともとチェンナイは大雨の被害が多いところで(2011年6月17日付「インドの雨季の話」)、私が滞在していたときも日本では経験したことのないような冠水に何度か遭遇しました。ただ、今回の豪雨はその比ではなかったようです。11月初旬から降り始めた雨は止むことなく勢いを増し、道路や家々が次々に水没し、停電が数日間にわたって続き、日系工場を含む多くの工場が操業を停止、数十万人の人々が取り残され、今月初旬には遂に空港が閉鎖される事態にまで至りました。
チェンナイ、と書きましたが、天候に町や州の境目があるわけではなく、実際は近郊の小さな町や村々でも、情報や救助が行き渡らない分むしろ深刻な被害があったようです。
ところで、Tokoさんが最近Facebookのアカウントを再開されたと書かれていましたが、今回のチェンナイの洪水に際し、個人的に最も身近に現地の様子を感じることができたのはFacebookからもたらされる情報でした。
現地に住む友人達の投稿や、地元に拠点を置く大手新聞の報道投稿、シェアされる被害状況や支援、救援情報。また今回初めてその存在を知りましたが、FacebookにはSafety Check という安否報告機能があり、友人達が次々と自分の安全をアップデートしてくれた時はやはり安堵しました。
災害時におけるSNSの有用性については今まで既に語られているところだと思いますが、今回 特に印象に残ったのは、その有用性だけでなく、Facebookを通じ、遠くで起こっていることがとても自然な形で自分の生活の中に入ってきて、私自身が日常生活の延長としてそれに共感できたということです。Facebookに限らず、SNS の持つ力と可能性はこういった、日常と非日常をごく自然に結びつけるところにあるのではないかと感じました。
12月10日、敬愛する現地在住のジャーナリスト兼作家が次のように投稿しています。(※転載許可済)
“After many, many days (can't remember how many), stepped out of home without soaking my feet in water. Had kind of got used to it.”
何日かぶりで(一体いつ以来か覚えていない)、雨水で足をびしょぬれにすることなく外出した。外に出れば足が濡れるという状態に、ほとんど慣れてしまうところだった。
愛するチェンナイとその他多くの地域で洪水被害の復興が進みますように。
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2014-07-22 : 23:36 : admin
こんにちは、さふらんです。夏本番といった趣で、まだ梅雨が明けていないなか、蒸し暑く寝苦しい夜が続きます。
さて、今回は先日7月10日に発表されたインドの予算案について少し書いてみます。
親ビジネス、親市場主義経済の呼び声高く首相に就任したモディ首相政権下で初となる2014年度の予算案の発表は、インド国内で大きな注目の的でした。
モディ首相就任前からたびたび最高値を更新していたインドの株式指数SENSEX指数は、就任後いったんおちついていたものの、予算案の発表を前に連日最高値の更新を再開し、そのこと一つとってみても、市場の予算案への期待が感じられました。ただ、株式指数の上昇/下降を鍵としてみるならば、発表された予算案は少しばかり期待はずれに終わった感があるようです。経済改革の具体策への踏み込みが示されておらず物足りない、という専門家の意見も散見されました。
わたし自身、予算案の内容を網羅的に把握できたわけではありませんが、個人的に、日本のメディアでやや大きく取り上げられていた国防費の予算増よりも気になったのは、積極的なインフラ整備支援です。
インフラ整備、具体的には、エネルギー関連プロジェクトへの補助金給付や、鉄道敷設、そして高速道路をはじめとする道路整備などが挙げられますが、インドで働いていた当時、インドへの外国投資の一番のネックとして常に挙げられていたのが未熟なインフラであったことを考えると、経済成長を達成するにはまずインフラ整備から、というまともな手順が踏まれようとしているということを感じました。
また、鉄道や道路の敷設については、国境地帯及び(開発が遅れているとされる)北東部におけるそれらのプロジェクトが補助金割当の対象として言及されていることにも、好感が持てます。経済成長の恩恵を限られた地域や人々に限定させるのではなく、国全体としての発展を目指そうという理念が感じられるからです。
ただし、一方でそれ(国境地帯や北東部のインフラ整備重視)は、高まる近隣諸国、特に対中国の国際関係の緊張を反映していると言えるのかもしれず、インドの他の事柄と同様、なかなか一面的な見方はできないのですが。
ともあれ、予算案はあくまでも政府の決意表明であり、これからこの予算案がいかに実際の政策に落とし込まれていくかによって、インドの社会経済の未来が拓けていくと言えるのでしょう。
すっかりわたしもインドから遠のいてしまいましたが、陰ながら、引き続きインドの変化に注目していきたいと思います。
続き▽
さて、今回は先日7月10日に発表されたインドの予算案について少し書いてみます。
親ビジネス、親市場主義経済の呼び声高く首相に就任したモディ首相政権下で初となる2014年度の予算案の発表は、インド国内で大きな注目の的でした。
モディ首相就任前からたびたび最高値を更新していたインドの株式指数SENSEX指数は、就任後いったんおちついていたものの、予算案の発表を前に連日最高値の更新を再開し、そのこと一つとってみても、市場の予算案への期待が感じられました。ただ、株式指数の上昇/下降を鍵としてみるならば、発表された予算案は少しばかり期待はずれに終わった感があるようです。経済改革の具体策への踏み込みが示されておらず物足りない、という専門家の意見も散見されました。
わたし自身、予算案の内容を網羅的に把握できたわけではありませんが、個人的に、日本のメディアでやや大きく取り上げられていた国防費の予算増よりも気になったのは、積極的なインフラ整備支援です。
インフラ整備、具体的には、エネルギー関連プロジェクトへの補助金給付や、鉄道敷設、そして高速道路をはじめとする道路整備などが挙げられますが、インドで働いていた当時、インドへの外国投資の一番のネックとして常に挙げられていたのが未熟なインフラであったことを考えると、経済成長を達成するにはまずインフラ整備から、というまともな手順が踏まれようとしているということを感じました。
また、鉄道や道路の敷設については、国境地帯及び(開発が遅れているとされる)北東部におけるそれらのプロジェクトが補助金割当の対象として言及されていることにも、好感が持てます。経済成長の恩恵を限られた地域や人々に限定させるのではなく、国全体としての発展を目指そうという理念が感じられるからです。
ただし、一方でそれ(国境地帯や北東部のインフラ整備重視)は、高まる近隣諸国、特に対中国の国際関係の緊張を反映していると言えるのかもしれず、インドの他の事柄と同様、なかなか一面的な見方はできないのですが。
ともあれ、予算案はあくまでも政府の決意表明であり、これからこの予算案がいかに実際の政策に落とし込まれていくかによって、インドの社会経済の未来が拓けていくと言えるのでしょう。
すっかりわたしもインドから遠のいてしまいましたが、陰ながら、引き続きインドの変化に注目していきたいと思います。
続き▽
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2011-12-02 : 13:15 : admin
さふらんです。いよいよ12月になりました。来年のことを言うと鬼が笑うといいますが、笑わば笑え、私はもう新しい手帳をおろし、真っ白なページを前に次の1年に思いを馳せています。さて、前回(11月18日)の続きです。
その時は友人の家の居間でみんなでのんびり過ごしていました。たまたまテレビでは料理番組が映されていて鶏肉かなにかの料理を作っていたのですが、肉を切るシーンを見た奥さんがフイと画面から目をそらし、「チャンネルを変えて」と頼んできたのです。アレルギーや健康上の理由でベジタリアンになっている人とは違い、信仰や主義に基づいたベジタリアンにとっては肉を食べるという「イメージ」がそもそも大きな意味を持つのだと、強く感じた瞬間でした。
ノンベジタリアンの私としてはその延長として考えてしまうのが共食の問題です。ベジタリアンの人々にとっては、目の前で肉食をされるのも避けたいのではないかと。こんなこともありました。インドの大学の寮に寄宿していた10年ほど前のことです。当時、寮の食堂(100人程収容できる大食堂でした)で出される食事は基本的にベジタリアン。週に一度だけ水曜日の夕食に、全体の2、3割程度に行き渡るノンベジメニューが出ました。そんな夜、ノンベジたちには食堂の一角が割り当てられ、みんなでそこに固まって食べることになっていました。
先ほどの友人の奥さんの様子やその寮の食堂での風景から、なんとなく、インドではベジとノンベジが共食しないことが一種のマナーなのかなと思ったものです。ただ、今の若者たちはそのあたりをあまり気にしないようにも見えます。20代半ばになった友人の息子(ピュアベジタリアン)と話をしてみると、ノンベジを食べている友人たちと食事を共にすることは普通にある、とのこと。
実際、確かにインドにはベジタリアン・メニューだけを出すベジレストランも多くありますが、通常のレストランにも大概、ベジとノンベジ両方のメニューが備わっています(逆に、ケンタッキー・フライド・「チキン」にさえ、ベジタリアン用のメニューが用意されていることを考えると、ノンベジのみのレストランを探すのは難しいかもしれません)。ベジとノンベジがそれぞれに好きなものを注文してテーブルを囲むことも簡単なのです。
毎日繰り返されることであるからこそ、身近な例では目玉焼きに何をかけるかといったところからすでに、食事という行為には身体感覚に近い文化が凝縮されていくような気がします。そう考えていくと、私たち一人一人に異なる食のスタイルがあるのは当然です。「同じ釜の飯」を食べることから生まれる親しみももちろんありますが、互いの違いを発見しながら囲むテーブルにも、大いなる食の楽しみがあるように思えます。
その時は友人の家の居間でみんなでのんびり過ごしていました。たまたまテレビでは料理番組が映されていて鶏肉かなにかの料理を作っていたのですが、肉を切るシーンを見た奥さんがフイと画面から目をそらし、「チャンネルを変えて」と頼んできたのです。アレルギーや健康上の理由でベジタリアンになっている人とは違い、信仰や主義に基づいたベジタリアンにとっては肉を食べるという「イメージ」がそもそも大きな意味を持つのだと、強く感じた瞬間でした。
ノンベジタリアンの私としてはその延長として考えてしまうのが共食の問題です。ベジタリアンの人々にとっては、目の前で肉食をされるのも避けたいのではないかと。こんなこともありました。インドの大学の寮に寄宿していた10年ほど前のことです。当時、寮の食堂(100人程収容できる大食堂でした)で出される食事は基本的にベジタリアン。週に一度だけ水曜日の夕食に、全体の2、3割程度に行き渡るノンベジメニューが出ました。そんな夜、ノンベジたちには食堂の一角が割り当てられ、みんなでそこに固まって食べることになっていました。
先ほどの友人の奥さんの様子やその寮の食堂での風景から、なんとなく、インドではベジとノンベジが共食しないことが一種のマナーなのかなと思ったものです。ただ、今の若者たちはそのあたりをあまり気にしないようにも見えます。20代半ばになった友人の息子(ピュアベジタリアン)と話をしてみると、ノンベジを食べている友人たちと食事を共にすることは普通にある、とのこと。
実際、確かにインドにはベジタリアン・メニューだけを出すベジレストランも多くありますが、通常のレストランにも大概、ベジとノンベジ両方のメニューが備わっています(逆に、ケンタッキー・フライド・「チキン」にさえ、ベジタリアン用のメニューが用意されていることを考えると、ノンベジのみのレストランを探すのは難しいかもしれません)。ベジとノンベジがそれぞれに好きなものを注文してテーブルを囲むことも簡単なのです。
毎日繰り返されることであるからこそ、身近な例では目玉焼きに何をかけるかといったところからすでに、食事という行為には身体感覚に近い文化が凝縮されていくような気がします。そう考えていくと、私たち一人一人に異なる食のスタイルがあるのは当然です。「同じ釜の飯」を食べることから生まれる親しみももちろんありますが、互いの違いを発見しながら囲むテーブルにも、大いなる食の楽しみがあるように思えます。
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2011-11-18 : 13:46 : admin
こんにちは、さふらんです。朝晩の冷えが厳しくなってきました。もうすぐ冬がやってきそうです。さて、インドシリーズの復活です。
最近、東京で「ピュア・ベジタリアン」のインドレストランに行く機会がありました。6月7日の当ブログで、オサゼさんが、ベジタリアンの立場から見たサンフランシスコと大阪との食文化比較について書かれていますが、私も今回、インドのベジタリアンの生活について書いてみたいと思います。
上で「ピュア・ベジタリアン」と書いたのは、動物性の食材を使っていないばかりでなく、使われている調理器具を動物性の食材の調理に使ったこともない、という意味です。ベジタリアンの中でも、卵はOKとか、魚はOKとか、白い肉(鶏肉)はOKというタイプも見かけますが、このお店は、英語ではveganというのでしょうか、徹底したベジタリアンのためのレストランでした。
実は私がインドで一番お世話になっている家庭はジャイナ教徒の家庭です。ジャイナ教は不殺生を一つの大きな柱とする宗教で(※ちなみにもう一つの大きな柱は無所有です。これについてもいずれ書いてみたいと思います。)、そのためジャイナ教徒は完全なベジタリアンです。口にするものだけでなく、シャンプーなどの日用品も動物性由来の成分が入っているものは使いません。
インドではジャイナ教徒のほかに、ヒンドゥー教徒の一部にもベジタリアンがいます。また、願掛けをしたり祈りをささげたりするときに一定期間だけベジタリアンになったり、何もなくても毎週決まった曜日だけベジタリアンになる人もいます。そういった意味では、インドはベジタリアン文化の先進国で、ベジタリアンが間違ってノンベジ食品を口にしてしまわないよう、インドで販売されている食品にはすべて、日本の国旗に似た形の、緑色のVegマークか、茶色のNon-Vegマークが付いています。(写真は、インドの食品パッケージ。Vegマークがついています。)
私自身もそれを理解していたつもりだったので、日本からお土産にお菓子を持っていく時には卵が使われていないものを探すなど気をつけているつもりでしたが、ハッとさせられたのは友人の家でテレビを見ていた時でした。長くなりそうですので、続きはまた次回…
最近、東京で「ピュア・ベジタリアン」のインドレストランに行く機会がありました。6月7日の当ブログで、オサゼさんが、ベジタリアンの立場から見たサンフランシスコと大阪との食文化比較について書かれていますが、私も今回、インドのベジタリアンの生活について書いてみたいと思います。
上で「ピュア・ベジタリアン」と書いたのは、動物性の食材を使っていないばかりでなく、使われている調理器具を動物性の食材の調理に使ったこともない、という意味です。ベジタリアンの中でも、卵はOKとか、魚はOKとか、白い肉(鶏肉)はOKというタイプも見かけますが、このお店は、英語ではveganというのでしょうか、徹底したベジタリアンのためのレストランでした。
実は私がインドで一番お世話になっている家庭はジャイナ教徒の家庭です。ジャイナ教は不殺生を一つの大きな柱とする宗教で(※ちなみにもう一つの大きな柱は無所有です。これについてもいずれ書いてみたいと思います。)、そのためジャイナ教徒は完全なベジタリアンです。口にするものだけでなく、シャンプーなどの日用品も動物性由来の成分が入っているものは使いません。
インドではジャイナ教徒のほかに、ヒンドゥー教徒の一部にもベジタリアンがいます。また、願掛けをしたり祈りをささげたりするときに一定期間だけベジタリアンになったり、何もなくても毎週決まった曜日だけベジタリアンになる人もいます。そういった意味では、インドはベジタリアン文化の先進国で、ベジタリアンが間違ってノンベジ食品を口にしてしまわないよう、インドで販売されている食品にはすべて、日本の国旗に似た形の、緑色のVegマークか、茶色のNon-Vegマークが付いています。(写真は、インドの食品パッケージ。Vegマークがついています。)

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2011-10-07 : 13:30 : admin
さふらんです。あっという間にすっかり寒くなり、温かい飲み物が恋しい季節になりました。
インドの温かい飲み物と言えば有名なのはチャイ(牛乳で煮出した紅茶)かもしれませんが、南インドではコーヒー文化が浸透しています。
何年か前に鉄道を使ってインドを南下していたとき、ある地点を過ぎると駅で聞こえる物売りの声が、「チャーイー、チャーイー」から「カーフィ、カーフィ」に変わったのが印象的でした。
チェンナイにいた頃は、街角のコーヒー屋さんに豆を買いに行ったものです。コーヒー屋さんと言ってもカフェや喫茶店ではなく、仕入れた豆を挽いてコーヒー粉を売るお店です。
そのような店では普通、豆で売ることはないので、混んでいる時などは店の片隅で客の波が引くのを待ちながら、人々の様子を眺めていました。
地元の客がやってきて欲しい量を伝えると、店のおじさんが量りで量り、小さなビニール袋に入れて、数十ルピー(数十円〜数百円)と引き換えに渡して行きます。
日本でコーヒーを買うというとちょっと特別な感じがしますが(私だけでしょうか)、インドで見たその光景には、まるで野菜でも買うかのようなそっけなさがあって、それが逆に、コーヒーがいかに人々の生活に日常として根付いているかを伺わせる気がしました。
インドは実はコーヒー豆の輸出国でもあります。最近では栽培地域も広がっていて、輸出量は世界第6位にも上るとのこと。まだ日本ではあまりメジャーではありませんが、たまに飲めるところがありますので、もし見かけたら、この秋冬はインドのコーヒーを試してみるのもいいかもしれません。
インドの温かい飲み物と言えば有名なのはチャイ(牛乳で煮出した紅茶)かもしれませんが、南インドではコーヒー文化が浸透しています。
何年か前に鉄道を使ってインドを南下していたとき、ある地点を過ぎると駅で聞こえる物売りの声が、「チャーイー、チャーイー」から「カーフィ、カーフィ」に変わったのが印象的でした。
チェンナイにいた頃は、街角のコーヒー屋さんに豆を買いに行ったものです。コーヒー屋さんと言ってもカフェや喫茶店ではなく、仕入れた豆を挽いてコーヒー粉を売るお店です。



インドは実はコーヒー豆の輸出国でもあります。最近では栽培地域も広がっていて、輸出量は世界第6位にも上るとのこと。まだ日本ではあまりメジャーではありませんが、たまに飲めるところがありますので、もし見かけたら、この秋冬はインドのコーヒーを試してみるのもいいかもしれません。
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