2010-04-27 : 23:59 : admin
# 博士の異常な愛情
こんばんは、ミッチーです。
前回(4月13日)、Nuclear Security Summitの話をしましたが、
そのような会議が開催された背景には、テロリストに対しては、
核抑止という考え方が通用しないことがあります。
核抑止とは、核兵器を保有する敵に対して、自らも核兵器を持って、
核攻撃に対しては核報復を行う意思を示すことによって、
核攻撃を思いとどまらせるという考え方。
しかし、そもそも核抑止の考え方自体には大きな問題があります。
この恐怖を見事にブラックコメディーに仕立てた映画が、
スタンリー・キューブリック監督による1964年公開の
Dr. Strangelove or how I learned to stop worrying and love the bomb。
興味深いのは、この映画の邦題を「博士の異常な愛情」としたこと。
「ストレンジラブ博士」では、日本語的にはあまり興味をそそりません。
しかし、タイトルにこだわりのあるキューブリック監督は、
タイトルの意訳を認めませんでした。
そこで頭をひねって生み出された邦題が「博士の異常な愛情」。
このタイトルは、核兵器をめぐる恐怖や狂気をうまくとらえ、
しかもDr. Strangeloveの直訳とも言えなくもない。
まさに名訳といえるのではないでしょうか。
前回(4月13日)、Nuclear Security Summitの話をしましたが、
そのような会議が開催された背景には、テロリストに対しては、
核抑止という考え方が通用しないことがあります。
核抑止とは、核兵器を保有する敵に対して、自らも核兵器を持って、
核攻撃に対しては核報復を行う意思を示すことによって、
核攻撃を思いとどまらせるという考え方。
しかし、そもそも核抑止の考え方自体には大きな問題があります。
この恐怖を見事にブラックコメディーに仕立てた映画が、
スタンリー・キューブリック監督による1964年公開の
Dr. Strangelove or how I learned to stop worrying and love the bomb。
興味深いのは、この映画の邦題を「博士の異常な愛情」としたこと。
「ストレンジラブ博士」では、日本語的にはあまり興味をそそりません。
しかし、タイトルにこだわりのあるキューブリック監督は、
タイトルの意訳を認めませんでした。
そこで頭をひねって生み出された邦題が「博士の異常な愛情」。
このタイトルは、核兵器をめぐる恐怖や狂気をうまくとらえ、
しかもDr. Strangeloveの直訳とも言えなくもない。
まさに名訳といえるのではないでしょうか。
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2010-04-13 : 22:39 : admin
# Security
こんにちは、ミッチーです。
今日からワシントンDCで、核テロ対策を国家首脳レベルで話し合う
Nuclear Security Summitが行われています。
オバマ大統領肝いりの会議ですが、この会議名の日本語訳は、
核セキュリティー・サミット(NHK, ABC)、核保安サミット(朝日新聞)、
核安全サミット(読売)、核安全保障サミット(日経、産経)など、まちまち。
Securityは、国際関係に関する場合、一般に「安全保障」と翻訳されます。
国際関係におけるSecurityとは、「砦(障)によって、安全を保つ」、
つまり他国からの攻撃から、自国を守ることと捉えられてきたからです。
しかし、会議の対象は、テロリストの手に核が渡るのをいかに防ぐのか。
「砦」で「他国からの攻撃から守る」という類のものではありません。
そのため、安全保障という定訳を当ててよいのか判断に迷い、
各メディア翻訳に四苦八苦しているのでしょう。
そもそも、Securityとは、ラテン語のSe(without)とcura(care)が語源で、
不安のない状態を指します。今回の翻訳の迷いに見られるように、
国際関係における不安の源泉は、他国からの攻撃だけではなくなり、
テロをはじめ、資源枯渇、温暖化なども含む多様なものとなっています。
いつの日か、誰もが不安なく暮らせる状態が当たり前となり、
securityという言葉自体が意味を持たなくなる日が来るとよいのですが…
今日からワシントンDCで、核テロ対策を国家首脳レベルで話し合う
Nuclear Security Summitが行われています。
オバマ大統領肝いりの会議ですが、この会議名の日本語訳は、
核セキュリティー・サミット(NHK, ABC)、核保安サミット(朝日新聞)、
核安全サミット(読売)、核安全保障サミット(日経、産経)など、まちまち。
Securityは、国際関係に関する場合、一般に「安全保障」と翻訳されます。
国際関係におけるSecurityとは、「砦(障)によって、安全を保つ」、
つまり他国からの攻撃から、自国を守ることと捉えられてきたからです。
しかし、会議の対象は、テロリストの手に核が渡るのをいかに防ぐのか。
「砦」で「他国からの攻撃から守る」という類のものではありません。
そのため、安全保障という定訳を当ててよいのか判断に迷い、
各メディア翻訳に四苦八苦しているのでしょう。
そもそも、Securityとは、ラテン語のSe(without)とcura(care)が語源で、
不安のない状態を指します。今回の翻訳の迷いに見られるように、
国際関係における不安の源泉は、他国からの攻撃だけではなくなり、
テロをはじめ、資源枯渇、温暖化なども含む多様なものとなっています。
いつの日か、誰もが不安なく暮らせる状態が当たり前となり、
securityという言葉自体が意味を持たなくなる日が来るとよいのですが…
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2010-03-30 : 18:00 : admin
# テロの恐怖
こんばんは、ミッチーです。
昨日、モスクワの地下鉄駅で連続爆弾テロ事件がありました。
地下鉄駅は、人が多く集まる場所というだけではなく、
テロ攻撃を受けると避難も容易ではありません。
とくにモスクワの地下鉄は核攻撃時のシェルターの役目を期待し、
大深度(地下10階程度)に作られており、被害が拡大したようです。
核戦争の脅威が少なくなりつつある今、
核攻撃から守るために大深度に作った地下鉄が、
かえってテロの標的となり被害を拡大させている…。
実際、ラッシュ時の地下鉄がテロの標的になることは少なくありません。
東京でも1995年に地下鉄サリン事件がありましたし、
ロンドンでも2005年に地下鉄爆破テロが起こっています。
ロンドン地下鉄爆破テロのちょうど一週間前、
まさに爆破された路線の同時刻の地下鉄に乗っていた私は、
今回のニュースに触れ、当時の背筋の凍る思いがよみがえりました。
いかなる理由があるにせよ、テロ行為は絶対に許されないと強く思います。
昨日、モスクワの地下鉄駅で連続爆弾テロ事件がありました。
地下鉄駅は、人が多く集まる場所というだけではなく、
テロ攻撃を受けると避難も容易ではありません。
とくにモスクワの地下鉄は核攻撃時のシェルターの役目を期待し、
大深度(地下10階程度)に作られており、被害が拡大したようです。
核戦争の脅威が少なくなりつつある今、
核攻撃から守るために大深度に作った地下鉄が、
かえってテロの標的となり被害を拡大させている…。
実際、ラッシュ時の地下鉄がテロの標的になることは少なくありません。
東京でも1995年に地下鉄サリン事件がありましたし、
ロンドンでも2005年に地下鉄爆破テロが起こっています。
ロンドン地下鉄爆破テロのちょうど一週間前、
まさに爆破された路線の同時刻の地下鉄に乗っていた私は、
今回のニュースに触れ、当時の背筋の凍る思いがよみがえりました。
いかなる理由があるにせよ、テロ行為は絶対に許されないと強く思います。
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2010-03-16 : 23:48 : admin
# 国境をまたぐ写真
こんばんは、ミッチーです。
先日、オランダ人には他言語に堪能な方が多いと触れました。
その一つの理由は、英仏独などに囲まれ、国土の狭いオランダは、
ヨーロッパの交通の要所に位置することを活かして、
交易に活路を見出さざるを得なかったからという逆説的なもの。
欧州連合の創設を定めたマーストリヒト条約が結ばれた、
マーストリヒト市は、まさにこうしたオランダの象徴的な街です。
東に少し行けばドイツですし、南に自転車を走らせればすぐにベルギー。
私がこの街に住んだのは、マーストリヒト条約が結ばれた後だったので、
オランダとベルギーの国境に向かうと、そこには何もなく…。
国境のしるしとして引いてあった線をまたいで、思わず写真を撮りました。
白い線をまたぐ足だけが映った妙な写真ですが、感慨深い思い出です。
先日、オランダ人には他言語に堪能な方が多いと触れました。
その一つの理由は、英仏独などに囲まれ、国土の狭いオランダは、
ヨーロッパの交通の要所に位置することを活かして、
交易に活路を見出さざるを得なかったからという逆説的なもの。
欧州連合の創設を定めたマーストリヒト条約が結ばれた、
マーストリヒト市は、まさにこうしたオランダの象徴的な街です。
東に少し行けばドイツですし、南に自転車を走らせればすぐにベルギー。
私がこの街に住んだのは、マーストリヒト条約が結ばれた後だったので、
オランダとベルギーの国境に向かうと、そこには何もなく…。
国境のしるしとして引いてあった線をまたいで、思わず写真を撮りました。
白い線をまたぐ足だけが映った妙な写真ですが、感慨深い思い出です。
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2010-03-09 : 22:45 : admin
こんばんは、ミッチーです。
Thank youといえば思い出すのは、オランダ時代のアパートの管理人さん。
オランダ人は3,4カ国語を話す人が多く、
英語に至っては子供と老人以外は皆話せるという印象。
文法も語彙も似通っているので無理もないのですが、
そのせいで英語を話していても本人も気づかぬまま
オランダ語の単語が混じるなんてこともしばしば。
管理人さんは、私には流暢な英語で話しかけてくれるのですが、
しばしば、最後にドンキューというのです。
最初は何のことだか分からず???だったのですが、
ある時、Thank youはオランダ語でDank U Welということが分かり、
彼女のドンキューは、南部なまりのDank Uなのだと判明。
それからというもの、街でDank Uという表記を見るたび
(いまだに)なんだか微笑んでしまうのです。
Thank youといえば思い出すのは、オランダ時代のアパートの管理人さん。
オランダ人は3,4カ国語を話す人が多く、
英語に至っては子供と老人以外は皆話せるという印象。
文法も語彙も似通っているので無理もないのですが、
そのせいで英語を話していても本人も気づかぬまま
オランダ語の単語が混じるなんてこともしばしば。
管理人さんは、私には流暢な英語で話しかけてくれるのですが、
しばしば、最後にドンキューというのです。
最初は何のことだか分からず???だったのですが、
ある時、Thank youはオランダ語でDank U Welということが分かり、
彼女のドンキューは、南部なまりのDank Uなのだと判明。
それからというもの、街でDank Uという表記を見るたび
(いまだに)なんだか微笑んでしまうのです。
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2010-03-02 : 22:47 : admin
お久しぶりです、ミッチーです。
先週末仕事でワシントンDCに行っていました。
今冬のDCは、異例の大雪。
大降雪から2週間近くたった今も街中にはまだ、いたるところに雪雪雪。
さすがに主要道路は除雪済でしたが、2週間ゴミ収集車も来なかったとか。
でも、そこは環境意識の高い知識人が多いDC。
温暖化が進んでいないのではなく、温暖化が進んでいるからこそ、
太平洋の海水温が上がり、偏西風が蛇行し
DCに大雪が降ったと説明?してくれました。
バンクーバーで雪が少ないのと、DCでの大雪は、
いずれも温暖化こそが原因なんだとか。
なにはともあれ、雪不足が心配されたバンクーバー五輪も
無事終わってよかったですね。
先週末仕事でワシントンDCに行っていました。
今冬のDCは、異例の大雪。
大降雪から2週間近くたった今も街中にはまだ、いたるところに雪雪雪。
さすがに主要道路は除雪済でしたが、2週間ゴミ収集車も来なかったとか。
でも、そこは環境意識の高い知識人が多いDC。
温暖化が進んでいないのではなく、温暖化が進んでいるからこそ、
太平洋の海水温が上がり、偏西風が蛇行し
DCに大雪が降ったと説明?してくれました。
バンクーバーで雪が少ないのと、DCでの大雪は、
いずれも温暖化こそが原因なんだとか。
なにはともあれ、雪不足が心配されたバンクーバー五輪も
無事終わってよかったですね。
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2010-02-10 : 18:03 : admin
はじめまして、ミッチ―といいます。
オーストラリア、オランダ、カナダなどの在住経験があります。
今日は、オーストラリアのおやつの話にまつわる思い出を。
オーストラリアの私の親友宅のおやつはナチュラル志向でした。
リンゴや、洋ナシ、バナナの時はいいのですが、
しばしばニンジンなどの野菜も。
オーストラリアで一般に食べられているニンジンは、
日本のものよりも小ぶりで甘め。
だから、ここまでは許されるのですが、時にキュウリも出てくるのです!
「はいおやつ」といって、キュウリ一本渡された時の衝撃といったら…。
しかも、これが、日本のものと比べると直径が倍以上あって、水っぽい。
ドレッシングも塩もなして、「おやつ」として出されてもつらい[:のぉ:]
美味しそうにほおばる親友の味覚を疑いつつ、
人の家で出された手前残すわけにもいかず、
いまでも、欧米などで巨大なキュウリを見かけると、
当時の苦痛が鮮明に思い出されます。
オーストラリア、オランダ、カナダなどの在住経験があります。
今日は、オーストラリアのおやつの話にまつわる思い出を。
オーストラリアの私の親友宅のおやつはナチュラル志向でした。
リンゴや、洋ナシ、バナナの時はいいのですが、
しばしばニンジンなどの野菜も。
オーストラリアで一般に食べられているニンジンは、
日本のものよりも小ぶりで甘め。
だから、ここまでは許されるのですが、時にキュウリも出てくるのです!
「はいおやつ」といって、キュウリ一本渡された時の衝撃といったら…。
しかも、これが、日本のものと比べると直径が倍以上あって、水っぽい。
ドレッシングも塩もなして、「おやつ」として出されてもつらい[:のぉ:]
美味しそうにほおばる親友の味覚を疑いつつ、
人の家で出された手前残すわけにもいかず、
いまでも、欧米などで巨大なキュウリを見かけると、
当時の苦痛が鮮明に思い出されます。
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