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# 2012年のインド?:インディアン・イングリッシュ
 こんにちは、さふらんです。冬の北陸の空は曇りがちですが、それだけにたまに晴れの日がのぞくと、澄み切った青空と陽光に、気持ちまで明るくなります。さて、今回は2012年12月に訪れたインドで考えたこと、第3弾です。
 
 ほとんど自由時間のなかった今回の旅行の中で、唯一の自由時間は空港での待ち時間でした。かつてインドの、しかも地方都市の空港と言えば、がらんどうの廃墟のような、素っ気ないものが多かったのですが、航空業界の自由化に伴って最近では空港の近代化も進み、お洒落なお土産物屋さんやDuty Free shop、カフェやバーなども充実してきました。そしてうれしいのは、空港にはたいてい書店が入っていることです。

 今回の旅でも空港で何冊かインド関係の本を買いました。その一冊がこの写真の本、題して”Indian English”です。 Lonely Planetという有名なガイドブックの別冊ムック(?)のようで、装丁がかわいらしかったことや手のひらに収まる程のサイズだったことに惹かれて思わず「ジャケ買い」してしまったのですが、読み始めると思いのほか没頭して読みふけってしまいました。表紙の一番下にある謳い文句 “Total timepass!”も納得です。

 そもそも、Indian English、つまり「インド英語」とは何なのでしょう。よく聞くのは「イングリッシュ」と「ヒンディー」を合わせた「ヒングリッシュ」という言葉。でもインドでヒンディー語を純粋な母語とする人々は4割程度と言われていますし、「ヒングリッシュ」はどちらかと言うと、時に揶揄されることもある、インド系の人々の早口で巻き舌がかった独特の発音を指しているように思われます。この本によると、Indian Englishとは、インドの人々によって話される英語、そしてほかの英語(Other Englishes (!)) と同じように、その中に様々な地域的多様性を含む、とされています。したがって、例えば、Delhi Indian English(デリーのインド英語)というものも存在する、とのこと。

 本の中身を見ると、まず冒頭でインド特有の英語表現や用法について、その歴史や特徴(発音、文法、語彙など)が詳細に説明されています。そして実際の用語例が様々なテーマに沿って紹介されています。
 海外滞在経験のほぼ全てがインドである私にとっては、今更ながら、へー、あれはそういう意味だったのか、とか、え?これってインドだけなの?という納得や驚きがいろいろありました。具体的に、どんな言葉を見てそう思ったのか、今回もいつの間にか紙幅がわずかになりましたので、機会があればまた次回。
 と、言いながら、ここまでに読まれた文章の中で一つ、インド英語とされるものが登場していたことにお気づきでしょうか?そう、”Total timepass”のtimepassはインド英語の一つだそうです。訳すとすれば、「最高の”暇つぶし”!」と言ったところでしょうか。なお、ネットで少し調べてみると、time-passと間にハイフンが入るのが正式の(?)インド英語のようです。奥深い…。

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# 2012年のインド?:ビフォー&アフター
 こんにちは、さふらんです。もう2013年に入っていますが、今日は2012年12月21日付けの記事の続きで、昨年末に行ったインド出張で考えたことについて書きたいと思います。

 ある日、ホテルでテレビを見ていたら、いわゆるテレビショッピング番組が始まっていました。紹介されていたのはその名も「イージースリム」という名前のダイエット茶です。身支度をしながらぼんやり見ていたのですが、これが、日本の同種の番組とはまた違う、説得力があって、思わず電話をしてしまいそうになりました。

 日本の番組でよく使われるのは、例えば効能や値段が発表された後に「へえー!」という観客の歓声のような効果音が入るとか、あるいは既に購入した人に電話出演をしてもらって、その良さを語ってもらう、という手法だと思います。視聴者と同じ立場=顧客の声を使うことで、共感を誘うやりかた。

 一方、たまたまかもしれませんが、この時インドで見ていた番組では、そういった手法は皆無で、むしろ売り手側からの畳み掛けるような事実の羅列が続きます。特にすごかったのは「肥満にはこういったマイナスがある!」という画面で、サリー姿の女性の写真に、これでもかとばかりに肥満の弊害がテロップで出てくる映像。興味深かったので、写真に撮ってみました。? 糖尿病、?高血圧、?背中の痛み、?気持ちの落ち込み、?過度の緊張、?心臓病
と言った具合です。
こうして見ると、インドではどちらかというと、心身両面での健康という理由でダイエットをすることが推奨されているようで、それも意外な気がします。日本でダイエットをするおそらく一番の理由は見た目を良くしたい、という願望であり、こういった宣伝に一番使われるインパクトのある映像は、外見がいかに変わったか、というものだと思うからです。

と、考えていたら、出ました、インド版のビフォー/アフターです。実際のところ、インドの女性がビキニを着てプールで泳いでいることはまずないので、現実離れした映像ではありますが、効果のほどは伺えます。痩せて美しい彼女がいかにダイエットに成功したか、を、プールに象徴されるようなお洒落な生活スタイルを挟みながら紹介するシーンで、やっぱり、そうだよなあ。と、腑に落ちた気がしました。

インドでは、ふくよかな女性=富の象徴だから、映画女優もそういった人が多い、という言説は過去のものになりつつあります。今では映画女優も欧米の女優のように細い人が多いです。「イージースリム」、果たしてインドでの売上げはいかほどなのでしょう。

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# 2012年のインド?:ゆるキャラ化する神様?
 こんにちは、さふらんです。遂に冬将軍の到来(←古いでしょうか)、雪も降りぐっと寒くなりました。そんな中、久しぶりにインドに行く機会がありましたので、何回かに分け、今回の旅で思ったことを書いていってみたいと思います。まず第一回目の今日は神様について。

 2006年に出版された『インドの時代』(中島岳志)では、経済自由化以降、モノの豊かさが実現される一方で、精神的な戸惑いや不安を抱くようになった人々、特に中間層やニューリッチとされる人々が、自らのアイデンティティや豊かさの確信を、宗教的な価値に再度見出そうとする姿が描かれています。
 もともとインドでは、例えば日本に比べはるかに、宗教が人々の生活に身近に存在していると思います。食事や服装に宗教上の決まりがあったり、毎日のお祈りをする人も多かったり、観光名所にもなるような大きくて立派な宗教施設はもちろんのこと、日々の生活空間である「その辺の街角」にも小さなお寺や祠のようなものが、宗教の別を問わず無数に見かけられます。また、特にこれはヒンドゥー教を中心に、神様の絵を描いたポスター(宗教画というより、ポスターというイメージが近い)やステッカー、像もよく売られています。

 ヒンドゥー教というと一つの宗教というイメージがありますが、インドの人の話を聞くと、それぞれに特に好きな神様がいるようです。中でも人気は象の姿をした「ガネーシャ」で、ガネーシャをかたどった神様グッズはありとあらゆるところで見かけることができます。例えば、私がインドで住んでいたアパートのドア柵(防犯の意味でドアの外に付ける鉄柵)にもガネーシャがあしらわれていましたし、今の季節だと、グリーティング・カードにガネーシャのモチーフを見かける機会も多いです。
 そんな中、最近見かけるようになったのが、日本の若い女性の心をもつかむような、まるっこく、かわいらしい感じにデフォルメされたガネーシャの素焼きグッズです。以前はモダンなクラフトショップで見かける程度でしたが、今回の旅では路上のお土産売りにも並んでいて、人気商品であることが伺えました。写真で見て頂くと分かりやすいかと思うのですが、こんな感じです。 お風呂にでもつかっているかのようなリラックスした姿のガネーシャと、ちょこんと縁(へり)からこちらを覗いているネズミ(ガネーシャの乗り物とされ、二つは常にセット)の姿は、なんともユーモラスで味があり、これが神様であることを知らない人々にも「かわいい」「魅力的」なものとして映るのではないでしょうか。そして、もはやここまで来ると、神様というよりむしろ想起されるのは近年日本でも大人気の、ゆるキャラと呼ばれるキャラクター達の姿です。

そこで掲題なのですが、インド、より正確にはヒンドゥー教の世界で、神様のゆるキャラ化が進行しているような気がします。これが冒頭で紹介した、人々の宗教的価値への回帰と連動するものなのか、あるいはそれとは全く関係のないものなのか、インド人自身はこの“ゆるキャラ化した神様”を受け入れているのか、さすがに行き過ぎだと思っているのか、うーん・・・まだまだリサーチは続きそうですが、とりあえずは、商売繁盛や学問の神様であるガネーシャの姿を今一度、みなさんにお届けして今年最後の回を終わりたいと思います。 (写真は、寝そべっているガネーシャ)

まだすこし早いですが、みなさま、2013年もどうぞよいお年を。

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# インドの大統領のはなし1
〜「閣下」をやめたベテラン政治家大統領〜

さふらんです。11月に入り一気に寒くなりました。

11月6日付けでオサゼさん、8日付けでくーさんが書いているように今週アメリカでは大統領選挙が行われ、オバマ大統領の再選が決まりました。日本でも新聞の号外が出たりしていましたが、インドでもアメリカの在外公館が主催する選挙イベントが行われるなど盛り上がりを見せていたようです。今日のブログでは大統領つながりということでインドの大統領について書いてみたいと思います。

インドには、首相と共に大統領が存在します。実際上の最も大きな政治的権限は首相にあり、かつてこのブログでも取り上げたインディラ・ガンディーはインド初の(そして現在のところ唯一の)女性首相でした。現在の首相は白いひげとターバンにめがね、温和な表情が印象的なマンモハン・シン首相です。

一方、大統領は国家元首ではありますが、象徴的な意味合いの強い立場で、国会議員や州議会議員による間接選挙で選出されることからも、時の政権与党の意志が色濃く反映される人選となります。そして興味深いことに、ここ最近のインドの歴代大統領には多民族国家インドを象徴するような、マイノリティー出身者が多く見受けられます。例えば第11代ナラヤナン大統領は初のダリット(不可触民)・コミュニティーの出身、その次の第12代アブドゥル・カラム大統領はイスラム教徒、その次の第12代プラティバ・パテル大統領が初の女性大統領、という具合です。この流れに少し変化をもたらしたのが現在の第13代プラナム・ムカジー大統領です。今年7月に大統領に就任したばかりのムカジー大統領はインド独立以前、1935年生まれの76歳。前述のインディラ・ガンディー首相の時代には既に首相の右腕と呼ばれ、その後も外務大臣や防衛大臣等の要職を歴任してきた人物で、今回大統領になる前も財務大臣を務めていました。

自身長らく首相職を狙っていたとされるほど政治力をもった人物が大統領職に就いたことで、象徴的な意味合いをもつインドの大統領にも変化が訪れるのではないかという予想もありましたが、今のところ、大きな動きはありません。そんな中最近、一つ興味深いニュースがありました。

インドでは慣例的に(英国植民地時代の影響と言われていますが)、要人の名前に日本人から見るとやや大げさとも思える敬称を付けることが通常儀礼となっています。大統領の場合それは、”His Excellency, Hon’ble President of India Shri(氏名)” という形をとります。ShriはMr.の意味なので、その前に”His Excellency”と”Hon’ble”(Honorableの短縮)という二つの敬称がつく訳です。両方、訳すとすれば「閣下」が適当でしょうか。これに対し、ムカジー大統領は、外交上の慣習にそぐわない場合を除き、冒頭のHis Excellencyを取り払うよう命じた、と報じられています。閣下は一つでいい!と言ったかどうかは分かりませんが、確かに、こういった儀礼に関する事柄は本人がやめると言わない限りなかなかやめられない性質のことではないかと思います。大統領の記名から敬称を一つ外す、一見小さなことにも思えるこの変化が、ムカジー大統領が仕掛ける大きな変化に向けた一歩なのか、それとも過度な儀礼主義に対する素朴な反応なのか、今後の大統領の動きを注視したいところです。

さて、せっかく大統領について取り上げたので、次回は他の大統領についてももう少し詳しく書いてみたいと思います。

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# インドのコーヒーのはなし 2
こんにちは。さふらんです。木々も色づき始め、肌寒くなった朝や夜にはあたたかい飲み物がおいしい季節になりました。

そんな中、インドにスターバックス第一号店がオープン!というニュースが飛び込んできました。今日はインドのコーヒーのはなし第2弾をお送りしてみたいと思います(第1弾は2011年10月7日付)。

さて、インド初となるスターバックス。気になる値段は1杯あたり100〜150ルピー前後(現在、1ルピーは約1.5円)と、他国のスターバックスと比べると低めに設定されているようです。とはいってもインドの物価からすると相当高いコーヒーであることは確かなのですが、第一号店オープン時には店の前に長蛇の列ができたとのこと。

CNNニュースでは、「コーヒーに対する関心よりも、清潔で安全な環境でリラックスや交流が出来る点がスターバックスの店の大きな魅力(中略)仮に店でレモネードを売ったとしても、客は集まるだろう」というコンサルタント会社の分析が掲載されていますが、自分自身がインドでいわゆるチェーン系のカフェを利用する時も、確かにそこで出されるものより、その場の雰囲気を求めていた気がします。

一方で、インドのスターバックスには、そこで出されるものについても特筆すべきことがあります。今回のスターバックスによるインド進出は、インド有数の財閥タタ・グループとの提携によるものですが、同グループはインド国内で栽培したコーヒー豆をスターバックスに提供することになっています。当初はインド国内のスターバックス向けですが、いずれは世界のスターバックスチェーンに供給拡大していくとも言われており、そうすると、日本のスターバックスでインド産のコーヒーを飲む日もいずれやってくるかもしれません。

ああ、コーヒーが飲みたくなってきました。

続き▽
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# インドを舞台にした映画のはなし
こんにちは。さふらんです。先日、友人に勧められて『ザ・ベスト・エキゾチック・マリーゴールド・ホテル』(長いので以下BEMH)という映画を見ました。これがとてもおもしろい映画だったので、今日はこの中から特に印象に残った台詞を中心にして紹介してみたいと思います。

ボリウッド映画と言われるヒンディー語映画やコリウッド映画と呼ばれるタミル語映画など、インドが映画大国であることは最近知られるようになってきたかと思います。

今回取り上げるのは、インド映画、というよりもインドを舞台にした英国映画です。同じ系統の映画として最近では『スラムドッグ・ミリオネア』がありました。ですが『スラムドッグ・ミリオネア』の登場人物がインド人達だったのに対し、BEMHの主な登場人物は英国人達です。

様々な理由で老後をインドで過ごすことにした男女7人の英国人達。かつてインドで生活していた元判事や、これまで自主的に社会と関わったことのない未亡人、恋多き老紳士など、多彩な人々がBEMHにやってきます。そして各々、それまでに築いてきた価値観や人生の歴史を抱えながら、インドというこれまでとは全く違う環境の中で改めて自分と向き合っていく、その過程を描く群像劇です。

“I don't eat things I can't pronounce”
(発音できない物は食べないことにしてるの)
これはインドに到着した直後、現地のスナックを勧められた人種差別主義者の老女が言う台詞です。人種差別主義者という どぎつくなりがちなキャラクターを和らげると共に、彼女の「スマートな」(昨日10月11日付のくーさんの記事を参照)一面が垣間みられるおもしろい台詞です。

"Have we traveled far enough that we can allow our tears to fall?"
(私たちは涙を流せるほど遠くまで旅をしてきたと言えるだろうか)
ややネタバレになりますが、グループの一人が亡くなり、ガンジス川のほとりで火葬を行うことになります。その時、残されたメンバーの一人がつぶやく台詞です。travelを本当は「これまで共に過ごした時間」と訳したいところです。味わい深く、美しい台詞だなと思いました。

“In India, we have a saying: Everything will be all right in the end. So if it is not all right, it is not yet the end.”
(インドには、『全てのことは最終的にはうまくいく』、ということわざがあります。だから、もし何かがうまくいっていないなら、それはまだ終わりではないということです)
予告編等でも使われている有名な台詞で、映画の中では、あまりにもひどい部屋の状態にクレームをつける客の一人を、ホテルのマネージャー(余談ですが、『スラムドッグ・ミリオネア』の主人公を務めたデヴ・パテルがこの役を演じています)が なだめる台詞として登場しますが、もっと大きく意味をとらえるならば、リタイア世代を主人公にしたこの映画のテーマとも言えるかもしれません。そして私がインドを愛する理由の一つである、かの国におけるいい意味での適当さ、おおらかさ、何よりも肯定と希望に満ちていて、映画を見終わった後、個人的に一番好きな台詞になっていました。

さて、うまく伝えられたかどうか分からないのですが、舞台がインドであることを差し引いても、リタイア後の人生という、これから重要になってくるであろうテーマや、ジュディ・リンチやビル・ナイといったベテラン英国人俳優がそろい踏みのキャスト等、魅力に満ちた映画です。予告編のリンクを貼っておきます。興味を持たれた方は是非ご覧になって下さい(※ただし日本での公開は残念ながら未定とのこと)。

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# インドの医薬品のはなし 2
こんにちは。さふらんです。今日はインドの医薬品について続きを書いてみたいと思います。

最近、国際的大手製薬会社である独バイエル社が、同社新薬のインドにおけるジェネリック製造に対し異議申し立てを行ったと前回書きました。

この背景には、インド政府が強行した「強制実施権の発動」があります。強制実施権とは、「公衆衛生上の緊急時や、特許対象製品が国内で全く販売されていない場合など」に、「特許を付与した政府(インド政府)が、特許権者(今回の場合:バイエル)の許可なく、その特許を利用する権利を第三者(今回の場合:たとえば地場の後発メーカー)に与えること(※)」とされます。

とは言え、実際のところこれまでこの権利が現実に発動されることはありませんでした。ところが2012年3月、インド政府は初の強制実施権発動に踏み切りました。バイエル社が特許をもつ抗がん剤について、インドでのジェネリック生産を認める決定を下したのです。前述のように、バイエル社はこの決定を覆すため、インドの特許当局(インド知的財産審判部)に異議申し立てを行いました。これが今月(2012年9月)のことです。

報道によると、このことに対し国際的医療支援NGOの国境なき医師団(MSF)は、バイエルを非難する姿勢を示しています。公衆衛生は新薬製造会社の利益追求よりも重要である、という主張です。

他方、強制権の発動ではありませんが、同じくジェネリックを巡ってインド政府と対立している製薬企業ノバルティスは、インドで生産されているジェネリックの大半が先進国への輸出向けである、との指摘を行っています。確かに、インド政府がジェネリックを推進する背景には公衆衛生の観点に加え、国内の製薬産業の保護促進といった側面があることも否めないでしょう。

ここで少し話しは変わりますが、私の故郷の富山県は、薬の行商、いわゆる「売薬さん」で有名な県です。交通網がそれほど発達していない時代から、いわゆる「売薬さん」たちは、薬箱を背負い、町から町へ、家から家へと渡り歩いて、「先用後利〔せんようこうり〕」の精神で人々に薬を届けてきました。今日、薬はインターネットという「売薬さん」の手で、信じられない程遠くの場所へ、信じられない程速いスピードで届けられます。インドで生産された薬を日本の一般薬局で普通に購入できる日も近いかもしれません。

そう考えていくと、インドを舞台に繰り広げられているジェネリック訴訟の結果が、医薬品のグローバル・マーケティングの論理の中でどのような意味を持つのか、「くすり県」の住民としても気になるところです。

※出所:久保研介「特許制度改革後のインド医薬品市場をめぐる政策動向」、ジェトロ海外研究員レポート、2011年6月

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# インドの医薬品のはなし 1
こんにちは。さふらんです。めっきり涼しくなりました。季節の変わり目で体調を崩される方もいらっしゃるのではないでしょうか。今日はインドの医薬品について書いてみたいと思います。

先日知人に、「インドでお腹をこわしたときはインドの薬しか効かない(日本の薬は効かない)というのは本当か?」と尋ねられました。実際のところ、成分に変わりがなければ日本の薬だろうがインドの薬だろうが効果は同じではないかと思いますが、何となく気持ちは分かります。

というのも私自身、インド滞在中に体調を崩した際に、日本から持って行った薬は効かなかったのに、インドの医者に処方された大きくて緑色の今まで見たことがないような錠剤がてきめんに効いた経験があるからです。いわゆるプラシーボ効果なのか、お医者さんの処方が的確だったのか、結局のところ、あのとき、薬の産地がどれほど重要な要素だったかは分からないのですが、風土病というものもありますから、やはりある程度、現地で得た病(という程大げさなものでなくても)には現地の薬が効くのかもしれません。

と書いておきながら、それとは全く逆行するかのような話なのですが、上記のような話がある一方で、インドの医薬品と言えばジェネリック(後発医薬品)という単語を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。

インドでジェネリックが盛んな原因は、医薬品に関するインドの特許制度が独特であるためのようです(※)。安価なジェネリックに対しては、世界最大の医薬品市場を持つ米国をはじめ各国から、そしてインド国内からも大きな需要があります。品質基準が高く医薬品の輸入が難しいとされる日本でも、安価なジェネリックをインドから個人輸入している方もいるようです。ここで見られるのはまさに、どこで作ろうと誰が作ろうと効き目が同じなら薬は薬!というユニバーサルな感覚でしょう。

最近、このようなインドのジェネリックを巡って、いくつかの動きがありました。一つは9月の初め、ドイツの製薬大手バイエル社が同社の抗がん剤のジェネリック製造に対する異議申し立てをインドで行ったことです。そもそもこの動きの背景には、インド政府が行った、ジェネリック製造の「強制実施権の発動」という出来事があったようです。

長くなりそうですので続きは次回に。


※2005年までインド政府は医薬品の物質特許を認めず、製法特許のみを認めていた。その他にも欧州等では一般的に認められている形の特許がインドの特許制度では認められない側面がある。

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# インドのマイクロ・ファイナンス規制について 2
こんにちは。さふらんです。通知表…という懐かしい言葉があちこちで聞かれるこの頃です。いよいよ夏休みですね!月曜日からはこの SWIFT メンバーズ・ブログでも恒例の夏期限定『フォト日記』が始まります、どうぞそちらの方も宜しくお願い致します。さて今日はインドのマイクロ・ファイナンス規制について続きを書きたいと思います。

前回(2012年7月6日)書いたように、マイクロ・ファイナンスは「貧しい人々にお金を貸しても帰ってくる」という、ユヌス氏の実践に裏打ちされた信念から始まったものでした。もっとも融資を必要とする貧しい人々が金融と接点を持てること、そしてそれによって貧しさから抜け出すことができること。今までになかったこの取り組みが評価され、ユヌス氏は2006年にノーベル平和賞を受賞するに至ります。

これによってマイクロ・ファイナンスという仕組みの知名度が一気に高まり、数多くの、そして多様なプレイヤーが参加するようになりました。マイクロ・ファイナンスの担い手は政府機関(やその援助プロジェクト)からNGO、民間銀行(やファンド)まで幅広いもので、その内容も様々です。そしてこのことがマイクロ・ファイナンスの規制につながっていきます。

マイクロ・ファイナンスは現代的なコンセプトで言えば「ソーシャル・ビジネス」と言われるものの はしりで、社会的な課題をビジネスの手法を採り入れて解決していこうとする試みととらえることができます。何が言いたいかというと、たしかにマイクロ・ファイナンスは単純な慈善事業ではないということです。

「貧しい人々にお金を貸しても返ってくる」、これを一歩進めて、「貧しい人々にお金を貸すと儲かる」、と考える人が出てくるのは時間の問題でした。たとえばインドで最大の(そして唯一上場している)MFIであるSKSには、かのジョージ・ソロスも出資しています。マイクロ・ファイナンスを金融商品とみなす動きも出てくるようになったのです。特にインドのアンドラ・プラデシュ州には多くのMFIが集まり、マイクロ・ファイナンス産業?の集積地とでもいうような状態になっていました。

数多のMFIの中にはもちろん、ユヌス氏の信念を地道に実践しているものもあります。しかし一方で、商業化が行き過ぎたMFIが大きな悲劇をもたらすケースも出てきました。

MFIからの融資を返済するために他のMFIからの融資を受け、多重債務の中で首が回らなくなった挙句に自殺を遂げる。たとえば2010年12月のブルームバーグ・ニュースは、返済を苦に2人の幼い子供たちを残して焼身自殺をした母親と、彼女を助けようとして自らも亡くなってしまった父親、というある家族の悲劇を報じています。インドでは特に2000年代後半から、このような報道をよく目にするようになった気がします。

遅ればせながら(と、個人的には思いますが)この事態に対してインド政府がとった対応策が、前回ブログの冒頭で紹介したマイクロ・ファイナンスの規制法案です。同法案では、複数のMFIからの融資の禁止や金利上限の設定(26%)などが盛り込まれています。これによって今起きている問題がどれほど解消されるのかはわかりませんが、ユヌス氏が作り上げたマイクロ・ファイナンスの仕組みそのものには貧困問題の解決に向けた確かな可能性、大きな希望を感じます。インド政府による規制が、マイクロ・ファイナンスの今後に与える影響について注目していきたいと思います。

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# インドのマイクロ・ファイナンス規制について 1
こんにちは。さふらんです。じわじわと、夏が近づいてきました。

先日、インドの国会でマイクロ・ファイナンス(micro finance)を規制する法案が提出されました。その話をする前にまず、マイクロ・ファイナンスというアイデアを世に送り出した、インドの隣国、バングラデシュのムハンマド・ユヌス博士の活動について少しお話ししたいと思います。

マイクロ・ファイナンスは、マイクロ・クレジット(micro credit)という言い方をされることもありますが、銀行などを利用しづらい貧しい人が対象の少額融資や預金、保険といった金融サービス(kotobank 検索結果より)です。ユヌス博士のアイデアで画期的だった点、そしてマイクロ・ファイナンス/マイクロ・クレジットの核になっている点は、貧しい人々に対する、文字通りの信頼(credit)だと思います。

貧しい人にお金を貸しても返ってくる、こう書くと単純なように聞こえますが、実のところ誰も、心の底では信じていなかったことです。であるからこそ、それを「本気で」信じ、実践に移すユヌス博士が現れた時、単純にして力強い変化がもたらされました。それまで市井の銀行から見向きもされず、金融システムから完全に断絶されてきた膨大な数の人々(2012年4月6日付のブログでも触れたインドの銀行の興味深いコマーシャルを思い出します)も、お金を借りる、返す、殖やす、貯めるといった金融活動を通じて人生を変えるチャンスを手に入れたのです(※)。

わずか10名程度からスタートしたユヌス博士の試みは、村から村へとその範囲を拡大していき、現在ではバングラデシュの農村のほぼ100%が、博士が創設したグラミン銀行によってカバーされています。また、グラミン銀行以外のマイクロ・ファイナンス機関(Micro Finance Institution, MFI)も急増しており、その内訳も多様です。途上国のみでなく、アメリカのような先進国にもマイクロ・ファイナンスの波は広がっています。

次回は、なぜ今インドでは、マイクロ・ファイナンスを規制する動きが見られるのかについてお話ししたいと思います。

※ 実際にはマイクロ・ファイナンスには、自分の名前を書けるようになる、計算ができるようになるといった、借り手による、金融活動に付随するスキルの獲得や、さらには金融活動に直接は関連しない経験、知識の獲得等、単なる金融活動以外の様々な要素が含まれると考えられています。

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