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# 今日のついーと13
Tokoです、こんにちは。
2月6日にオノ・ヨーコさんが、

 『 人生は絶対にあきらめちゃダメ。
   人生って素晴らしくできるものよ。
   自分の人生に向き合いながら
   たくさんの時間を費やした後は
   なおさらね。 』

とつぶやいてますね。原文はこちら @yokoono

  Don’t ever give up on life.
  Life can be beautiful.
  Especially after you’ve spent
  a lot of time with it.

この「つぶやき」を読んで、あるドラマを思い出しました。
80歳近い老夫婦の二人暮し。妻は10年前に腰の骨を折り脚が不自由なため、夫が炊事・洗濯などの家事に加え、妻の介護をしてきました。しかし、夫が突然「通風」を発症し激痛に起き上がれもせず、にっちもさっちもいかない状態に追い込まれます。幸い、近くに住む次女が、知り合いのヘルパーに急遽訪問するようお願いし急場をしのぎます。そのうち遠方に住む三女のアユミもかけつけ、夫の症状が治まるまで妻の面倒をみてくれることになりました。

このドラマは、高齢化社会におけるいわゆる老老介護の問題を指摘するだけでなく、人生の意義について考えさせられるものでした。一人の人間が生を受けて、その人生をまっとうするまで生きる意義とは。オノ・ヨーコさんが言われているように長年苦労を重ねても素晴らしい人生となるのでしょうか。それとも自分の手でそうできる、ということでしょうか。

(話の続き)・・・共働きで子育て中のアユミが実家に帰るのは実に数年ぶりです。そこで彼女が目にしたのは、廃人のようになってしまった母でした。母は自分の力で歩くこともできなければ、目も開けてものを見ようともしません。でも脚の骨が曲がっていたり、極度に弱っていたりというわけではないので筋肉さえつけば歩ける体なのです。それに、アユミは感じます、目だって見えるはず。現に衣類の整理をしているとき昔の服が出てきて「小学校の参観日」の話をしたら、一生懸命その服の色・柄を確かめようと目を開き、母はそれを実際見ることができたのですから。でも、そのとき以外は終始、ご飯を食べるときでさえ母の目は閉じたままでした。
アユミは、周りの「介護」の姿勢が母をそうさせたのだと感じます。力づくで母の身体を動かしたほうがよっぽど楽ですから。母に残っている力を引き出すには時間がかかります。子育てと似ているところがあって、自分でやったほうが時間は三分の一で済むから、やってしまう。けど、その子は育たない。アユミの介助の仕方だと、母が一回トイレに行ってベッドに安定して寝そべるまでに30〜45分かかります。食事をするのに台所までの往路・復路もそれぞれ40分くらいかかります。でも、これを続けていれば母は杖を上手に使って歩けるようになる体を持っているとアユミは確信するのです。
そうするうちにアユミは、母を廃人と化したのは、母の心だとも気付きます。それには五年前の長女の自殺が起因しているのかもしれません。「大事な大事な三つの球のひとつを亡くしてしもうた」と言って泣き崩れた母の姿がアユミの目に浮かびます。母は以来、外界との接触を絶つように、目を閉じつづけ相手の力にすべて任せて生きていくことをあえて選んできたのかもしれません。
・・・一週間後、アユミの根気強い介助のかいあって「あんたは助けてくれへんから困るわ」と言いつつも、母の声にもハリが出てきます。当初は「なんにも希望なんかあらへん」と言っていた母が「今年は、花見に行けるかなあ」と言い出すところで幕が閉じました。

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