PROFILE
POWERED BY
    POWERED BY
    ぶろぐん
    SKIN BY
    ブログンサポート
OTHERS

# 1年間ありがとうございました
こんにちは、Akikoです。

あっという間に年末になりました。この1年間、スイフトでお仕事をさせて頂いたことはとても幸運な出来事の一つだったと改めて思います。

締め切りは苦しいですが、英語に向き合っているのはとても楽しいです。もっともっと、訳出の精度を上げて、水のようにするっと入っていくように翻訳できたら最高です。

水のようにするっと入っていく、と言えば、同時通訳者の長井鞠子さんがいらっしゃいます。以前、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」でも紹介された方で、サミットから貿易交渉、東京オリンピック招致に至るまで、過去40年以上日本の外交を支えてきたと言われる、神様のような方です。同時通訳で、「言うは易し、行うは難し、であります」なんて、すらっと訳される方です。

番組の中では、長井さんの実際の通訳の現場だけでなく、単語リストを丹念に下準備したり、日本語の力を研ぎ澄ますために和歌の勉強をしたりする、舞台裏まで捉えていました。

そのときは単に、あれだけ英語が出来る方が、日本語までさらに磨きをかけている!とひたすら衝撃を受けていただけだったのですが、やがてもっと奥深いものがあるのではないか?と思うようになりました。

そして、ふと、昔読んだ白洲正子の「お能」という本に、書かれていたことを思いだしたのです。

お能の光が赤であるとする。千の観客はおのおのちがう色を持っている。
お能の原色の赤が舞台から観客へ放射されて、千の観客の色とそれぞれ交わると、青は紫となり、白は桃色となる…というようなことが書かれているくだりです。

そして、このように続きます。

「この場合、千の観客のなかにたったひとり、もし色をもたない人がいたとしたら、その人ダケがお能と同じ「原色の赤」を感じることができるはずです。この人の心は鏡のように、水のように、ありのままにお能をうつすことができるのです」(原文のまま引用)

「ある一個人の青が原色の赤と交わるとき、世にも美しい紫となるかも知れません。しかしそれは「お能をたのしむこと」であって、「お能を知ること」ではありません」

ああ、もしかしたら、長井さんは、話者の想い=色をそのまま映し出そうとしているのではないか。言葉を磨くのは、元の色に出来るだけ近づける手段ではないか、と思うようになりました。

まだ長井さんのレベルには到底及びもしませんし、理系や経済関連の単語だけでもふうふう言っているわたしですが、少しでも透明になって、ありのままにうつす翻訳が出来るように、精進して行きたいと思います。

どうかよいお年をお迎えください。
そして来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
Akiko : comments (x) : trackback (x)