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# 銃撃テロ事件に見る多大なテーマ
Bonjour, liviです。

少し前の話題ですが、在仏の者として一筆書こうと思っていたことなので、今回のブログで取り上げたいと思います。
先月、新年早々、パリで起こった不幸な事件。死亡者は計14名。シャルリ・エブド銃撃事件、立て続けに、警官銃撃事件、ユダヤ食品店人質事件は、イスラム国による日本人殺害事件と相まって、今でも皆さんの記憶に新しいと思います。

最初の事件が起こったのは、北マレ地区、第二の事件はモンルージュ、第三の事件はヴァンセンヌ。パリ市内と言えど、当初はあまり実感がなかったのですが、北マレに住んでいる知り合いが銃声の音やパトカーや救急車の騒音を聞いたり、私の自宅の最寄駅が通っているモンルージュが終点の4番線が制限されたり、人質事件で知り合いの友人の家族が巻き込まれて負傷したというのを聞いたりすると、行動範囲が至極限られている私でも、とても他人事とは思えませんでした。また、シャルリ・エブド銃撃事件の翌日の事件発生時刻に、全ての公共交通機関が停止し、一分間の黙祷を設けたという状況に置かれた時は、事件の重みをひしひしと実感し、様々な思いが心の中を巡りました。

事件後しばらくは、事件に関連する記事を読みあさり、可能な限り知識と情報を収集しようとしました。

イスラム国は、アルカイダより残忍な過激派組織であり、SNS等の利用による巧妙且つ斬新な手法で世界各国から組織加入の志願者を多く集めていること。

また、アルカイダとの相違点として、組織の頂点に立つ指導者の指令の有無に関わらず、各国に点在する過激派が単独でテロを行う(“ローン・ウルフ型テロ”、つまり「一匹狼テロ」と呼ばれ、パリでの一連の事件もこの例と言われている)ということ。

社会への不満や貧困を抱える若者が過激思想に傾倒するという事象が見られる一方で、イスラム国への加入志願者には、中流・裕福層も多く存在するということ。

海を超えた遠い国では、“イスラム教”と“イスラム過激派”や“イスラム国”を混同している人がいること、そうでなくとも、フランス国内でも、移民排斥主義者がイスラム教徒やモスク(イスラム教の礼拝堂)を「悪」とみなし攻撃するという事件が多発したこと。

人質事件で人質にとられたイスラム教徒の男性が、自分の身を危険にさらしてでも一人、脱出を図り、警察に状況説明をし、それが功を成して事件解決に至ったこと。

一連の事件により、移民排斥の声が色濃くなると共に、国民戦線を支持する者が増加したという事実。一方で、移民排斥という傾向が更なる反感を倍増させるという意見。

そして、多くの命を奪った“暴力”と、民主主義の真髄とも言える“自由”。

私が、5年来懇意にしている友人はアルジェリア国籍、イスラム教を国教とする所謂イスラム圏出身なのですが、彼女自身は無宗教(頭髪のみを隠すスカーフ“ヒジャブ”も使用せず、豚肉も食す)で、高校卒業までチュニジアのフランス学校で育ち、現在はパリ在住、という立場です。そんな彼女と、この一連の事件について話し合う機会がありました。彼女は、「大前提として、暴力には絶対反対だ」と前置きをして、「私の家族や親戚の中には、さほど厳格ではないと言えどもイスラム教徒もいる、ということを差し置いて、無宗教の私から言っても、シャルリ・エブドが描いたイスラム教に対する風刺は行き過ぎたものだと思う」という意見を述べました。私も同様の意見を持っていたので、「“言論・表現の自由”は守られるべきだと思うが、その権利を乱用して人を傷付けたり侮辱するべきではない。問題点は、相手に対する敬意の欠如だと思う」と言うと、彼女も「その通りだ」と同意していました。

何かを守ろうとすれば、何かが犠牲になってしまうこの世の中で、相手に対する敬意や尊重が双方間の対立を中和するであろう、というのはユートピア的かもしれません。けれども、未だ事件の影が漂う光景、例えば、著名なライターが住んでいるらしいアパートの前に立つ重装備した警官なんかを目にした時には、ふとそんな絵空事を考えてしまいます。

それでは皆様、次回まで御機嫌よう。
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