2013-02-07 : 23:19 : admin
先日、マララ・ユスフザイさんが英国の病院から退院したとのニュースを耳にした。
彼女は15歳にして、女子の教育の権利を訴える活動をしてきたパキスタンの少女で、昨年10月9日にワゴンに乗って学校から帰る途中、タリバン武装勢力の襲撃を受け、頭部および頸部に銃弾を受け重傷を負っていたのだ。
1997年生まれのマララは、パキスタンの小さな村で暮らしていた。その地ではイスラム過激派のタリバンが実効的な勢力を握っており、女子が学校に通うことを繰り返し禁止してきたそうだ。厳格なイスラム教の下では、女性が親族の男性を伴わない限り基本的に外出禁止、仕事や勉強やおしゃれをすることも禁じられており、写真を撮られても知らない人に声を聞かれても罪となる。ましてや「自分の意見を言う」ことは忌々しき事なのであろう。しかし教育者の父親を持つ彼女には、それが如何に不当で不合理であるかが本能的に分かっているのか、気丈にも彼女は、教育を受ける権利および女性の権利の改善を訴え続けてきたのだ。今や彼女は2013年のノーベル平和賞候補者の一人となった。
マララは11歳の頃からBBCに向けてブログの寄稿を始める。もともとは彼女の父親にBBCのパキスタン特派員から「タリバン勢力の下で暮らす庶民の声」を綴ってくれる人はいないかと打診があり、最初はマララより4歳年上の少女がその大役を担う予定であった。ところが、その少女は両親から強い反対を受け、代役を探す羽目になったそうだ。そんな事をすればタリバンの標的となるのは明白で、親として我が子が身の危険を犯す価値はないと判断したのだ。結果、白羽の矢がマララに。
On my way from school to home I heard a man saying 'I will kill you'. I hastened my pace and after a while I looked back if the man was still coming behind me. But to my utter relief he was talking on his mobile and must have been threatening someone else over the phone…
学校からの帰り道、私の耳に男の声が響いたのです「お前を殺すぞ」と。私はしばらく速足で歩いて、それから男がまだ私のあとをついて来ているかどうか見ようと後ろを振り返って胸をなで下ろしました。男は携帯電話で話しているところでした。きっと、誰かほかの子を電話で脅していたのでしょう…(2009年1月3日のBBCブログの記事より)
このような彼女の投稿が、現地の「生の声」として世間の注目を浴びないわけがなかった。しかし誰もが恐れていたように、偽名を使っていたにも関わらず、タリバンはその「声の主」が誰なのかをつきとめ昨年10月の犯行に至るのだ。
アメリカABC放送がマララの退院のニュースを伝えた動画がこちらでご覧になれる。彼女はインタビューに応えてこう言う:
「世界中の皆様のおかげで、私は神様から二つ目の命をもらいました。」
世界には、分かっているだけで 3,200万人の学校へ行けない少女がいるそうだ。識字率99.8%の日本からすると(ちなみにパキスタンは男性53.4%、女性28.5%)、このような少女が「読み書きを習う」といったごく当たり前のことを主張しただけで、過激派の標的になり得るという事実は真に受け入れがたい。それにも増して、退院の際、その彼女が世界に向けて堂々と感謝の辞を述べ、そのような恐怖体験をした今もなお、教育を受ける権利を主張し続けるという魂は、真に敬服に値する。
※ 彼女の生い立ち等についてはウィキペディアを参考にさせていただいた。http://en.wikipedia.org/wiki/Malala_Yousafzai

1997年生まれのマララは、パキスタンの小さな村で暮らしていた。その地ではイスラム過激派のタリバンが実効的な勢力を握っており、女子が学校に通うことを繰り返し禁止してきたそうだ。厳格なイスラム教の下では、女性が親族の男性を伴わない限り基本的に外出禁止、仕事や勉強やおしゃれをすることも禁じられており、写真を撮られても知らない人に声を聞かれても罪となる。ましてや「自分の意見を言う」ことは忌々しき事なのであろう。しかし教育者の父親を持つ彼女には、それが如何に不当で不合理であるかが本能的に分かっているのか、気丈にも彼女は、教育を受ける権利および女性の権利の改善を訴え続けてきたのだ。今や彼女は2013年のノーベル平和賞候補者の一人となった。
マララは11歳の頃からBBCに向けてブログの寄稿を始める。もともとは彼女の父親にBBCのパキスタン特派員から「タリバン勢力の下で暮らす庶民の声」を綴ってくれる人はいないかと打診があり、最初はマララより4歳年上の少女がその大役を担う予定であった。ところが、その少女は両親から強い反対を受け、代役を探す羽目になったそうだ。そんな事をすればタリバンの標的となるのは明白で、親として我が子が身の危険を犯す価値はないと判断したのだ。結果、白羽の矢がマララに。
On my way from school to home I heard a man saying 'I will kill you'. I hastened my pace and after a while I looked back if the man was still coming behind me. But to my utter relief he was talking on his mobile and must have been threatening someone else over the phone…
学校からの帰り道、私の耳に男の声が響いたのです「お前を殺すぞ」と。私はしばらく速足で歩いて、それから男がまだ私のあとをついて来ているかどうか見ようと後ろを振り返って胸をなで下ろしました。男は携帯電話で話しているところでした。きっと、誰かほかの子を電話で脅していたのでしょう…(2009年1月3日のBBCブログの記事より)
このような彼女の投稿が、現地の「生の声」として世間の注目を浴びないわけがなかった。しかし誰もが恐れていたように、偽名を使っていたにも関わらず、タリバンはその「声の主」が誰なのかをつきとめ昨年10月の犯行に至るのだ。
アメリカABC放送がマララの退院のニュースを伝えた動画がこちらでご覧になれる。彼女はインタビューに応えてこう言う:
「世界中の皆様のおかげで、私は神様から二つ目の命をもらいました。」
世界には、分かっているだけで 3,200万人の学校へ行けない少女がいるそうだ。識字率99.8%の日本からすると(ちなみにパキスタンは男性53.4%、女性28.5%)、このような少女が「読み書きを習う」といったごく当たり前のことを主張しただけで、過激派の標的になり得るという事実は真に受け入れがたい。それにも増して、退院の際、その彼女が世界に向けて堂々と感謝の辞を述べ、そのような恐怖体験をした今もなお、教育を受ける権利を主張し続けるという魂は、真に敬服に値する。
※ 彼女の生い立ち等についてはウィキペディアを参考にさせていただいた。http://en.wikipedia.org/wiki/Malala_Yousafzai
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