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# 長崎の出島 その2
こんにちは、ロシア語担当の T です。ウクライナ情勢は、どうも不安定な状態が続いています。5月25日に行われる(予定の)大統領選挙で事態が治まることを祈っております。

さて、今日は長崎の出島の話の続きです。先週のブログにあまり写真を撮らなかったことにふれましたが、文体に組み込まれてあった小さな写真をTokoさんが掲載してくださいました。(ありがとうございます!)

一つ目の写真は、私が見る限り出島にオランダ人が住んでいた時の島の形が分かるもので、二つ目はおそらく旧長崎内外クラブ記念館だと思います。この写真から、当時の出島は扇形であることがお分かりかと思います。
出島の土産店で購入した『長崎遊学 9出島ヒストリア 鎖国の窓を開く 小さな島の大きな世界』冊子には扇形の訳は次のように説明されています:

・・・岬の地形に合わせ、弧を描くように埋め立てたのでこの形になりました。

しかしシーボルトの著書『日本』には「三代将軍徳川家光が、手に持っていた扇を広げて”この形にせよ”と命じた」という一節もあります。

なかなか興味深い示唆だと思いました。私がよく利用する関西国際空港も埋め立てられた島で作られたようですが、海の上に島を埋め立てる技術は日本では450年ほど前から使われていたことになりますね。また、将軍の命令による説も私としてわりと納得できました。

先週もふれましたが、出島のオランダ人が日常的に食べていたのはパン、じゃがいも、鶏肉などの洋食で、「オランダ冬至」や「オランダ正月」などの時に特別なごちそうがあったそうです。例えば、豚の丸焼きやハム、パイ料理やお菓子などが特別なごちそうになっていました。また、出島を訪れる日本人は出された西洋食にはスープ以外にほとんど手をつけないケースが多かったそうです。スープを一口や二口食べ、それ以外の料理をテイクアウトにし、家族へのおみやげとして持ち帰っていたそうです。少しでもホスト役と一緒に食事を取ることを促すためには、和食が出すこと、そうすれば日本人も落ち着いて食べられていたと書いてありました。

他にもいろいろと出島について書けそうですが、百聞は一見にしかずですので、皆さんも長崎にいらっしゃる時にぜひ出島に足を運んでみてください。出島への訪問は、二つの異なる文化の接点を間近に見ることができる、ユニークな体験になるに違いありません。

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長崎は、修学旅行で行ったきりですが、出島に行った覚えがありません。。(ただの記憶違い?)なので、機会があればぜひ。Toko
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