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# イタリア、そしてドイツへの旅 その3
こんにちは、ロシア語担当の T です。先週末日本列島を直撃した台風19号で10年前のことを思い出してしまいました。

私は当時奈良県の天理大学に交換留学生として9月から来日していて、母国に比べれば雨がやや多いことに少しびっくりしていました。友人が「台風」のことを説明してくれると、「日本ってこんなに大変な国だったのかぁ」と考えるようになりました。台風に、地震に、火山の噴火などなど、自然災害の数はウクライナで直面するそれをはるかに上回っています。

長野・新潟周辺の大雪のニュースがウクライナのテレビで流される度に、祖母が、そんな大変な国に来ている私の身をしきりに案じてくれていましたが、最近になってようやく祖母の気持ちが分かったような気がします。


さて、イタリア・ドイツへの旅の話の3回目ですが、今日はイタリアに行った時のことよりも、その準備段階でのことについて書きたいと思います。まずは、当時のソビエト連邦が崩壊し独立したばかりのウクライナの国境を超えての旅でしたので、パスポートを作る必要がありました。その事を耳にしたのは、ちょうど夏休みで私が東ウクライナのハリコフという街(現在東部ウクライナで激戦が繰り返される地域から100〜150キロほど離れたところ)の親戚の家に遊びに行っている時でした。

急きょ「パスポートが必要だ」という連絡を受け、その地方の担当行政機関に行って白黒の写真を取ってもらい、特急レートで2週間ほどでパスポートを作ってもらったおかげで、なんとかイタリアへの出発に間に合いました。

今から考えれば、ちょっとした歴史的な意味をも持つパスポートでもあります。一つの大きな国が崩壊した後、その領土にできた小さな15の国々のうちの一つが、はじめてその国の国民を対象にパスポートを発行することになったわけですから。言ってみれば、そのパスポートは私のアイデンティティーの変化をも表象するものでした。

イタリアに行くことでもう一つよく覚えているのは、はじめて飛行機に乗った時のことです。こんな巨大な鉄の塊がいったいどのような法則、あるいは原理に基いて空を飛べるのでしょうか。一回乗ってみれば、かなりスムーズに飛んでいることで少し安心感を覚えましたが、その「鉄の塊への疑念」は今も飛行機に乗るたびにどうしても浮かんできてしまいます。


来週からは、ドイツの話をしたいと思います。

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