2014-10-24 : 23:58 : admin
こんにちは、蓮です。
先月、9月12日付のブログで、フィンランド映画にかこつけて断捨離の話を少し書きましたが、最近は、自分の暮らす家のみならず、“実家あるいは親の家を如何に片付けさせるか”が少なからぬ関心を集めているのだそうです。核家族化が進み、更に高齢化・少子化が押し寄せる中、見ようによってはガラクタでしかないような大量の物を残して逝かれても困る、正直、生きている内に少しでも物を減らしておいてほしい…という思いが、子供の側にはあるのかもしれません。
『 夏時間の庭 』という2008年のフランス映画には、子供に何を言われたわけではないけれど、遠くないであろう自分の旅立ちの後、子供達に負担をかけたくないと願う母親が登場します。実際、彼女は間もなく他界してしまうのですが、その後残されたのは広大な庭とアトリエ付きの郊外の家、そして美術品の数々でした。実はこの映画、オルセー美術館が全面協力しており、登場する美術品の多くが本物。公開当時は、美術ファンからも注目を集めました。
そうした歴史的にも貴重な美術品、ガラクタとはわけが違いますが、それはそれで困った問題が発生します。そう、価値ある資産であるが故の莫大な相続税。庭や家にしても、税金はもちろんのこと、維持していく為にはお金も人手もかかります。更に、相続人である3人の子供達には、既にそれぞれの家庭や人生があり、生き方も住む場所もバラバラ。そんな彼らにもうこの家も美術品も必要ないだろうということを見越して、母は生前、自分の死後はそれらを売りに出すよう長男に伝え、遺品整理のための目録まで残していきます。そんな母の思いを知りつつも、長男は当初、遺産を手放さず子供達に残そうと考えるのですが…。
印象的なのが、長年この家に勤めていた家政婦の老女が、遺品整理中の家を訪ねてくるシーンです。部屋に花を絶やさなかった亡き女主人の為に生花を活けつつ、どこか悲しげに家を眺めまわす家政婦。相続人たる子供達よりも長くここに暮らした彼女こそ、誰よりもこの家や調度品に愛着を持ち、その価値を理解しているように見えます。ここでいう“価値”が金銭的価値や歴史的な価値ではないことは、やがて続く場面で明らかにされるのですが、彼女にとってはおそらく、慣れ親しんだ環境への愛着や思い出こそが価値なのでしょう。しかし一方で、相続人でない家政婦には、子供達が相続に伴い抱える苦労や葛藤は関係がありません。同様に、映画を見る観客も部外者だからこそ、「あぁ勿体無い」「こんなに素晴らしいものを手放すなんて」「思い出のある家や庭をよく売りに出せるなぁ」などと勝手なことを思えるのです。
映画は最終的に、どうするのが良い/正しいといった結論は出しません。しかし、父が急死した際、この手の問題で物理的にも精神的にもかなり大変な思いをした自分としては、当時を思い出して共感するところが少なからずありました。実家の片付けに悩む子供も、旅立つ前に何をどうすべきか考えている親も、何かしら考えさせられる作品だと思います。
先月、9月12日付のブログで、フィンランド映画にかこつけて断捨離の話を少し書きましたが、最近は、自分の暮らす家のみならず、“実家あるいは親の家を如何に片付けさせるか”が少なからぬ関心を集めているのだそうです。核家族化が進み、更に高齢化・少子化が押し寄せる中、見ようによってはガラクタでしかないような大量の物を残して逝かれても困る、正直、生きている内に少しでも物を減らしておいてほしい…という思いが、子供の側にはあるのかもしれません。
『 夏時間の庭 』という2008年のフランス映画には、子供に何を言われたわけではないけれど、遠くないであろう自分の旅立ちの後、子供達に負担をかけたくないと願う母親が登場します。実際、彼女は間もなく他界してしまうのですが、その後残されたのは広大な庭とアトリエ付きの郊外の家、そして美術品の数々でした。実はこの映画、オルセー美術館が全面協力しており、登場する美術品の多くが本物。公開当時は、美術ファンからも注目を集めました。
そうした歴史的にも貴重な美術品、ガラクタとはわけが違いますが、それはそれで困った問題が発生します。そう、価値ある資産であるが故の莫大な相続税。庭や家にしても、税金はもちろんのこと、維持していく為にはお金も人手もかかります。更に、相続人である3人の子供達には、既にそれぞれの家庭や人生があり、生き方も住む場所もバラバラ。そんな彼らにもうこの家も美術品も必要ないだろうということを見越して、母は生前、自分の死後はそれらを売りに出すよう長男に伝え、遺品整理のための目録まで残していきます。そんな母の思いを知りつつも、長男は当初、遺産を手放さず子供達に残そうと考えるのですが…。
印象的なのが、長年この家に勤めていた家政婦の老女が、遺品整理中の家を訪ねてくるシーンです。部屋に花を絶やさなかった亡き女主人の為に生花を活けつつ、どこか悲しげに家を眺めまわす家政婦。相続人たる子供達よりも長くここに暮らした彼女こそ、誰よりもこの家や調度品に愛着を持ち、その価値を理解しているように見えます。ここでいう“価値”が金銭的価値や歴史的な価値ではないことは、やがて続く場面で明らかにされるのですが、彼女にとってはおそらく、慣れ親しんだ環境への愛着や思い出こそが価値なのでしょう。しかし一方で、相続人でない家政婦には、子供達が相続に伴い抱える苦労や葛藤は関係がありません。同様に、映画を見る観客も部外者だからこそ、「あぁ勿体無い」「こんなに素晴らしいものを手放すなんて」「思い出のある家や庭をよく売りに出せるなぁ」などと勝手なことを思えるのです。
映画は最終的に、どうするのが良い/正しいといった結論は出しません。しかし、父が急死した際、この手の問題で物理的にも精神的にもかなり大変な思いをした自分としては、当時を思い出して共感するところが少なからずありました。実家の片付けに悩む子供も、旅立つ前に何をどうすべきか考えている親も、何かしら考えさせられる作品だと思います。
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