2010-10-04 : 11:37 : admin
今週からいよいよ本題。『蘭学事始』の内容を読み進めていきたいと思います(ここでは岩波文庫で出版されている、杉田玄白『蘭学事始』緒方富雄校訳注、岩波書店、1959年を参照しています)。ちなみにわたしは江戸時代の専門家ではありませんし、そもそも文学者でも歴史家でも医者でもありませんから、ここではひたすら杉田氏の記述に感動し、現在のわたしの生き方を省みる、という形式をとりたいと思います。
さて、杉田氏は『解体新書』の翻訳をめぐる話に入る前に、まずは文字を知ることの苦労から話を切り出します。鎖国中の日本では、外国語が一般に通用していなかったのも当然のことながら、オランダ語もまた、限られた者(通訳者)が、限られた形(カタカナ!)で習得していたにとどまっていたようです。
曰く、「渡海御免の和蘭にても、その通用の横行の文字、読み書きのことはご禁止なるにより、通詞の輩ただ片仮名書きの書留等までにて、口づから記憶して通弁の御用も工弁せしにて、年月を経たり。(日本への渡来を許されていたオランダについても、その言語の読み書きは禁止されていたため、通訳者らはカタカナで書き留めるだけで、通訳業務も長年にわたり口頭での受け答えを暗記して行なわれてきた。)」
しかし、オランダ語の本を読むためには当然、その文字を知らねばなりません。そのために初めにせねばならなかったのは、幕府に「横文字」使用の許可を願い出ることでした。杉田氏をはじめとする蘭学者にとっては幸運なことに、幕府はその申請を「至極尤もの願ひ筋なり(大変理にかなった願い出である)」として、速やかに許可したとのことでした。
文字もろくに知られていない中で、いったいどうやって翻訳を進めようというのか。読者の関心をそそる展開になってきました。しかしその読者たるわたしは、ここで早くも予想外の記述を目にすることになります。(続く)
さて、杉田氏は『解体新書』の翻訳をめぐる話に入る前に、まずは文字を知ることの苦労から話を切り出します。鎖国中の日本では、外国語が一般に通用していなかったのも当然のことながら、オランダ語もまた、限られた者(通訳者)が、限られた形(カタカナ!)で習得していたにとどまっていたようです。
曰く、「渡海御免の和蘭にても、その通用の横行の文字、読み書きのことはご禁止なるにより、通詞の輩ただ片仮名書きの書留等までにて、口づから記憶して通弁の御用も工弁せしにて、年月を経たり。(日本への渡来を許されていたオランダについても、その言語の読み書きは禁止されていたため、通訳者らはカタカナで書き留めるだけで、通訳業務も長年にわたり口頭での受け答えを暗記して行なわれてきた。)」
しかし、オランダ語の本を読むためには当然、その文字を知らねばなりません。そのために初めにせねばならなかったのは、幕府に「横文字」使用の許可を願い出ることでした。杉田氏をはじめとする蘭学者にとっては幸運なことに、幕府はその申請を「至極尤もの願ひ筋なり(大変理にかなった願い出である)」として、速やかに許可したとのことでした。
文字もろくに知られていない中で、いったいどうやって翻訳を進めようというのか。読者の関心をそそる展開になってきました。しかしその読者たるわたしは、ここで早くも予想外の記述を目にすることになります。(続く)
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