2010-11-01 : 12:14 : admin
コウです。前回はオランダ人に面会して言葉を勉強しようとした前野氏が、通訳に諦めるよう促される、というところまで読み進めました。なぜだったのでしょう?
その通訳は、当時のオランダ語学習の困難について次のように語っています。たとえば、水や酒を「飲む」ということについて尋ねるにしても、茶碗などを持って口につける真似をし、これは何か、と問うしかないと言います。それが相手に理解されれば、「デリンキ(drink)」だということを教えてもらえる、という具合です。
しかし、酒の好き嫌いや、あるいは故郷に思いをめぐらせると言った、心情的な意味を問うとなると、事態はもっと複雑になっていきます。現代に生きるわたしたちは、こうしたことが文化依存的であることもそれなりに知っていますから、他国の言葉を何の背景知識もなく理解しようという作業が、とてつもなく難しいということは想像できます。かの通訳も、「常に和蘭人に朝夕してすら容易に納得し難し(常にオランダ人とともにいるにもかかわらず、簡単には理解できない)」と言うばかりです。
しかし、オランダの文物が伝わっていくにつれ、徐々にその知識を求める動きは強くなっていました。医者であった前野氏も、オランダ伝来の医術に直接ふれたこともあって知的欲求を大いに高めていました。そして今度は、日本人の通訳について懸命に学び、簡単なオランダ語の知識を手に入れることができました。
こうした、大きな知的欲求と、少しばかりのオランダ語の知識が、「解体新書」の翻訳を進める力となっていきます。(続く)
その通訳は、当時のオランダ語学習の困難について次のように語っています。たとえば、水や酒を「飲む」ということについて尋ねるにしても、茶碗などを持って口につける真似をし、これは何か、と問うしかないと言います。それが相手に理解されれば、「デリンキ(drink)」だということを教えてもらえる、という具合です。
しかし、酒の好き嫌いや、あるいは故郷に思いをめぐらせると言った、心情的な意味を問うとなると、事態はもっと複雑になっていきます。現代に生きるわたしたちは、こうしたことが文化依存的であることもそれなりに知っていますから、他国の言葉を何の背景知識もなく理解しようという作業が、とてつもなく難しいということは想像できます。かの通訳も、「常に和蘭人に朝夕してすら容易に納得し難し(常にオランダ人とともにいるにもかかわらず、簡単には理解できない)」と言うばかりです。
しかし、オランダの文物が伝わっていくにつれ、徐々にその知識を求める動きは強くなっていました。医者であった前野氏も、オランダ伝来の医術に直接ふれたこともあって知的欲求を大いに高めていました。そして今度は、日本人の通訳について懸命に学び、簡単なオランダ語の知識を手に入れることができました。
こうした、大きな知的欲求と、少しばかりのオランダ語の知識が、「解体新書」の翻訳を進める力となっていきます。(続く)
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